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天田昭次 『鉄と日本刀』 2

2013年10月27日 | 天田昭次「鉄と日本刀」

 天田は1959年の『刀剣美術』に掲載された久我春(くが はじめ)の論文、「鍛刀用の砂鉄とチタニウム」「刀剣の地肌について」に注目した。そこで久我を訪ね、直接話を聞き、様々な実験試料、研究資料を見せて貰う(『鉄と日本刀』P.163-171)。
 久我の説は、

1、チタンは炭素との親和力が強く、炭化鉄の形成を妨げ、鋼(フェライト)の炭素を除去し、鉄との間で強靭な合金を形成していることが判った。ゆえにチタンを鋼に添加すれば抗張力と靭性が増す。

2、科学の力をもってようやく解明できた事実を、1000年前の刀鍛冶が当然のように取り入れ、無比の利刀を作り上げていることにはただ驚嘆するばかりであり、当に神業と言う外ない。

3、平安時代中期以前の製鉄は火力が弱いため鉄もチタンも完全には溶解せず、チタンが鉄滓として鋼内に残っている。それらは鍛錬によって除去されるが、一部のチタンは炭素と結合して鋼(フェライト)結晶中に溶解し、炭化チタンとして鋼を形成する。

4、鎌倉・南北朝時代はチタン鋼として最も理想的である。適量のチタンが鋼に溶解し、余剰のチタンが炭化チタンとなって刀の切れ味と強さを実現している。

5、室町時代以後は製鉄技術が発達し、純粋な鋼が得られるようになったが、その製鉄法ではチタンが鉄滓として排除されてしまう。

6、その結果として刀身が弱くなった欠陥を補うためか、心鉄を組み合わせるようになった。心鉄は化学的に重大な難点がある。日本刀はチタン鋼なるがゆえに強靭であるのに、心鉄を入れると鋼中にごく僅か残存しているチタンまでが心鉄に移行し、チタンの支配力が完全に打ち消され、ただの鋼に変質してしまうからだ。それによって日本刀はセメンタイト(硬いが脆い鋼)が跳梁する所となり、もはや特殊鋼の機能は失われてしまう。

 そして天田に大和古社寺に残存していたという平安時代から室町時代までの古刀をピクリン酸に浸した資料を見せた。そこには黒く錆びた地鉄の中に白銀色の筋が浮いているのが確認できた。この筋こそチタンが炭素を吸収してできた炭化鉄である―。天田はそう確信した(P.167)。
 
 この箇所は本書の山場であり、純粋に美を追い求める刀鍛冶の素直な驚きが伝わって来ると共に、著者の終生の目標が明確化される極めて感動的な場面である。 
 ところが刀の切れ味にのみ取り憑かれた試し斬りマニアにとっては違うようだ。ここで一気に妄想のテンションが上がってしまうのである。彼らには本書の感動的な場面も、チタンの呻き声さながら、病んだ心に妖しく響くのだろう(チタンはギリシア神話のタイタン。ゼウスとの戦いに敗れ地底の暗黒世界に幽閉された。この世に強い恨みを抱いている)。
 天田は切れ味の追求ではなく、あくまでも美術工芸品としての美しさの追求のために久我の説に注目したのである。切れ味に関してはチタナイジングを紹介している。チタライジングとは、金属をチタンでメッキし、250℃で2時間加熱して金属内部にチタンを浸透させる技術である。日本刀にこれを行うと鋼の水準を超えた強度と切れ味になるという(P.169-170)。
 試し斬りマニアはこれをやれば良いのである。勿論そんなものは日本刀とは言えない。だが彼らには相応しい玩具である。彼らの幼稚な願望を十二分に満たしてくれるだろう。またそれによって世間一般の人々の目にも、日本刀を文化・芸術として愛する多くの愛刀家と、日本刀を自慰行為の道具として用いる一部のマニアが差別化される。

 天田が紹介している久我の論文は入手困難なため、私は未だ読んでいない。ゆえにあるいは見当外れかもしれないが、素朴な疑問点が幾つかある。

・天田は本書の別の箇所で古代釘の成分分析表を掲載している。チタン含有量は、法隆寺の釘で、建立当初の釘が0.025%、中世の釘が0.036%、慶長の釘がの0.015%である。現代の電解鉄が0.001%、玉鋼が0.002~0.010%位<注1>のチタンを含有しているから、法隆寺の釘のチタン含有量は電解鉄と玉鋼よりは多いものの、久我が言うような炭化チタン鋼を形成できるほどの量と言える数値であるかは不明である。その上、久我が研究に使用した古刀の分析結果が示されていない。肝心の古刀の成分データがないのである。これでは古刀に多量のチタンが含有されているという久我の主張を鵜呑みにすることはできない。

・一定の条件下ではチタンと炭素は結合可能だが、自然界においては殆どのチタンは酸素と結合している。製鉄過程でチタンと炭素を結合させるのは現代の高温の溶鉱炉でも無理。増してやそこで鉄とチタンの特殊合金ができるなどあり得ない。それが古代の低温の炉で生成されたと考えるのはあまりにも非現実的。造るとしたら、最初から炭素と結合したチタンを自然界で発見するか、鋼の炭素とチタンを特殊技術で結合させるしかない。

