きょうは運動しないとイカンだろうなあ。熱がなくても、体力の消耗はでかいんだよね、インフノレって
さて、昨日の夜のうちに齊藤智裕著「KAGEROU」を読みきりました。以下はその感想
最近ではすっかり話題にも上らなくなった「KAGEROU」。以前「安くなったら買って感想を書く」と宣言した手前、今回安く手に入ったのはありがたい。
(以下ネタバレ)かんたんにあらすじを辿ると、自殺志願者の主人公・ヤスオに、臓器ブローカーの「キョウヤ」が「どうせ死ぬなら臓器を売っては?」と持ちかけ、実際に一旦は安楽死を遂げたが、たまたま生命維持装置が付いたまま蘇生してしまい、その間に自身の心臓を移植した少女に出会うというお話。
感想その位置:前フリが長い・・・話の導入から本題にたどり着くまでがとにかく長い。物語の核心にたどり着いたときには「おやくそく」の台詞が羅列され、作者は畳み掛けたつもりなのだろうが、こちらとしては唐突な印象を受けざるを得なかった。
感想その2:初稿はかなり酷かった?・・・話の途中に、本題に繋がる少女と一瞬出会うシーンがあった。これを読んだとき「ああ、誰かにココを挿入しろといわれて書き足したんだろうな」と直感した。この小説、恐らくだが初稿は「あ・・・(察し」という内容で、担当の編集氏がかなり手を入れたのでは?
感想その3:伝えたかったメッセージ?・・・自分が考えるこの作品のテーマは「死の向こうにある生」ということだと思う。ただ残念ながら、自分にはそこまで明確にはテーマが伝わってこなかった。コレを書く前に、作者は「愛と死を見つめて」くらいは読んだのかしら?と考えてしまったw
まとめ・・・いわゆる「ケータイ小説」「ライトノベル」の範疇を脱していない作品である、といわざるを得ない。正直、前半のノリは完全に「ラノベ」のそれであり、後半はよく言われる「ケータイ小説的感動」を越えていない。この二つを融合した功績でポプラ社小説大賞を獲得したのかも。
ただ、独特の文章センスを持っている事は疑いなく、編集や出版社に「育てる意思」さえあれば、大化けする素養は持っているとも思う。なので、水嶋ヒロとして俳優を再開したというニュースは、この本の関係者全員に「お前何がしたいねん?!」と突っ込みを入れざるをえない。
この小説(家)にとって最大の誤算、それはとりもなおさず「大賞の受賞」ではなかったか。必要以上の批判の渦に巻き込まれれば、筆を折ろうと思う作者も出る。そのことまで考えてこの賞をこの作品(作者)に与えたのか、甚だ疑問だ。
恐らくだが、「こうしないと売れない」という営業サイドに押し切られたのだろう。営業の意思どおりに物を動かすとろくなことがないという典型の事象でなないだろうか。だから営業って嫌なんだよ!(大脱線
作者は同じテーマを何度でも扱って良いと思うので、ゆっくりと、今度はこの「KAGEROU」を上回る作品を手がけて欲しいものだ。一度ボロボロに叩かれたのだ、何書いたってもう恐れる事はないよ、と届きもしないメッセージを送り、感想は終了としたい。
櫻井よしこは逆さえびぞり磔にしたほうがいいぞマジで
「キリストの幕屋」とぐぐるさんに入力したら、候補に「キリストの幕屋 チャンネル桜」と出て来て、この世の絶望を味わっています。
いまちまたに「憲法は9条ではなく11条を先に変えろ」とか言う人も多いそうだけれど、その影で、本当は20条改変を本命としているのかもなあ。建前でもなんでも、11条改変は国際的に絶対通らない・・・はずだけどw