四季の武蔵野

次第に失われつつある、武蔵野の「現在」を記憶に留めるため、このブログを開設しました。

はけのある風景(その1)~国分寺崖線

2008-06-29 08:45:12 | 武蔵野
武蔵野台地を南北に分断する長大な段差。旧多摩川の流路によって形成されたと見られるこの断崖を国分寺崖線といいます。

国分寺崖線は武蔵村山の緑ヶ丘付近にはじまり、東大和市と立川市の境を横切り、JR中央線の国立駅の東側を通り、国分寺市・小金井市、国立市・府中市の境を縫うように走って調布市に入り、深大寺付近でつつじヶ丘などの舌状台地を作りながら、世田谷区の等々力渓谷を経て、大田区の田園調布嶺町付近に至る全長30キロメートルにも及ぶ巨大な断崖です。

 国分寺崖線の上部

最大20メートルにも及ぶ段位差は、近辺の地域に豊富な湧水をもたらし、小さな清水はやがて野川の流れとなって多摩川に注ぎます。

    豊富な湧水を利用してわさび栽培が行われています  

国分寺や小金井の住民たちは、古来からこの断崖を「はけ」と呼び、そこから得られる湧水を生活の糧として生活をして来ました。
現在でも「真姿の池湧水群」は、都内でも御岳渓流とならんで環境庁の「名水百選」にも選定されております。

この「はけ」という単語は、このブログないでも度々使用していくと思いますので、是非覚えておいてくださいね。

  野川の流れ

桔梗の花

2008-06-26 22:39:19 | 風景

わが家の桔梗が、今年も立派な花を咲かせました。

子供の頃からずっと、桔梗は秋の花だと思い込んでいたのですが、本当はいま頃咲くのですよね。なんで秋に咲くと思い込んでいたかというと、「秋の七草」の中に桔梗が入っているからです。

では、なんで夏の花である桔梗が、秋の七草のひとつに数えられているのでしょう?

「七草」といえば秋の七草の対極にあるのが春の七草。これは正月のおせち料理で疲れた胃を休め、同時に野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補う意味で、七種類の山草をお粥にして食べたのが始まりだと言われています。

では秋は・・・というと、こちらは取り立てて言うほどの理由はありません。ただ中国の年中行事である”乞巧奠”(七夕祭り)に飾る花として、山上憶良が万葉集の中で詠んだ2首の歌から採ったものだという説が有力です。

秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花

この中で「朝貌の花」というのが桔梗のことらしいのですが異説もあります。いずれにしても秋の七草とは秋に咲く野草と限定したものではなく、万葉集の中で詠まれた歌の中から選ばれた花のようです。


井の頭恩賜公園(その2)~弁財天

2008-06-22 15:42:25 | 武蔵野
井の頭公園の北西、井の頭の池に突き出すように建てられた、目にも鮮やかな朱色の建物。これが井の頭のシンボル弁財天です。

この弁天堂の起源は井の頭公園の成り立ちより遥かに古く、天慶年間(938-946)に関東源氏の祖・源経基が、弁財天女像をこの地に安置したのが始まりだといわれています。つまり徳川家康がこの池を発見し、江戸水道の水源にしようと思い立つ600年以上も昔からこの地にあったことになります。



七福神のひとり弁天様として有名な弁財天は、琵琶を手に持った美しい女性の神様として有名ですが、井の頭の弁天様は8本の手を持った八臂像で、頭上に宇賀神を載せ鳥居を冠しています。
音楽をはじめとした芸術や学問全般の神様であり、同時に財宝を授ける神様としての信仰もあって、井の頭弁財天にも本堂の裏手にある龍の形をした銭洗い弁天でお金を洗うと、財産が増えるという言い伝えがあります。

  こちらでお金を洗って持ち帰れば、金運が上昇するそうです。


そんなご利益十分の神様なのですが、女性の神様らしく嫉妬深くて、井の頭の池にカップルが船を浮かべると、そのカップルは別れてしまうという都市伝説が古くから言われ続けています。