・チタンを他の金属に浸透させる特殊技術がチタナイジングだが、天田は「(チタナイジングで)チタンを人為的に注入したのでは、古刀の地鉄は得られない。これは一に製鉄に関わる問題であり、酸化チタン(TiO2)という介在物をいかに残していくか、それ以外にないと、確信しました。」と言っている(P.170-171)。しかし酸化チタンなら、あくまでもただの鉄滓に過ぎないのではないか。

・チタナイジングにおいては150℃から250℃という低温でチタンが炭素鋼に浸透するという(P.169)。しかしその場合のチタンは工業的に精製されたチタンである。自然状態の酸化チタンではない。天田は酸化チタンを鉄滓の形で鋼に残しておけば、鍛錬の熱によって炭素とチタンが結合すると考えたようだが、既に酸素と結合している酸化チタンが鋼の中で炭素と結合することは不可能である。久我は「チタンは炭素との親和力が強い」と言ったそうだが、鋼内におけるチタンと他の元素との結合のし易さは、酸素、窒素、硫黄、炭素の順である<注2>。既に酸素と結合しているチタンが鋼内で炭素と結合することはない。そして炭素と結合しなければチタンは酸化チタンという単なる鉄滓に過ぎず、美術的な面では瑕欠点となるし、実用面では脆さにつながる。

 これらの疑問が生じたのは、久我の主張の要点が、上記3、「鉄滓として鋼内に残ったチタンが炭素と結合して鋼(フェライト)結晶中に溶解し、炭化チタンとして鋼を形成する」ことだからである。これを根拠に上記4~6の推理が展開され、一部のマニアの妄想に拍車が掛かった。しかし前述の通り、鉄滓として鋼内に残ったチタン(=酸化チタン)が炭素と結合して炭化チタンになることは通常の製鉄過程や鍛錬過程ではあり得ない。仮にそんな奇跡が起きたとしても、鉱物として鋼の中に固定されているはずの炭化チタンが固体状態の刀身の中で上記6のように皮鉄から心鉄に移行することなど物理的に不可能である。上記4~6の推理は非現実的な空想と言わざるを得ない。


 そして天田が納得してしまった久我の研究資料の古刀に関して。
 ピクリン酸で浮き上がった白銀色の筋が果たして「チタンが炭素を吸収してできた炭化鉄(P.167)」と言えるのかどうか。
 ピクリン酸は爆薬の材料で強酸性である。アンモニア、カリウム、ニッケル、コバルト、銅、カドミウム、金などの確認にも使われる。濃度にもよるが、天田が見た白銀色の筋はチタン以外の金属だった可能性が大きいのではないか。
 
 かように本書のチタンに関する記述は眉唾なのである。

 とまれ天田の自家製鉄は見方を変えると非常に注目すべき点がある。
 例えば久我に触発されてチタン含有量の多い鉄の製造にチャレンジし、チタン含有量の少ない出雲の真砂鉄からチタン含有量0.34%の鉄を作り出したケースである(P.196)。
 これはチタン云々とは別に、炉内で液状化した鉄の表面張力が製鉄に及ぼす影響の問題であり、美術工芸品としての日本刀のみならず、製鉄産業における小型炉の利点が確認される可能性を秘めている。そして「鉄と日本刀」という命題において、天田が行き着いた反射炉が良いのか、それともやはりタタラの方が良いのか、という問題が、改めて提起されるだろう。そこから古刀の地鉄の特有性も見えてくるだろうし、日刀保タタラの問題点も浮上してくるだろう。
(続く)


注1 京都大学エネルギー科学研究科「日本刀の焼入れ条件と材料が刃文と残留応力に及ぼす影響 : シミュレーションと実験結果」掲載資料ではチタン含有量、電解鉄0.001%、玉鋼0.002%。「伝統的鍛錬工程における日本刀材料の炭素量変化」『鉄と鋼』Vol. 93(2007)掲載資料では玉鋼のチタン含有量0.003~0.010%。 
注2 「鋼中の硫化チタンの形態」 斎藤利生 『鉄と鋼』Vol. 47 (1961)

参考文献
・「金属チタンの精錬と加工」 高尾 善一郎 草道 英武 『鉄と鋼』Vol. 41 (1955)
・「古代釘の冶金学的調査」 堀川 一男 梅沢 義信 『鉄と鋼』Vol. 48 (1962)
・「鋼中の硫化チタンの形態」 斎藤利生 『鉄と鋼』Vol. 47 (1961)
・「日本刀の焼入れ条件と材料が刃文と残留応力に及ぼす影響 : シミュレーションと実験結果」 京都大学エネルギー科学研究科
・「伝統的鍛錬工程における日本刀材料の炭素量変化」 佐々木直彦 桃野正 『鉄と鋼』Vol. 93(2007)
・「真砂砂鉄と赤目砂鉄の分類--たたら製鉄実験から明らかになったチタン鉄鉱の役割 」 久保善博 久保田邦親 ―『たたら研究』第50号 
・ブリタニカ国際百科事典