う~ん。・・・そうですねぇ。
例えば、毎朝必ず顔を出す、行き着けの喫茶店があったとするではないですか。
仕事が始まる前のわずかな時間。
おいしいコーヒーを飲みながら、新聞をひろげたり、雑誌に目を通したりして束の間のひと時を過ごす。
そんなお気に入りの場所。
そうですね。仮にそこを「ミルクディッパー」とでもしておきましょうか。
そこにアルバイトのちょっと可愛い女の子がいたとします。
最初はそうではなくとも、毎日のように通っているわけですから、そのうちには短い挨拶くらいは交わすようになるでしょう。
「今日はいいお天気ですね」とか「今日のお洋服は、ちょっと洒落てますね」
くらいの会話はするようになると思います。
会話の度に彼女は、小さな笑顔をみせてくれるでしょう。
そのうちには少しずつ、家庭の事情とか小さな悩み事とか打ち明けるようになるかも知れません。
「うちの息子が高校に受かったんだ」といえば「おめでとうございます。良かったですね」
と単純に喜んでくれるでしょうし、
「ちょっと風邪気味なんだ」といえば「大丈夫ですか。お大事にしてください」
と言って心配してくれる。
何ということのない会話。差し障りのない短いやりとり。
それがこの上もなく心地よかったりもするのです。
癒しでもなければ、安らぎでもない。
何というのか、もう少しライトな感覚。
・・・そう、それは例えて言うなら一服の清涼感。
駆け抜ける一陣の涼風のような快さ。
そんな関係も多分アリなんじゃないかと思うのです。
人と人との付き合いが深まれば、それだけギクシャクする部分は増えてきます。
仲のいい親子でも、愛し合っている恋人同士でも、そういう部分は少なからず胸の奥底に蓄積されていくものでしょう。
心の底に溜まった垢のようなものです。
時としてそれが、無償に煩わしくなることがあるのです。
もちろん、それを否定しているわけではありません。
そういう部分を含めての人間関係なのですから、それはそれで容認すべきでしょう。
だけど、一方でまたそうした煩わしさのない、人と人の関係もありえるのではないでしょうか。
ひと時の清涼感のような。
そのうち、喫茶店から足が遠のけば、多分彼女は気にとめてくれるでしょう。
「お体を壊したのでなければいいけれど」
少しは心配もしてくれるかも知れません。
でも、そのうちには少しづつ気に掛かる回数も少なくなり、やがて彼女の中からその存在は完全に消えてしまうでしょう。
それでいいのだと思います。
そういう関係だからこそ、いいのだと思います。
だからこそ、今のこの瞬間がとてつもなく大切な時間だと思えるのです。
つまりは、そういうことなのです。
足しげく通ったバーによく来る女性と、
「こんなのんびりした時間がいつまでも
続くといいな・・・」なんて話していました。
今ではそんな彼女の普段の生活に、
自分の存在は消えて無いでしょう。
バーの彼女や喫茶店の彼女に、
「そういえばあの時・・・」
と思い出してもらえたらいいなぁ~
なんて思いますけど・・・。