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楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.067

2018-07-13 | 先人の知恵に学ぶ

 PHP『心に響く・名経営者の言葉』
        第4章 努力を忘れない・No.008

「志のあるところに道は拓かれる

     求めるところに師は現れる」
        鬼塚喜八郎  アシックス創業者(19182007

 鬼塚喜ハ郎は鳥取県気高郡明治村(現在の鳥取市松上)に生まれる。
旧姓は坂口。生家は農業を営んでおり、喜ハ郎は三男二女の末子だった。
 ちなみに鬼塚姓を名乗るのは、戦死した戦友との約束を果たすための養子縁組
によるもの。 昭和11(1936)年に鳥取一中(現在の鳥取県立鳥取西高等学校)を
卒業すると、陸軍に入隊。終戦は長野県の松代大本営守備隊で迎えた。
 昭和21年に神戸の商事会社に就職。そこで飲食店の経営からヤミ商売まで、
ありとあらゆる体験をしたという。社長が会社を私物化していることに我慢ならなくなり、
3年で退社。職探しをしているときに友人から「青少年用の靴を作ってくれるところは
ないだろうか」と相談を持ちかけられたのをきっかけに靴を作り始め、小中学校や
警察に納めるようになった。そして、昭和24年に資本金30万円で鬼塚株式会社を
創業した。最初に開発したスポーツシューズは、タコの吸盤にヒントを得て作った
バスケットシューズである。昭和26年に「オニツカタイガー」というブランド名で発売。
 その後もマラソンシューズやバレーボールシューズなどを開発・発売。
次第にオニツカブランドのスポーツシューズが認知され、売上げは仲びていった。
 そして、昭和31年のメルボルンオリンピックの日本選手団用トレーニングシューズ
として正式採用されたのを機に、世界に認知されるようになった。
 昭和52年には、スポーツウェアのジィティオ、ニットウェアのジェレンクと対等合併し、
総合スポーツ用品メーカーのアシックスとなり社長に就任。
 スポーツシューズでは国内首位をゆくようになる。

鬼塚は靴に対してはまったくの素人だった。ましてやスポーツシューズのことなど何も知らなかった。
 だが、バスケットシューズの開発を始めると「選手の動きをよく見てみろ」という助言を受けた。
マラソンシューズの開発時には、トップアスリートから「風通しをよくしてほしい」
というリクエストをもらった。
 どうすればいいかわからなくても、努力だけは怠ってはならない。
人一倍努力している人を見捨てる人などいないからだ。  
 
阿吽(あうん)
よけいな言葉を挟まなくても相手に伝わる。
言葉は「阿」と口を開いて始まり「吽」と目を閉ざして終わる。
その間によけいな言葉を挟まなくても相手に心が伝わる。
「阿吽の呼吸」と呼ばれるもの。
               :気持ちが楽になる禅の言葉より 



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