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竹瓦ブルー

別府市にあるライブハウス「音楽博物館・ヒットパレードクラブ」のハウスバンド「ヒットパレーダース」公式メンバーズブログ

ギター日記15

2010-04-07 03:32:19 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーです。

そして、キャバレーのバントに入って2、3日していきなりバントの忘年会がありました。


慣れないお酒や、慣れない人間関係、仕事が出来ない自分と、とても忘年会の気分ではない情けない自分を思い出します。

忘年会が終わってからの帰り道はため息をつくばかりでした。


そして、初めてキャバレーのバントに入ってよちよち歩きの僕は、毎日が迷子の子犬の様な心境でした。


実際にギターを指導してくれる人はいないので、独学で勉強です。


バントマスターが何百曲もギター用の譜面をコピーしてくれたので、セロハンテープで貼る作業の連続でした。


どの譜面を見ても、ちんぷんかんぷんです。


でも環境はプロの世界ですから、普通よりは成長は早いものです。


因みに入ったキャバルーのフルバンドの、リズム体の構成は、僕が入って4リズムになり、
★ドラムス、
★ベース、
★ピアノ、
★ギター、

金管は
★1stトランペット(主にメロディ)

★2ndトランペット(主にハモリ&アドリブ)

★1stトロンボーン(主にメロディ)

木管は
★1stアルトサックス(主にメロディ)

★2ndテナーサックス(主にメロディ)

★3rdアルトサックス(主にハモリ&アドリブ)

★4thテナーサックス(主にハモリ&アドリブ)
の様な構成です。

まあアドリブなどは臨機応変に。


そして僕はもちろんフルバントの方も演奏するのですが、その間に順番に小編成のコンボ(四人位)に分かれて演奏をします。


1日の流れは大まかに
コンボ→
フルバント→
(ショータイム)→
コンボ→
(ショータイム)→
フルバント→
コンボ、
みたいな感じで1日が終わります。


フルバントではほとんどリズムギター(メロディ無し)なのでごまかしは効きますが、小編成のコンボはそうゆう訳にはいきません。


メロディーやアドリブが回ってきます。


メロディを弾けば間違うし、アドリブをすれば、見失うし散々な演奏でした(隣のベースの先輩からの怒鳴り声が聞こえます)

それでも、ここで頑張らねば、ギター人生は終わりだし、家に譜面を持って帰って必死に練習です。

やはり譜面に慣れるためには反復練習あるのです
勉強、勉強の毎日でした。

ではまた(^_^)

ギター日記14

2010-03-29 02:07:51 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちは!(^_^)

先程ジョニーから紹介を受けましたミッキーです(笑)

さて、あるH・K君からの情報によると、別府の桜も一瞬満開と思うような、五分咲きにびっくりドンキーしました。

そろそろ皆さんもお花見の準備に忙しいのでは?

ではではいつものギター日記を…!


そして、初めてのバンドの仕事をクビになって少しして、
知り合いの電器店の兄ちゃんの同級生のドラマーの奥田さんが、

それならと、丁度、奥田さんが勤めるキャバレーのバンドにギターがいなかったので、

僕をバンドマスターに紹介してもらいました。

優しいバンマスは譜面の読めない僕に、少しづつで良いから頑張って勉強しなさいと暖かく迎えて頂きました。

とてもラッキーでした。

お店の場所は当時の別府駅前の近鉄百貨店の海側に有った「ぼんつるみ」と言うキャバレーでした。

今は近鉄百貨店は平地に、ぼんつるみは、駐車場になっていますね。


近鉄百貨店の近くに、僕達のラストコンサートをしたライブハウス「幻想」も有りました。


当時この「キャバレーぼんつるみ」のライバル店と言えは「マンモスクラブ窓」なのですが、それが現在のヒットパレードクラブなんですよ(町子社長のブログにも書かれてありましたね)


ぼんつるみのバントの編成は、9人で僕が入って10人編成になりました。(小編成のフルバント形式です)