江戸の庶民にとって大切な水源を守る弁財天は、当然江戸の文化とも結びつきが深く、安藤広重も名所江戸百景のひとつとして、井の頭の池弁天の杜の風景を描いております。

  安藤広重「井の頭の池 弁財天の社雪の景」




たけのこ公園

2008-06-20 08:21:36 | 武蔵野

今回紹介するのは、先日紹介した狭山・境緑道の道沿いにある「たけのこ公園」です。
場所的には境と多摩湖の中間点。西武線の「花小金井」駅の近くです。

このあたりはいわいる「小金井桜」の群生地で、緑道の上に大きく張り出た木々緑が、夏の日差しを遮って、葉漏れ日の模様を大地に焼き付ける、たいへん美しい場所です。もちろん春の桜の季節には、咲き誇る桜の花びらに包まれて、何ともいえないしあわせな気持ちにさせてくれるのです。

その道沿いにある「たけのこ公園」は、その名の通りこの地に昔からあった竹林を保護して公園化したものです。前に「武蔵野は意外と竹林の多い場所でもある」と紹介しましたが、このあたりは特に深い天然の竹林が続いていたようです。
花小金井の駅前開発が始まるとともに、殆どの竹の木は伐採されてしまいましたが、わずかに残った竹林がこうして保護されているのです。

竹林のなかを歩くと、真夏の暑い日差しの中でもひんやりした涼風がながれて、とても気持ちがいいですよ。竹林の前には広い草原が広がっていて、春先や初夏の頃には多くの家族連れがお弁当を広げています。
緑道の散歩やサイクリングを楽しむ人たちには、絶好のいこいの場所ですね。



武蔵野の野鳥シリーズ~ゴイサギ

2008-06-18 20:49:34 | 風景
井の頭公園の池に住み着いているゴイサギです。

夜行性で夜中には活発に行動するようですが、昼間はごらんのような茂みのなかでじっとしています。

残念ながら私自身は夜行性ではないので、停止しているコイサギしかみたことがありません。あしからず。

梅雨の晴れ間の

2008-06-16 08:27:14 | 雑記

「梅雨の晴れ間の」
と、とりあえずタイトルを決めましたが、今年は梅雨入りをしてから、あまり雨が降りません。このまま、空梅雨ということになるのでしょうか?

さて、梅雨の季節の花といえば、やはり「紫陽花」です。ここ武蔵野ばかりでなく。各地で美しい花を咲かせているでしょう。
今回は紫陽花の名所というよりは、ちょっと変わった紫陽花を見付けので紹介しようと思います。

よく、紫陽花の花の色は、それが植わっている地面の酸性度に関係するといわれます。これは土壌のpH濃度が、アントシニアンの発色に影響をあたえるといわれているからです。
一般的には酸性濃度が強いほど青色が強く、アルカリ性に傾くほど赤色が増すといわれています。

写真の紫陽花は別段同じ幹から分かれたわけではなく、隣り合った別々の株から咲いたものがたまたま重なったものですが、それでも隣り合った株からこうも違った色の花が咲くのはちょっと珍しいものと思いました。

一体、このあたりの土壌のpHはどうなっているのでしょうね。それともこのような現象はとくあることなのでしょうか?


I cannot but pray to God

2008-06-14 19:45:43 | 雑記

6月14日午前8時43分頃、岩手県内陸部を震源とする大規模な地震がありました。
推定マグネチュードは7.3。岩手県奥州市と宮城県栗原市で震度6強、同県大崎市で6弱を記録する大地震でした。

地震発生直後から、NHKをはじめ各局メディアは報道をはじめ、時々刻々と被害地の情報を届けてくれます。
そてによると、最初は大したことはないと思われた被害状況も、これはとんでもない事態であることが次第にはっきりとしてきました。



特に震源地付近の航空写真には肝を潰しました。山の形がはっきりと変わるほどの大規模な地すべりを、かって見たことがありません。

もしもこれが山間部ではなく、都市部で発生したらと思うと身が縮む思いがします。
そしてそれは決して寄寓ではなく、何時どこで起こっても不思議ではないのです。



自然の力とはこれほどまでに偉大なものなのでしょうか。それに比較してひとの力のなんと小さなこと・・・

I cannot but pray to God

この大自然の脅威の前に、われわれ人間たちは神に祈るしか方法はないのでしょうか?

