新春おめでた特集、武蔵野から見る富士山シリーズの第2弾は、ここ京王線中河原駅前から見る富士山です。
京王線中河原の駅前の小道を、南武線分倍河原の方へ500メートほど進んだところにコンビニがあります。丁度左にゆるいカーヴを描いている場所ですが、店前の駐車スペースに車を停めて振り向いてください。
快晴れた冬の朝などには、目の前に広がる富士山の美しさに圧倒されるでしょう。
実はここは私の通勤路にあたり、今述べたのとは逆のコースで毎朝車を走らせているのです。
ですから晴れた日には、写真のような美しい富士山を拝むように通勤することが出来ます。
ただ近年、道路の突き当たりにマンションが出来てしまい、折角の風景も半分かた隠されてしまいました。(正面の黒い建物)
まことに残念しごくです。
ひさしぶりの「武蔵野の野鳥シリーズ」です。
冬になると多くの渡り鳥たちが、井の頭公園をはじめとしたいろいろな公園の池に集まってきます。
それらの鳥の中から代表的なものを紹介しましょう。
今回紹介するのはキンクロハジロ君。
白黒のボディに金色の瞳が特徴のこの鳥は、どこの池にもいる代表的な冬鳥です。
多くは池や沼に生息するのですが、これでも海カモ類に分類される鳥のようです。
潜水して貝類や甲殻類、水生昆虫などを採餌しますが、水草などの植物餌も食するようです。やはり健康には気を使うのでしょうか。
中央の雌を囲む4羽の雄鳥たち。恋のバトルがはじまります。
都会の池に集う他の鳥たちと同じように、人が給餌するおかしやパンなどに群がる姿が目を引きますが、都会の公園などでは近年、自然保護の観点から与餌を禁じているところが増えているため、年々その数を減らしています。
いやはや、自然と人間の共生は難しいです。
この所、毎日寒い日が続きますね。そんなときにお勧めなのが、冬の散歩道。
なんかますます寒くなりそうですか。まあまあ、そう言わないで・・・
今回は「狭山・境緑道」の冬景色。
花小金井駅の周辺で、春になるといわいる「小金井桜」のアーチがとても美しい場所なのですが、いまは枯れ枝が物悲しいばかりですね。
でも安心してください。
一見枯れているようには見えても、枝々の先には固い蕾が、やがて訪れる春を待ちわびているのです。
来ない春はない。
桜咲くそのときをいまから楽しみにしています。
東京でも先日、初雪を観測したりで、すっかり冬本番という感じです。
そこで「冬の散歩道」と題して、武蔵野の冬景色をシリーズでお送りしたいと思います。
なんかシリーズものが多くなりすぎて、自分でも収集がつかなくなってますが、まあ何とかやりとげたいと思います。
よろしくお願いします。
ということで、第一回目は「昭和記念公園の銀杏並木」
前回は晩秋のみごとに色づいた銀杏並木を紹介しましたが、いまでは黄色い葉っぱもすかり落ちて、こんなありさまです。
それでも枯れ木のトンネルも、それはそれで独特の風情があって私は好きです。
サイモンとガーファンクルの唄が聴こえてきそうです。
お正月、初詣にいったとするじゃないですか。
皆さんその際に、お賽銭を払います?
そりゃ払いますよね。神様にお願い事を聴いてもらうのにはお賽銭を払わなくちゃならない。
でも、これって何か変だとは思いません?