多分、マンモスクラブ窓の方も同じ位の編成だったと聞いています。


ヒットのステージの上の段には小編成のビックバントが、前の方のボーカルのステージの段に、ショーの方達が出演していたんですね。


今は前方下段のステージは固定していますが、
皆さんの踊っている床の高さから、僕の立っている床の高さまで上下にステージが移動するんですよ。


もっと前にはこのような大きなお店や4~5人の小編成のバンドも沢山あって生のバンドの華やかな時代だったんですね。

もちろん、はっちゃん、ぶんちゃんの方の様な流しの方もいて、前に書いた酒屋の角打ちや、道すがらでよく見掛けていました。


そしていきなりステージに上がって譜面をみながらの演奏なのですが、すぐに譜面を見失ってしまい、散々でした。

先輩に叱られながら、冷や汗の時代が始まりました。

で~はまた(^_^)


ギター日記13

2010-03-24 03:09:47 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーです。

今日も雨の中、本当にたくさんのお客様のご来店ありがとうございました

では今回はいつものギター日記を


…そしてビアガーデンのアルバイトも終わり、自分でも身の振り方を考えてた時期に、
またまた電気店の兄ちゃんが、彼の同級生を紹介してくれました。

彼の同級生の奥田さんは、とても上手いプロのドラマーで、キャバレーのバンドマンでした。

幸いにも奥田さんは僕のギタープレーを認めてくれました。
そしてあるお店を紹介してくれました。

当時は全盛だったお色気系のクラブでした。
着飾ったお姉さま達の前で、どぎまぎしながらの初めての演奏でした。

この時に一緒に演奏していたキーボードの方(クッキー!←2代目のキーボード)とは後でヒットで一緒に演奏することになります。

このキーボード(クッキー)の弟さんが、山口君が歌っていたお店の「バケーション」のギタリストです(僕の尊敬するギタリストで色々と勉強になりました)


今は生のバンドが常に入っている場所は、別府ではヒットしか残っていませんが、当時は意外な場所にも生バンドが入っているくらいに、別府も生バンドの職場が豊富だったんですね。


そして、そのお店の先輩のドラマーの増山さんによくカクウチに連れて行ってもらいました。

(☆カクウチとは普通の酒屋さんに小さなカウンターがあって、お酒をグラス単位で販売してくれて、その場でお酒を頂きます。つまみなども店内で買い、お店の店主と世間話などします)

酒屋に行くと他のバンドマンの方もカクウチをしていて、世間話に花が咲きます。これも一つのバンドの勉強ですね(笑)

しかし、一ヶ月半で仕事はクビになりました。

何故ならば、僕は楽譜が読めなかったからですね。

僕のギター人生の危機でした。

バンドマスターに「他にいって勉強して来い」とやはりプロの世界はそんなにあまい物ではなかったのですね。


そして、それではとドラマーの奥田さんが…!

ではではまたまた(^_^)


ホワイトデー日記

2010-03-15 04:01:13 | 『Micky(ミッキー)』

こんにちは!昨日はジョニーのブログの写真で本気にボケていたミッキーです(笑)!(^_^)


さあ、今日は女性の方にはルンルンのホワイトデーでしたね。

世間ではバレンタインのお返しはよく三倍返しとか言いますが、ビデオの録画の三倍速みたいに画質が悪くなったり、麺つゆみたいに三倍に薄めちゃって丁度良いあんばいになった男性はいないかな?(冗談です、)


そして、ヒットでもホワイトデーの企画を開催させて頂きました。


しかし、なぜホワイトデーと言うのか、僕の素朴な疑問でした?

