さらに、養蚕で出る蚕のサナギの処分も兼ねて養豚を始める人々も増え、その結果トンカツ文化が土着し、戦後のソースの普及でソースカツ丼を供する店がその土地に定着した、ということだそうだ。
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ちなみに秩父ではソースではなくカツが巨大化し、それが戦後に定着したのがワラジかつ丼のルーツである可能性が高いとのこと。
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@masafujiyama 昨日はものすごく面白い話を大量に聞いてきたよ!この系統は凄まじく奥が深いねえ・・・。
もう一丁。もんじゃ焼は伊勢崎・太田などの一部両毛地帯にも多く普及しているが、これは空襲で浅草から東武伊勢崎線で疎開した人たちがそのあたりに居つき、そこを起点として駄菓子屋を始めたのが主な理由とのこと。
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同様の理由で「両毛地帯にあるいもフライも浅草起源の可能性が高いと推測している」と伺った。さらに「同様のものは池袋を中心とした旧豊島村周辺にも見られる」との話。この話も非常に興味深い。
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食べ物の歴史は奥が深い。その町の歴史や地理と直結することが多いので、地元の食べ物もそうやって調べてみると面白いことが分かるかも。
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ちなみに東村山は所沢とほぼ同様の「肉汁うどん」「醤油味の焼き団子」という土着の食べ物がある。これだけでも「所沢と東村山は昔は同じ地域だったのだなあ」と気付くのに十分な訳で、こういうのをもっと自分たちで掘るのも面白いと思う。
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