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楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.068

2018-07-14 | 先人の知恵に学ぶ

 PHP『心に響く・名経営者の言葉』
       第4章 努力を忘れない・No.009

「歴史と伝統の上にあぐらをかいていると

      気付いたときには手遅れになる
         草刈隆郎  日本船舶取締役 相談役(1940~)

  草刈隆郎は東京・西麻布で生まれた。
父は三菱銀行で常務取締役まで出世したエリート銀行マンで、草刈も麹町中学校を
経て都立日比谷高校へ進学というエリートコースを進み、周囲は当然、東京大学へ
進むと考えていた。
 ところが、日比谷高校でラグビーにのめり込み、ラグビー部を全国大会へ導くことに
は成功したが、東京大学の受験には二度失敗して、慶庖義塾大学へ進学した。
 ここでもラグビーにのめり込みすぎて、危うく落第するところだったというが、同大学
を卒業すると日本郵船へ入社した。
 日本郵船では人が変わったように仕事に打ち込み、昭和48八(1973)年にロンドン
支社に栄転。四年後に本社に復帰するが、そこで彼が見たのはさまざまな無駄だった。
 さらに危機感を募らすきっかけになったのが、トヨタ自動車との運賃交渉だ。
トヨタは運送コストを正確につかんでおり、容赦なく運賃の割引を求めてきたのである。
 それは、今までの取引慣習とはまったく違うものだった。
草刈は世界を相手にする企業の厳しさと自社の甘さを思い知った。
このとき脳裏に浮かんだのが、冒頭に紹介した言葉である。
 労務課長に就任した草刈は、無駄を徹底的に排除する行動を起こした。
草刈にとって幸いだったのは、副社長が味方についてくれたことだった。
 問題意識さえない役員たちを説得し、無駄な会議や残業などを次々になくした。
草刈は平成6(1994)年に取締役に昇進。その後、常務取締役、専務取締役時代にも
合理化をさらに進め、同社が過去最高益をあげる原動力となった。
 そして、これらの功績が認められ平成11年、急逝した河村健太郎社長の後任にた
大抜擢された。ちなみに、私立大学出身者が日本郵船の社長になったのはこれが初
めてだった。

長い歴史や伝統は、座り心地のよい椅子のようなもの。
 慣れてしまうと、努力を忘れてしまう。
しかし、気づかないうちにライバルたちは背後に迫ってきているのだ。
追い抜かれたくなければ、歴史があろうが伝統があろうが、
努力を怠ってはならない。 
 
主人公(しゅじんこう)
自分自身の本来の姿。
小説やドラマの中の「主人公」とは少し意味合いが違う。
あらゆる煩悩を取り去ったとき、自分の中の本当の姿に出逢える。
                 :気持ちが楽になる禅の言葉より 






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