人の名前?
ホワイトチョコ?
白い一日(小椋佳、笑)
と今まで考えたこともありませんでした。


えっとですね?、始まりは1980年に全国飴菓子工業協同組合による第一回の全国規模のホワイトデーが開催されたそうです。

そしてまた、それとは別に1977年に、僕の父もとても好きだった(鶴乃子)で知られる、福岡の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が白いマシュマロを売り出し、全飴協同組合よりも先に考案したという説もあるそうです。

キャンディやマシュマロやクッキー、ホワイトチョコなどがお返しの定番ですね。

最近では時計やアクセサリーなども流行っているそう。

欧米などにはホワイトデーの習慣はなく、日本特有の習慣だそうです。

でも韓国や台湾では日本の影響を受けて、4月や5月の14日に、
☆ブラックデー、
☆イエローデー、
☆ローズデー、
などがあるそうです(ビックリです)


そして、ホワイトデーの語源は、飴の材料である砂糖が白色だった事に因んでホワイトデーになったそうです(聞けばなるほどと思いますが意外でした)


そしてメインのステージですが、数曲演奏して、まず抽選会がありました。

まず5名のお客様にブレゼントが当たりました。

更に5名のお客様にブレゼント&メンバー全員のサイン色紙が当たりました。




そして更に5名の方のリクエストを抽選しました(ブログのタイトルの竹瓦ブルーも入っていました)



☆そして、最後は、メンバー全員による初めてのアカペラです。

皆でステージの前段に降りて緊張ムードで(特に楽器陣は楽器が手元にないから更に緊張緊張)


みんなで

ロックアラウンド・ザ・クロックから

スタンドバイミーのメドレーのアカペラです。

スタンドバイミーの最後では、ワンコーラス単位で、それぞれメンバーが順番に歌ってソロでアピールして緊張の連続。(^_^;)

何とか無事に終わり皆でホッとしています!



☆最後に今日は皆様の暖かいご協力と、たくさんの皆様のご来店ありがとうございました。


また何かの企画時には、気軽にお越し下さいね!


ではでは(^_^)


ギター日記12

2010-03-12 03:59:19 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーです。

今週はとても寒いですが、それでも本当に連日たくさんのお客様のご来店ありがとうございます
(^_^)

ではギター日記を!

そして、それぞれの道を歩き始めて、僕はある農機具のメーカー(オレンジ色)に就職するのですが、少しの期間でダウンです(ダメ人間発揮、苦笑)

でも短い期間でしたが、色々な意味での社会勉強になりました。(でも怖かったのは大きなトラクターの運転でした、恐怖)

そして、家でウダウダしていると、心配した知り合いの電気店の兄ちゃんが、気分晴らしにと、別府大学の器楽部を紹介してくれました。そしてメンバーと一緒に演奏を楽しんでいました。


そのバンドのギターの浜崎君は(ジェフベック)が好きで、そしてギターもとても上手くて良い刺激になりました。


そして、少し経って器楽部のメンバーにビアガーデンのアルバイトが舞い込みました。


ホテルのビアガーデンでのバンド演奏です。
(現在も一番スパビーチが綺麗に見えるホテルですよ)


僕も一緒にビアガーデンのバイトに入れて貰い、当時流行のディスコナンバーやロック、そして浜崎君の得意な「哀愁のヨーロッパ」を、
サイドギターは僕が担当です。(ディープパープルばっかりだった僕はこの手の曲は当時は余り知らなかったんですね、苦笑)

あっ、高校卒業時のラストコンサートをした「ライブハウス幻想」のハウスバンドの「1ドル50セント」のギターの方も「哀愁のヨーロッパ」を得意にしていましたね。

※当時のギターリストには必須だったんですかね?


そして、ビアガーデンで慣れないシッフルのリズムでギターアドリブをして、この手のギターテクニックが甘かった僕は、客席からお客さんに「おいギター、テクニックが甘いぞ~」と野次られる始末(初めて下手と言われてショックでした、涙)

そして、確か?ビアガーデンのアルバイトは週に3、4日ペースの演奏だった記憶がありますが、初めてギターで稼いだお金を受け取った時は感動しましたね(プロになった様な気分、笑)


でもギター弾いて野次られたり、お金を貰ったりと色々な意味で勉強になりました。


やはりアマチュアのアルバイトとはいえ、お金を貰って演奏する厳しさを感じました。


そしてビアガーデンのシーズンも終わりまた少しボケっとしていると!

また電気店の兄ちゃんがぁ

ではまた(^_^)