14日午後6時現在の被害状況は、死者3名、行方不明10名、重軽傷者207名ということだそうです。
被害にあわれたすべての方々に、心からのお見舞いを申し上げたいと思います。




 


境浄水場

2008-06-11 08:50:10 | 歴史
境浄水場は武蔵野市の北、関前に位置する日本で最大規模の暖速ろ過方式の浄水場で、主に千代田区・渋谷区・世田谷区・港区・目黒区等に飲料水を供給しています。
武蔵野市内の飲料水は別の浄水場があって、主に豊富な武蔵野の地下水をくみ上げてそれを使用していますが、それに関してはまた別の機会にお話します。

さて境上水場ですが、水源は狭山にある村山貯水池いわいる多摩湖です。羽村取水所から引き込んだ多摩川の水を、一度貯水池に溜め込んで(ここまでは旧玉川上水が現役として活躍しています)、貯水池から約10キロの導水管を用いて浄水場まで水を引いています。
その導水管の上に狭山・境緑道が通っているわけです。

ところで暖速ろ過方式というのは敷地内に大きなろ過池を設けて、ケイ藻類や緑藻類の浄化作用の力を借りて、ゆっくり浄化していくという近来では珍しくなった浄化方式なのです。



この浄水場の周囲でも子供の頃はよく遊びました。昔はJR武蔵境の駅から浄水場まで、使われていない引き込み線があって、その錆びた線路の跡や古くなったトロッコの周囲を駆け回ったものです。
その引き込み線の跡地は、現在遊歩道になっています。

本当に恐ろしいこと・・・

2008-06-09 20:37:38 | 雑記

「恐ろしい時代になったものだ」
とは常々感じていましたが、まさかここまでとは・・・
昨日、秋葉原でおきた通り魔事件のことです。

まず最初に犠牲になられた方々、ご家族の皆様に心から哀悼の意を表したいと思います。

事件が起きたのは6月8日の午後0時半頃。事件は秋葉原電気街の中心部にて歩行者天国の交差点に2tトラックで侵入した男が、3人の歩行者を撥ねた後、サバイバルナイフを振りかざしてさらに10数人の通行人に切りつけ、死亡者7人重軽傷者10人にも及ぶ大事件です。

これだけでも十分恐ろしいのに、この加藤智大容疑者は静岡県裾野市から秋葉原に向かうトラックの中で、携帯のブログにてこれから凶行に向かう様子を「実況中継」していたというのです。
そのブログを読んでいた人は、おそらく冗談くらいにしか感じなかったでしょうが、加藤容疑者はどんな気持ちでそれを書いたのでしょう。そして誰に報告をしたかったのでしょうか?

もしも彼が、ブログのこちら側にいるひとを自分と同じ種類の人間であり、自分の理解者であると勘違いをしているとしたら、それは恐ろしいことです。

この容疑者が感じていたのは、強烈な「閉塞感」ではなかったでしょうか。
例えて言うなら、「立ち上がることさえ叶わない小さな部屋」に永遠にいなければならない閉塞感。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そして明日と同じ未来・・・
彼はその部屋を壊してしまいたかったのかも知れません。

常識を壊し、道徳を壊し、ひとを壊し、自分を壊せば世界を破壊することが出来るとそう感じたのかも知れません。しかし壊してみれば、部屋の外にあったのは更に「小さな部屋」でした。
世界を破壊したはずだった彼が壊したのは、かけがいのない幾つかの生命と自己の尊厳でした。
未来を壊してもやはり昨日と同じ明日はやってきます。何も変わりはしないのです。

ひとは死ぬために生まれてきたわけではありません。それは確かにひとはいつかは死んで土にもどります。
しかしそれでも尚且つ、ひとは死ぬために生まれて来たのではないのです。
そのことを忘れないでほしいのです。


カルガモ親子

2008-06-08 19:59:20 | 風景

先日紹介したカルガモの夫婦
ひさしぶりに訪ねたら
なんと可愛いジュニア達が・・・

まだまだおぼつかない泳ぎで
おかあさんに泳ぎを教わっているのでしょうか
とても可愛いです

ところでお父さんは?
今日はいないようですね
晩ごはんのおかずでも探しにいっているのでしょうか?

