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竹瓦ブルー

別府市にあるライブハウス「音楽博物館・ヒットパレードクラブ」のハウスバンド「ヒットパレーダース」公式メンバーズブログ

ギター日記11

2010-03-06 04:36:54 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーでっす。

最近は雨がとても多いですね。
来週からまた寒くなるので、皆さん防寒して風邪引かない様に気をつけて下さいね。


で~はギター日記を!
(^_^)

別府の夜の街は余り出た事がなくてワクワクしていました。


今はヒットのカラオケルームの中で、一番広い「カサブランカ」と名前が付いたカラオケルームがありますが、
これは有名映画の「カサブランカ」から由来しています。


皆さんがいつも座っているお席も、

☆ハリウッド!
☆サンセットストリート!
☆ロデオ!
☆ブロードウェイ!
☆バーボンストリート!
☆ビバリーヒルズ!

など、深瀬俊夫社長のイメージで、お客様の席にも名前が付いているんですよ。


そして僕が高校を卒業した頃は窓グループがヒットの近くの場所で実際に「カサブランカ」と言うお店に携わっていました。


「カサブランカ」という名付けにも前深瀬俊夫社長の色々な想いが伝わって来ますね。


そして皆で初めて楠銀天街の近くのお店に入りました。

その「カサブランカ」と言うパブは弾き語りの方が二人いて、僕らの音響を手伝ってくれた(三木君)と(ニックネームは想像通りミッキーです、笑)

もう一人は(ジョージ赤松さん)が歌っていました(なんだか年代を感じる名前ですね)

二人共にギターとリズムボックスを混合して歌うスタイルです。


初めて聞く、いわゆるプロの歌に(サントアマミー、ろくでなし、アドロなど他)聞き惚れていました。


そしてやはり、初めてのお使い?
あっ、間違った初めてのお酒ですね(笑)。


やはり当時はお酒の味が分からないので、お酒はあまり良い思い出はなかったかな


最後はみんなと肩を組んで、商店街を歩き楽しい思い出でした……!


そしてそれぞれの道を歩き始めます。


ではでは(^_^)



ギター日記10

2010-02-28 03:12:32 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーです

今日は雨の中、本当にたくさんのお客様に来店して頂きありがとうございました!(^_^)

最近は気温の変化がかなり有るので皆さんも風邪などに気をつけて下さいね!

ではでは、いつものやつを

卒業式の曲と言えば、僕たちの時代はやはり「ほたるの光」や「仰げば尊とし」が定番でしたが、最近ではこの二曲は余り歌われないそうですね。
やはり時代の流れを感じますね~!

そして卒業式が終わったその日に別府の駅前の「ライブハウス幻想」で僕たちのバンドの最後のライブをやりました。

ハウスバンドに「1ドル50セント」というバンドが入っていました。
当時はソウルやディスコが全盛の頃でダンスもその系統のものが流行っていました。

卒業してからはよくこのお店に行き、そしてお店にはジュークボックスが有って、小銭を入れてよくリクエストしていましたね。

当時ダントツで流行っていた曲はスティービーワンダーの「迷信」でした。

あと、「ゲットレディ」や、お馴染みのサンタナの「哀愁のヨーロッパ」などが、リアルタイムで流行っていた頃でしたね(懐かしい)

そして(トラガリバンド)最後のステージは幸いにも満員で、かなり盛り上がりました。

もちろん「迷信」も演奏しましたが、やはりこの曲が一番受けましたね。

「迷惑」を演奏すると、当時流行っていた足や手を使った、何かクネクネするダンスをみんな踊っていました。

そしてバンドメンバーと初めて夜の別府のネオン街に繰り出すのでした…!

ではでは(^_^)



三年祭

2010-02-22 03:19:40 | 『Micky(ミッキー)』
2月21日(日曜)に故深瀬俊夫前社長、故深瀬和子前会長の三年祭(三回忌)がヒットパレードクラブで行われました。


たくさんの皆様にお越し頂き深く御礼申し上げます。


まず深瀬町子現社長の深瀬家挨拶から始まり、前社長、前会長の思い出を語られました。


そしてご来賓の挨拶。


今日は音楽や賑やかな事が好きだった深瀬俊夫前社長、深瀬和子会長に思いが届けばと思います。


そして、深瀬和子前会長にいつも優しい言葉をかけて頂いた事を思い出します。



深瀬前社長は大分合同新聞の「灯」に13年間に渡りコラムを連載されておりました。


今回はそのコラムを一冊の本に纏めて、来場の皆様に配らせて頂きました。


新聞のコラムには顔写真も載っていたので、見れば思い出す方が多いはずです。


この本を見れば深瀬俊夫前社長がどのような方だったか、良く分かる様になっています。

僕も一冊本を頂きましたが、立派な完成度の高い本の仕上がりに感銘を受けました。



★そしてステージではまず深瀬俊夫社長の作曲によるサザエさんの劇中曲のメドレーです。

題名は、

☆公園☆
☆おつかい☆
☆ほがらか☆
☆冒険☆

の4曲の演奏です。


★次に竹瓦ラブソングスを三曲披露しました。

「竹瓦オンマイマインド」
作詞深瀬俊夫
作曲深瀬俊夫


「さがしていたのは君」
作詞深瀬俊夫
作曲ミッキー矢野


「竹瓦ブルー」
作詞深瀬俊夫
作曲ミッキー矢野

の三曲です。

そして定番の
恋の片道切符
バケーション
ダイアナ
バウンドドッグ
と続きます。



★竹瓦ラブソングスのコンセプトは、ヒットを中心に自分の足元から半径50メートルを、見つめ直してみようと言う、前社長の発想から始まりました。


今思えば、スタジオに何日も何時間も缶詰めになり、深瀬社長とバンドメンバーで、ああでもない、こうでもないと、苦労しながらレコーディングした事を鮮明に懐かしく思い出します。



