ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

幕切れ(1)

2010年10月02日 | 中国(4)烏市→喀什
肺炎の症状が完全に消えて1週間。
因縁のタシュクルガンへ、リベンジ&リハビリランに行った。



行きはバス。自転車を載せるのは交渉。最初は案の定駄目だと言われたが、食い下がって目の前で分解して見せたら成功。追加料金もなしにしてくれた。

前回訪れてから半月しか経っていないのに、途中4100mの峠には雪が積もっている。情報は耳にしていたので、冬物の服は買ってある。靴下だって厚めのものを捜し歩いた。
バスは途中休憩ばかりでノロノロ運転。6時間経って着いたのは夕方だった。夕暮れのタシュクルガンは気温7度。案の定、真冬の寒さだった。


翌日。宿の窓から朝日を浴びて輝く雪山が見える。天気は快晴とは言えないが、まずまず。峠を挟んで100km先の「カラクリ湖」を目指して予定通り出発した。体調のほうは、3日前からの軽い下痢が止まらないが、それは中国では日常茶飯事。現地人だってよくお腹を壊しているし、自分もそういう状態で走っていた。そして気づくと治っており、忘れたころにまたゆるくなる…そんなものだった。体は少しだるい。しかし、それは軽い高度障害(高山病)だろう。青海省でも経験済み。ゆっくり行けば大丈夫。

走り出して15km。標高3200m地点。息が上がるのが異常に早い。やはり高度障害だと思った。ゆっくり行けばいい。テントもあるし、まだ村もある。峠までは60km。足がだるいのはここ2、3日続けているカシュガル近郊のトレーニングの筋肉痛だろうか。


しかし、それらは全て油断だった。
途中、不意に便意に襲われる。大便に異常あり。ゆるすぎるのだ。水一歩手前のよう。
悪いものを食べた記憶はないのだが…あるいは、高地で体が弱っているところに、先日から続いている軽い下痢の原因菌がいよいよ本気になって暴れだしたか?
そして、寒い。いや、もともと寒いが、明らかに発熱を知らせる悪寒。
2週間前の悪夢が脳裏に蘇る。徐々に足取りが鈍くなる。





世界の屋根と称されるパミール高原の東端。
雪をいただいた、標高7000mを超える山々。色黒のタジク人。無数の羊、そしてヤク牛。夢にまで見た、そして2度もアタックしたその風景が、惜しげもなく眼前に曝け出される。
しかし、それを楽しむ余裕もなく、よろよろと力なく次の村までたどり着いた。


生まれて初めてヒッチハイクをした。
猿岩石のように通行車に親指を立てて…なんてナリじゃない。休憩のために偶然止まった国際トラックの運転手が、言葉の分かる漢族だったから恐る恐る話かけてみただけだ。
パキスタンから来た隋さんは、カシュガルまでなら一緒だからと快くOKしてくれた。彼はさすが国際ドライバー、英語も完璧に話せる。漢語と英語を混ぜてくれれば、筆談しなくても最低限の会話はできる。トラックに揺られながら、しばしお互いの仕事のこと、そして家族のことを話した。


トラックの助手席は想像以上に見晴らしがいい。岩と砂でできた東パミールの台地は、午後の暖かい日差しに照らされてまぶしかった。そして、ゆっくり、かみ締めるように、キルギスへ行ける体ではないことを自覚し、日本へ帰ることを決心した。2戦2敗。自分の限界が、ここにあった。


○トラックから


○途中、気を利かしてカラクリ湖で写真タイムを作ってくれた。
 湖の向こうはムスターグ・アタ峰(7,546m)


カシュガルに近づくにつれ、下痢は激しさを増していった。
高度障害だと思っていた体のだるさは、全く取れなかった。
低地に降りて気温が上がっても、寒気は引かなかった。

道中、隋さんは「俺は日本のことが好きなんだ」と言って、いろんな話をしてくれた。中国で有名な芸能人、使っている日本製品とその良い点、日本のブランド力がいかに浸透し、人々がそれにあこがれているか…。そして、いつか日本へ行きたいと言った。おれも日本でトラックドライバーできると思うか、と聞かれた。
できるに決まっている。でも、日本で働いたって、物価が高いから暮らしは大変だし、休みも全然ないんだよ。たくさんの人が心の病気にかかって、自殺もしている。中国の人たちはいつも家族一緒で、モノも豊富で、それなりに豊か暮らしをしているんだよ。例えトイレに紙が流せなくても、水道の水が飲めなくても、道が穴だらけでも、家にパソコンがなくても、部屋が狭くて汚くて、照明が裸電球一個でも、毎日家族揃って飯が食えて、毎日家族揃って眠ることができるなら、これ以上の贅沢があるか。これが叶えられない日本で、それでも働きたいのか。それでも、日本国を豊かだと思うのか。

…そんな込み入ったことまでは到底言えず。
彼には悪いと思ったが、愛想笑いも程ほどに、無口な青年を装った。


カシュガルまで10km、トラックは日の暮れかかった車庫に着いた。
隋さんはお金が欲しそうな素振りなどは一切見せず、何事もなかったかのように去って行った。

暗くなったポプラ並木の道を、市内へと急いだ。


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