まあ、カルガモの雄雌なんて見分けがつかないのですがね
ひょっとしたら、これがお父さんなのかも知れないし・・・


武蔵野の大木シリーズ2

2008-06-06 20:30:30 | 風景

吉祥寺本町にそびえる「佐藤家の大いちょう」
これもまた子供の頃からおなじみの大木です
秋になるとまっ黄色に色づいてそれは見事ですよ
秋になったらまたアップしますね

 


国木田独歩「武蔵野」(その3)

2008-06-04 07:53:55 | ゆかりの作家たち

国木田独歩の「武蔵野」から、武蔵野市の玉川上水沿いの散歩道を紹介するシリーズの第3弾。(しつこいようですが、本文はこちら
今回は前回の続き、行く手には美しい武蔵野の田園風景が続いています。


 自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上をぎ喘ぎ辿ってゆく。
 苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。
 長堤三里の間、ほとんど人影を見ない。農家の庭先、あるいはの間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そしてあくびをして隠れてしまう。
 林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏が時をつくる、それが米倉の壁や杉の森や林や藪にって、ほがらかに聞こえる。堤の上にも家鶏の群が幾組となく桜の陰などに遊んでいる。
 水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉をいたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。
 自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。水上が突然薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。
 しばらくすると水上がまばゆくいてきて、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の光を放ってくる。橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。
 これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれからまって、みあって、みずから音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!


                                     (国木田独歩「武蔵野」第六章より)




玉川上水の堤は小金井の方向に向かって歩くと、左には深い武蔵野の森、右手にはたおやかな田園風景が続いていました。これは現代でもあまりかわりません。
もちろん田畑はその殆どが住宅地に姿を変え、雑木林の伐採も進んではいるのですが、それでもまだまだそこここには当時の面影を伝える風景が広がっています。
だからこそ、面影の消えない今のうちに記憶を留めておこうと、このブログを始めたわけであります。


せちがない・・・

2008-06-02 21:03:18 | 雑記

我が家の庭の梅の木に実がなりました。
今年も、おいしい梅酒が飲めるかな?

今朝見たら、またしてもガソリンが上がっていました。
1リットル170円ですって!
この分では来月は200円とかになりそうですね。
せちがない世の中になったものです。

そういえばこの間、久米宏さんの番組で、「最近の若者はまったく消費をしない」というテーマで、小池百合子さんが、
「わたしの若いときは、自分自身に投資をしたもの。それに比べていまの若者は先々の心配ばかりをしている」
というような発言をしていましたが、年金問題、医療問題、格差社会の問題等々、将来への不安の種を撒いたのは、あなたがた政治家ではないですか。
あなたたちだけには言われたくないって感じですかね。


狭山・境緑道(多摩湖サイクリングロード)

2008-06-01 20:26:01 | 武蔵野
狭山・境緑道は武蔵野市千川上水交差点から東大和市武蔵大和駅まで、約10.2の自転車道です。
この道は、山口・村山貯水池から境浄水場に送るためにつくられた水道管道を舗装して、散策路・サイクリングコースとしてもうけられたものです。

写真のように深い緑に包まれた、うつくしい散歩道です。また、緑道沿いには、サツキ、ヤマブキ、アジサイ、サルスベリ、ハギなど花の咲く草木が多く、花の季節には彩りも鮮やかに装います。

そのため、休日ともなるとサイクリングはもちろん、ジョキングやウォーキング、散歩等を楽しむ人々で賑わっています。

もちろん、散歩が趣味のわたしにとっても絶好の散策コースとなっております。この緑道の沿道には数多くの魅力的な施設が整っていて、散策途中のわたしたちを楽しませてくれます。それらの魅力的な施設もおいおい紹介していきますね。