おそらく、片岡さんに相当近しい人のみが緘口令を敷きながらだいぶ前から準備してきたものなのだろう。結婚式が無事終わったらというタイミングを計っていたのだと思う。
真っ直ぐに問題に対処しようと思えば、おやりになったことは正に正道。
しかし、それをやることの怖さはやはりあったと思う。
それでもなお、やらずにはいられなかった。
それしか道がなかった。
真実を真実として主張することを高裁で断たれて、ただ不安と怒りの日々の中でやれること。
当時中学生の方々が一緒に戦ってくれている。その力を得ての新たな戦い。
ただ、真実に基づいた審理を求めての戦い。
そういうことなんだと思う。
だから、ただその場凌ぎの損得勘定だけの人には想定外のことだったろう。
(ま、自分も想定外であったことは情けないが)
このことが広く世間に知れ渡れば、いままで冤罪に泣いてきた人は須く応援するだろう。やりたかったけれどできなかった人は数え切れないほどいるに違いない。
是非、マスコミの方は声を大きくして報道していただきたい。
きっこさんもまた応援してほしい。
微力で恐縮だが、私もここで毎日発信だ。
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