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浄土真宗親鸞会 きらり☆金沢

金沢で親鸞聖人の教えを学ぶ仲間たちのブログ

煩悩はどうなる?

2009-07-05 23:34:28 | 講演会~親鸞会館~
今日は親鸞会館にて講演会がありました。

正信偈の
「已能雖破無明闇
 貪愛瞋憎之雲霧
 常覆真実信心天
 譬如日光覆雲霧
 雲務之下明無闇」
についてのお話でした。

阿弥陀仏に救われたら、無明の闇が晴れたら、欲や怒りや愚痴などの煩悩はどうなるのか
という内容でした。

本当は一言ずつ説明できたらいいのですが・・・、あまりにも長くなりそうなので要点だけをお伝えします。

阿弥陀仏に救われても(正信偈では真実信心とありますが、別の言葉でいえば信心決定しても、信心獲得してもということです)、煩悩は無くなりもしなければ、減りもしない。

このことを親鸞聖人は譬えをもって教えられています。

太陽が出ていたら、どんなに雲や霧が覆っていても雲や霧の下は明るい。
真実信心という太陽が出ていたならば、煩悩の雲や霧が覆っていても心は明るい。

私達は、煩悩具足の凡夫といわれますが、自分が煩悩具足だとは思っていません。
阿弥陀仏に救われて、煩悩具足の凡夫だと知らされるのです。
煩悩具足と知らされるところまで聞かせていただきましょう。

↓話は変わりまして、今日の昼休みは(前回もあったのですが)、一万人広場のブロックを運び出すという作業がありました。

たくさん敷き詰められていたブロックがこの通りなくなってしまいました。
このブロックはF館の建立で使われるそうです。
いよいよF館の建立も楽しみになってきましたね。

2009-06-29 23:51:55 | 講演会~親鸞会館~
昨日は親鸞会館にて講演会がありました。

本願成就文の「聞其名号」についてのお話でした。

なかなか難しい話だったのですが、少しでもお伝えしたく・・・。
今回は「聞」について。

聞というのは、どういうことを聞くのか?

『「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて、疑心有ること無し。これを「聞」と曰うなり。』
こう親鸞聖人は教えられています。

衆生とは私達のことです。

仏願とは阿弥陀仏の本願。
「すべての人は悪人である
 必ず絶対の幸福に救い摂る」
という阿弥陀仏のお約束です。

その生起。
そのような本願を誰のために建てられたのか?
絶対に助からない極悪人だから、こんな本願を建てられた。
これが仏願の生起です。

しかし私達は極悪人だと自覚はない。
何とかすれば何とかなれると思っている。
これが仏願の生起に疑心があるということです。

有ること無し、とは永遠に無いということ。
ただ無しと言った場合は、今は無いが後で有るかもしれない。
有ること無しだから、仏願の生起に疑いが永遠に無くなった、ということです。

ここまで聞け、と親鸞聖人は教えられているのです。
真剣に続けて聞かせていただかねばなりませんね。

親鸞聖人降誕会(後編)

2009-06-22 23:19:17 | 講演会~親鸞会館~
前回の続きです。

信心獲得した人は、無碍の一道に出られる。
では、どうすればこのような身になれるのでしょうか。

聞いてみましょう。
「願に相応するゆえに
 教と仏語にしたがえば」
と教えられています。

願とは、阿弥陀如来の願。
誓願ともいいますから、阿弥陀如来の誓い、約束ということです。
『すべての人は悪人である
 必ず絶対の幸福に救い摂る』
という約束です。

教とは、お釈迦様の教え。
仏教の根幹である因果の道理。
廃悪修善、悪いことをやめて善いことをしなさい、ということです。

仏語とは、諸仏の言葉、教え。
阿弥陀仏の願まことだから聞けよ、と諸仏方が教えておられるのです。

願に相応し、教と仏語にしたがって、信心獲得でき、外の雑縁さらにない身になるのです。
早くその身になれるよう、続けて聞かせていただきましょう。



春には満開だった桜も今はこんな感じです。
もう夏ですね。

親鸞聖人降誕会(前編)

2009-06-21 22:26:46 | 講演会~親鸞会館~
昨日、今日と2日間、親鸞聖人降誕会が親鸞会館にて行われました。

親鸞聖人がお生まれになられたことを祝して勤められる御縁です。

親鸞聖人のお言葉、
「利他の信楽うるひとは
 願に相応するゆえに
 教と仏語にしたがえば
 外の雑縁さらになし」
について、教えていただきました。

利他の信楽とは他力の信心ということです。

世間で信心というと、心で何かを信じることをいいます。
例えば、明日も生きておれると信じている。
他にもいろんなことを信じて私たちは生きています。

しかし、それらは、
「万のこと皆もって、空事たわごとまことあることなし」
と親鸞聖人が言われている通り、まことはないのです。

親鸞聖人の言われる信心は、そういうものとは全然違います。
他力の信心、阿弥陀仏のお力によっていただく信心のことなのです。
他力の信心をいただいたことを、信心獲得とか信心決定とかいわれます。

信心獲得した人は、どうなるのか?
外の雑縁さらになし。
何事も障りとならない世界に出られるのだ、と言われています。

歎異抄には、
「念仏者は、無碍の一道なり」
と言われています。

では、どうすればそのような世界にでられるのか
続きはまた今度・・・。

仏法聞き難し

2009-06-10 21:56:49 | 講演会~親鸞会館~
前回の続きです。

人間に生まれたことの喜びが教えられているのは、仏法だけです。
しかし、仏法を聞くことがまた難しいのです。

「仏法聞き難し」
とお釈迦さまが言われているとおりです。

ヒマラヤ山の頂上から糸をたらして、麓にある針の穴に通すことができるか?
とても考えられませんね。
しかし、仏法を聞くということは、麓にある針の穴に糸を通すよりも難しいことなのです。

聞き難い仏法を、今聞けているということは本当に幸せなことです。
人間に生まれてきて良かったという生命の大歓喜が得られるところまで、続けて聞かせてきただきましょう。