今日は親鸞会館にて講演会がありました。
正信偈の
「已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧
雲務之下明無闇」
についてのお話でした。
阿弥陀仏に救われたら、無明の闇が晴れたら、欲や怒りや愚痴などの煩悩はどうなるのか
という内容でした。
本当は一言ずつ説明できたらいいのですが・・・、あまりにも長くなりそうなので要点だけをお伝えします。
阿弥陀仏に救われても(正信偈では真実信心とありますが、別の言葉でいえば信心決定しても、信心獲得してもということです)、煩悩は無くなりもしなければ、減りもしない。
このことを親鸞聖人は譬えをもって教えられています。
太陽
が出ていたら、どんなに雲や霧
が覆っていても雲や霧の下は明るい。
真実信心という太陽が出ていたならば、煩悩の雲や霧が覆っていても心は明るい。
私達は、煩悩具足の凡夫といわれますが、自分が煩悩具足だとは思っていません。
阿弥陀仏に救われて、煩悩具足の凡夫だと知らされるのです。
煩悩具足と知らされるところまで聞かせていただきましょう。
↓話は変わりまして、今日の昼休みは(前回もあったのですが)、一万人広場のブロックを運び出すという作業がありました。

たくさん敷き詰められていたブロックがこの通りなくなってしまいました。
このブロックはF館の建立で使われるそうです。
いよいよF館の建立も楽しみになってきましたね。

正信偈の
「已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧
雲務之下明無闇」
についてのお話でした。
阿弥陀仏に救われたら、無明の闇が晴れたら、欲や怒りや愚痴などの煩悩はどうなるのか

という内容でした。
本当は一言ずつ説明できたらいいのですが・・・、あまりにも長くなりそうなので要点だけをお伝えします。
阿弥陀仏に救われても(正信偈では真実信心とありますが、別の言葉でいえば信心決定しても、信心獲得してもということです)、煩悩は無くなりもしなければ、減りもしない。
このことを親鸞聖人は譬えをもって教えられています。
太陽


真実信心という太陽が出ていたならば、煩悩の雲や霧が覆っていても心は明るい。
私達は、煩悩具足の凡夫といわれますが、自分が煩悩具足だとは思っていません。
阿弥陀仏に救われて、煩悩具足の凡夫だと知らされるのです。
煩悩具足と知らされるところまで聞かせていただきましょう。
↓話は変わりまして、今日の昼休みは(前回もあったのですが)、一万人広場のブロックを運び出すという作業がありました。

たくさん敷き詰められていたブロックがこの通りなくなってしまいました。
このブロックはF館の建立で使われるそうです。
いよいよF館の建立も楽しみになってきましたね。