深瀬社長は元々の本業は東京で作曲家やアレンジャーをしていたので、色々なプロフェッショナルな指導をして頂きました。

(昭和の大作曲家の船村徹先生の甥にあたる深瀬俊夫社長は、その血筋なのか、やはり並々ならぬ音楽の才能に溢れた方でした)


そして皆の思いが込められた竹瓦ラブソングスはCDになり当時発売されました。



最後なりますが、先代深瀬俊夫社長の遺志を継ぎ、これから先もヒットパレードクラブ従業員一同でこのライブハウスを盛り上げて行きますので、これからも皆様の暖かい応援をよろしくお願い申し上げます。



【追記】
今回は関係者のみで日中行われ、一般入場はできませんでしたが、18時からの通常営業では竹瓦ラブソングスの中から、このブログのタイトルにもなっている「竹瓦ブルー」と「さがしていたのは君」の2曲を第3ステージで披露させて頂きました。

ギター日記9

2010-02-16 02:13:59 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーでっす

バレンタインも終わり、女性の方は好きな男性に想いを伝えられましたかね?

今日はヒットもお休みでテレビ見ながら、ゆっくりとブログのカキコです。
なかなか鼻炎が良くならないので、今日は病院から抗生物質を出してもらいましたが、最近はたちの悪い風邪が流行っているので皆さんも気をつけてチョコレート(笑)


ではではいつもの続きを……!!


そして高校も三年になりその当時は前のブログにも書きましたが、僕は太っていて、更に登校拒否気味な駄目な生徒でした訪問やよく先生から叱られてましたね。
(^_^;)

クラスの殆どが女子だったので、当時は女子と恥ずかしくて余り話も出来なくて、太っていて学校に行くのが恥ずかしい、とかも有ったのですね

でもギター熱だけは更に熱くなって行きました。

色々な面で駄目な僕でもギターを持てばみんなが応援してくれるので、当時は唯一の心のよりどころだったのでしょうね。

そしてもう一本グレコ製のストラトキャスターのギター(6万位)を手に入れました。

ギターの練習は毎日しますが、高校はよくさぼってました(苦笑)

そしていよいよ最後の文化祭の季節です。
みんなバザーや色々な部門で活躍です。

もちろん僕らは野外の校舎の前の時計台の所でライブです。

やはりロック系の曲が中心ですが、バンドのボーカルの山口君が当時人気の沢田研二が好きだったので、「時の過ぎ行くままに」なども演奏しました。

これが意外と受けるのですが、実は歌謡曲はロックなどよりも、色々と勉強になる事が多々あるんですよね。


因みにボーカルの同級生の山口君はヒットが開店する前くらいの時期に大分に「バケーション」と言うオールディースのお店がオープンしてそこで歌ってました(僕の尊敬するギターの先輩もそこでプレーしていました)


そして春も近くなり、いよいよ卒業がやって来ます。

ではでは(^_^)




ギター日記8

2010-02-09 00:48:57 | 『Micky(ミッキー)』
こんにちはミッキーです

そうですねヒットパレードクラブは当時の深瀬町子夫人(現社長)のその一言がなければ、別府に存在しなかった筈ですね。
町子社長に、
もちろんヒットの創始者、深瀬俊夫社長に感謝ですね



では、いつもの続きを…
当時フォーク畑が有った様にロックの方面ではミュージック村という集まりがありました

今はスパビーチになって一面砂浜ですが、当時は地面が一面コンクリートで固められていて、波よけのテトラポットもあり周囲には横に長いコンクリートの階段がありました

その階段が客席になり、海側に矢倉を組んでミュージック村のコンサートが年に一回だけ夏に開かれていました

そして僕らはミュージック村の主催のロックコンサートに出演出来るようになりました

コンサート出演は初めてで、更に野外でもあり、本番は大変に緊張しましたが何とか乗るきる事が出来ました

事件と言えば二度目に出演した時にボーカルの山口くんが、乗りすぎてリッチーブラックモアばりにギターを床のコンクリートに叩きつけて、折れたネックで手をケガしました(危ないので真似しないでね、)

やはり野外コンサートは緊張もしましたが開放的でとても気持ちが良かったですね

そして当時ラジオ番組で「ぶんごミュージックレーダー」と言う番組があり、アマチュアの皆がよく生テープやライブテープなどを番組に送っていました

そしてその番組でバンドの演奏を放送してくれるのです

その時に送った曲は、ジョニーウィンターバージョンの(原曲はローリングストーンズ)の「ジャンピングジャックフラッシュ」でした

そして自分たちの演奏がラジオから流れた時は感動物でした

短い3分位の間ですが、自分たちの演奏が大分県中に流れていると思うと何か不思議な気持ちになりました

ディスクジョッキーの(ちあやほうぶんさん)のアドバイスもとても参考になりました

懐かしい想い出です
ではではまたまた(^_^)


追伸、
え~?ジョニー火曜日からステージがぁ?????