先日お約束した通り、深大寺植物園を紹介します。
ここは正しくは「神代植物公園」というのだそうです。「深大寺植物園」というのは「深大寺にある神代植物公園」という意味らしいですね。はじめて知りました。
今回は深大寺の裏からうっそうと緑の繁る山道を登って、「深大寺口」といういわいる裏口から入りました。
深大寺は国分寺断崖「ハケ」の真下に位置しており、そのハケの真上に植物園がありという地理関係でしょうか。
植物園にくるのも久しぶりなのですが、今回「つつじ展」が開かれていました。いわいるつつじの盆栽展みたいなものですが、これが実に雄大できれいなんです。
優勝した作品なんかまるでデコレーションケーキみたいですよね。
こちらは園長賞の作品です。
そのほかにも世界のバラ園やハナショウブなど、いまが見ごろの花々がいっぱいで一日楽しめました。
また、温室では各国の水蓮が咲き乱れていました。それについてはまた。後日報告します。
今日は久しぶりに好天に恵まれた休日となったので、昨年の七夕以来一年ぶりで三鷹市と調布市境にある深大寺を再訪しました。
とはいっても子供の頃は遠足を含め何回も足を運んだ場所であり、かくゆう厄年のお払いをしてもらった場所でもあるのです。まあ、そんなことはどうでもいい事ですが。
深大寺は773年に満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝えられ、859年に天台宗に改宗して以来、天台宗別格本山として今日に至っています。
山号は浮岳山。浅草の浅草寺に次ぐ都内第二の古刹だそうです。ずいぶんと歴史のあるお寺なのですね。
さて、「深大寺」といえば超有名なのが、国分寺断崖の豊かな湧き水に育まれた深大寺そば。
山門前の両側には数多くの、蕎麦屋の名店やみやげ物屋が軒を連ねています。
と思いきや最近ではこんな出店も
おなじみ「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎茶屋です。
調布市在住の水木しげるさんが、第二の故郷と敬愛するこの地に「水木ワールド」を構築してから早や10年が過ぎようとしています。
店内には妖怪グッズや関連書籍のほかに、飲食コーナーや妖怪ギャラリーなどもあり、いつも多くの人で賑わっています。
さて深大寺のもうひとつの見所、深大寺植物公園にはこんな情緒あふれる小道から。
というところで時間になりました。(なんの?)
植物園につきましてはまた後日ということで。
以前、桜堤団地について少し記したことがありました。
その地名からも解るとおり、この地は桜のとても美しい土地で、紹介したときも正に桜の盛り。団地も桜の中に埋もれているという印象でした。
その桜の花びらも、今ではすっかり緑の若葉に姿を変え、初夏の日差しを遮っています。
桜堤団地はそれまで40年以上続いた旧団地を、1999年に建替え名前も「サンヴァリエと改めました。
建替えに際しては昔ながらの桜並木をそのまま残し、敷地内を横断する仙川の周辺環境を出来るだけ自然のものに戻すなど、自然と共生する生活空間の構築に成功しました。
この巨大な緑の大地は、ここに生活する人たちだけではなく、周辺に集う人たちにも快い癒しの空間を与えてくれるのです。
桜の花びらもすっかり散ってしまい、森も街路樹も青葉の季節となったのに、相変わらず桜ネタですみません。
余っている写真がありますもので・・・
以前、小金井公園に花見に出掛けたときに見つけたちょっと珍しい桜の木。その名も「小金井薄紅桜」というそうです。
カスミザクラ、チョウジザクラ、シナミザクラなどの多種類の桜が、自然こう配をしながら偶然に出来た品種らしく、原木は世界でこれ一本だけらしいとのこと。
農林学者の林弥栄博士が1988年にこの地で発見したもので、「名木日本桜55本」にも選定されている、幻の名木なのです。
何故、幻なのかといいますと、ウスベニザクラの寿命は50~70年と短く、近年衰えが激しいとのこと、そこで「小金井公園桜守の会」が3年にわたる努力のすえ、ようやく成功した接木6本のうち3本を園内に植樹したということでした。
苦労して武蔵野の自然を守っている多くの人たちに支えられ、わたしたちはこうした昔ながらの自然に触れることができるのですね。
いきなりですが今日、4月15日は何の日でしょう。