相手は神様なんですからね、お金ほしさに願い事を叶えるとは思えない。だいたい神様がお金を持ってどうするんだろう。
で、例によって調べてみると、お賽銭の「賽」と云う字には「神恩に報いる祭儀」という意味があるそうです。
つまり賽銭とは、神様に願いを利いてもらったお礼として払うものだということですね。
要するに後払いでいいということです。
そりゃ、そうですよね。万が一、願いが届かなかったときはタダ取りということになってしまいますから。
神様がそんなサギ師みたいなことをするはずが無い。
それでも、神様がお金を必要とするのかという疑問が残りますが、これは神様に声を届けてくれたシャーマン、すなわち神官に対するお礼と考えればいいでしょう。
いずれにしても、願をかけるときに払うお賽銭は順序が逆ということになります。
まあ、神社としてはそれじゃ困るので、このことにはあまり触れたくはないのでしょうが。
ところで初詣に行って、二拝二拍手すれば願いが叶うと思ったら大間違いです。大切なのは信心の気持ちですから、毎日参拝に行かねばなりません。
毎日毎日参拝に訪れ、その信心の姿を神様が認めればその時点で願いは叶うのです。
いくらお賽銭を奮発しても、毎年初詣にのみ訪れてあとは一年間知らん振りなんて不信者には、神様は決して願い事を利いたりはしません。
でも、いくらなんでも毎日参拝するのは無理。
安心してください。日本の神様は省略するのが大好きなので、そこいら辺は大分簡略することが出来ます。
例えば昔のお百度参りなんかは、通常百日かかる願掛けを一日で済ませてしまおうという荒業です。
まあ、そこまでしなくとも、神社でもらってきた御札。あれを拝むだけで神社に参拝したのと同じ効果があるそうです。
昔はどこの家にも神棚といってもらってきた御札を納める場所があったものです。
間違っても、もらってきた御札を机の引き出しとかに入れっぱなしで、忘れたりしてはいけません。神様は簡略化には寛大ですが、無視したり蔑ろにしたりするとたちまち祟ります。
不幸が訪れる前に、せめて机の上にでも奉って心を込めて拝みましょう。
御札をもらい損ねた人は、お守りとかでも大丈夫です。持ち歩くだけでも結構ですが、出来たら一日一回は拝みましょう。これだけでも大分ご利益が違うはずです。
大切なのは信仰する気持ちですから、願が叶ったら神社にお礼参りに行きましょう。そのときにはお賽銭を払うことを忘れないで下さいね。
さて、お正月の話。
お正月とは何でしょう?
年の初め。一年の計。まあ、そういうことですが、同時に歳徳神(としとくじん)を奉る行事でもあるのです。
歳徳神とは正月さまとも呼ばれ、方位神のひとつであり、その年の福徳を司る吉神さまであります。
歳徳神の由来は諸説ありますが、牛頭天王の后であるとされています。またこの牛頭天王は須佐ノ男命と同一であることから、その妃の櫛稲田姫であるとも言われています。
いずれにしても福の神であることは間違いないので、奉っておいて損はないでしょう。
さてこの神様はその年の恵方、すなわち陰陽道で干支に基づいてめでたいと定められた方角にいらっしゃるわけで、そちらの方角にある神社仏閣に詣でることにより吉を呼び込めるとされています。
今年は丑年ですから、恵方は東北東。
すなわち初詣は自分の家から東北東の方角にある神社仏閣に詣でたほうがいいでしょうということです。
ところで恵方といえば、節分に食べる恵方巻きを思い起こす方もいらっしゃるのではないかと思います。
これもまったく同じ理由からで、得に関西のほうでは春分の日に恵方に向かって太巻き(恵方巻き)を食べる習慣があります。
ちなみに門松は歳徳神さまがいらっしゃる時の目印。七夕の笹のような役割を果たしているともいわれてます。
2009年 あけましておめでとうございます。
旧年度は、初めてのブログにお付き合い願いまして、ありがとうございました。
本年度も季々移り変わる武蔵野の風景をお伝えしていけたらと思います。
とはいっても、散歩の途中で目に付いた景色を撮影しているだけですから、たいしたことはありません。
また、毎日更新することは無理なので、写真が撮れたときにUPということで御容赦願えればと思います。
ということで、新年最初のUPなのですが、お正月らしい風景ということで、富士山の写真を選びました。
その昔、武蔵野の地はどこからでも、美しい富士山の姿を拝むことが出来たそうです。
時が経ち、大きな建物が出来るに連れて次第に見える範囲も絞られて、現在ではほとんどその姿を見ることはできません。
それでも冬の良く晴れた日などには、ふとした建物の合間合間からひょいと顔を出す富士山の姿をみることができます。
今回からは、散歩の途中途中でみつけた富士山の見えるスポットを紹介していきましょう。
最初はここ、井の頭公園と井の頭動物園を結ぶ歩道橋の上。ここは結構有名な富士見のポイントで、晴れた日の早朝などには三脚にカメラを構えた多くの人で賑わう場所ですよ。
通行の方にはちょっと迷惑かも知れませんね。