とはいっても分からないですよね。実は丁度1年前の今日、このブログが始まった、いわいる「はじまりの日」なのです。
白鳥百合子さんの「そのまま”ダイアリー”」に刺激をうけて、「武蔵野の現在」を紹介する目的ではじめたブログでした。
当初は桜の季節にあわせるべく頑張ったものですが、諸所の事情が重なってこの日まで伸びてしまったことを覚えています。
そのせいで折角の桜もすっかり散ってしまい、真っ先に武蔵野の美しい桜を紹介しようと思っていた企画は、あえなくオジャンになってしまいました。
その分、今年は思い切り紹介させてしまいましたよ。(ていうか、まだまだやる気ですけどね)
今回の写真は第一回目と同じ、「独歩の森」の若葉です。
気のせいか、去年のほうが今年より、緑の勢いがいいような・・・
さて、今日から二年目に突入ですが、実をいうともうネタはすっかり尽きています。
もともと、散歩が趣味だった自分が、散歩先でふと見つけた風景を写真に撮り出したのが発端でしたからね。散歩で行ける範囲なんて極めて限られてきます。
ですから二年目は去年の繰り返しになると思います。
でも、このブログの本来の目的は、「日々変わっていく武蔵野の自然の記録」ですから、ある意味ようやくこれでスタートラインに立てたのだといえます。
去年から今年、そして来年へと、武蔵野の自然はどう変わっていくのか、また変わらないのか、できたら去年の写真と見比べていただければ有り難いですね。
東京の桜はすっかり散ってしまいましたが、撮り溜めていた写真がまだかなりあるので、もうしばらく桜ネタにお付き合いください。
さて本日紹介するのは、このブログでも度々触れたことのある「小金井桜」です。
では、小金井桜とは何でしょう?
小金井橋を中心に、玉川上水の東西に伸びる桜並木を「小金井桜」と呼びます。
小金井桜は元文2年(1737)、武蔵野新田世話役であった川崎平右衛門定孝が、幕命によって植えたと伝わる、約2000本のヤマサクラがルーツだといわれています。
小金井橋のたもとにある海岸寺の碑文には、「新田開発のため桜を植えた」と記されています。この地に沢山のひと達の移住を促進するために、美しい桜並木は功を奏したのかも知れません。
その桜並木は右衛門の思惑通り、江戸時代から関東随一の桜の名所として知られるようになりました。また、歌川広重の錦絵などで紹介され、さらに人気は高まることになります。
ということで、玉川上水の桜は一般的な「ソメイウヨシノ」ではなく、「ヤマサクラ」が主流です。もちろんソメイヨシノもありますけどね。
ソメイヨシノとヤマサクラの違いは、ソメイヨシノは花びらが散ってから葉が出るのに対して、ヤマサクラでは花びらと葉が殆ど同時に出るところです。
また葉っぱの色もソメイヨシノ緑に対して、ヤマサクラでは茶色っぽい葉っぱがでますね。
武蔵野市には「桜堤」という地名があります。
武蔵野台地を東西に走る玉川上水。その堤を彩る桜並木を古来「小金井桜」と称しました。
桜堤はその小金井桜が特に美しく咲き誇った土地だったのでしょう。
現在その場所は、「サンヴァリエ桜堤」という都市公団の団地になっています。それでもこの土地に古くから残る桜並木は、親水地化された仙川の流れとともに団地内にうまく取り入れられ、桜の名所として現在に至っています。
その桜堤の桜は、他所に先駆けて早くも咲き始めました。
まだまだ、3~5部咲きといったところですが、それでもピンクの花びらに包まれた団地群は早くも春の装いを見せています。
満開になったときが、いまから楽しみです。
JR三鷹駅と武蔵境駅の中間、中央線の線路を横断する歩道橋。
三鷹電車庫路線橋。通称三鷹陸橋。
実はここからみる富士山は最強なのです。
三鷹陸橋は三鷹電車庫の真上を通っているため、車庫に停車中の総武線や中央線の姿や、中央本線を疾走する特急電車などをも楽しめます。
子供のころからこの場所は特にお気に入りで、ヒマさえあれば歩道橋の上から上り下りの電車を飽きもせずに眺めていたものでした。
ところがここから見る富士山の美しさに気が付いたのは大人になってから。
もちろん、当時から。いや当時は現在よりはるかに美しい富士山が見れたのでしょうが、悲しい事に目の前を疾走する電車の姿に目を奪われて、まるで気づかずに過ごしていたのでした。
今は・・・というと、勿論電車より富士山に首っ丈ですけどね。