こんにちは
突然ですが、お知らせです。
“きらり☆金沢”は引っ越しします
(してました・・・)
新しくなった“きらり☆金沢”はこちら。
http://ishikawa-shinshu.net/blog/
今後ともよろしくお願いいたします。
昨日は、金沢市内のTさんのお宅で、高森顕徹先生のテレビ座談会がありました。
私たちが、朝晩おつとめの時に拝読する、蓮如上人の聖人一流の章について教えていただきました。
「聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候。」
親鸞聖人90年間教えていかれたことは、信心一つで助かるということ。
何が助かるかというと、後生の一大事です。
信心一つで後生の一大事の解決ができるということです。
これを、信心為本とか信心正因といいます。
では、親鸞聖人の教えられた信心とはどういう信心なのか。
どうしたら獲得できるのか。
これについては、次回聞かせていただけることになっています。
続けて聞かせていただきましょう。
私たちが、朝晩おつとめの時に拝読する、蓮如上人の聖人一流の章について教えていただきました。
「聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候。」
親鸞聖人90年間教えていかれたことは、信心一つで助かるということ。
何が助かるかというと、後生の一大事です。
信心一つで後生の一大事の解決ができるということです。
これを、信心為本とか信心正因といいます。
では、親鸞聖人の教えられた信心とはどういう信心なのか。
どうしたら獲得できるのか。
これについては、次回聞かせていただけることになっています。
続けて聞かせていただきましょう。
今日は、金沢市内のTさんのお宅で講演会がありました。
「真実の自己」について教えていただきました。
仏教は法鏡と言われます。
私たちの本当のすがたを写しだす鏡です。
法鏡に写しだされた私たちのすがたはどうのようなすがたなのでしょう?
お釈迦様のお言葉を聞いてみましょう。
「心常念悪(心常に悪を念い)
口常言悪(口常に悪を言い)
身常行悪(体常に悪を行い)
曽無一善(曽て一善無し)」
仏様の目から見られた私たちのすがたは、一つの善もできない極悪人なのです。
親鸞聖人もこのことを、
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
と言われています。
この真実の自己が知らされるところまで、聞かせていただきましょう。
昨日は、金沢市内のTさんのお宅で高森顕徹先生のテレビ座談会がありました。
今回のお話の中で、布施について教えていただきました。
布施といっても、法施と財施の二つあります。
法施とは、仏法をお伝えすることです。
仏法をお伝えする時に、心掛けねばならないことは、
①正確に
②一人でも多くの人に
③一刻も早く
と教えていただきました。
次に、財施とは、お金や財を与えることです。
お金や財がないと与えられないと思う人もあるかも知れませんが、そうではありません。
お金や財がなくても与えることができると教えられているのが、無財の七施です。
無財の七施とは、
○眼施(げんせ)・・・優しい温かい眼差しで周囲の人々を明るくすること
○和顔悦色施(わげんえっしょくせ)・・・優しい微笑を湛えた笑顔で他人に
接すること
○言辞施(ごんじせ)・・・優しい言葉をかけること
○身施(しんせ)・・・肉体を使って人のため、社会のために働くこと
○心施(しんせ)・・・心からの感謝の言葉を述べること
○床座施(しょうざせ)・・・場所や席をゆずり合う親切
○房舎施(ぼうしゃせ)・・・求める人、訪ねて来る人があれば一宿一飯の
施しを与え、その労をねぎらう親切
の七つです。
どれも心掛け次第でできることですね。
与えることが大切だと教えていただきました。
心掛けて実践していきたいですね。
今回のお話の中で、布施について教えていただきました。
布施といっても、法施と財施の二つあります。
法施とは、仏法をお伝えすることです。
仏法をお伝えする時に、心掛けねばならないことは、
①正確に
②一人でも多くの人に
③一刻も早く
と教えていただきました。
次に、財施とは、お金や財を与えることです。
お金や財がないと与えられないと思う人もあるかも知れませんが、そうではありません。
お金や財がなくても与えることができると教えられているのが、無財の七施です。
無財の七施とは、
○眼施(げんせ)・・・優しい温かい眼差しで周囲の人々を明るくすること
○和顔悦色施(わげんえっしょくせ)・・・優しい微笑を湛えた笑顔で他人に
接すること
○言辞施(ごんじせ)・・・優しい言葉をかけること
○身施(しんせ)・・・肉体を使って人のため、社会のために働くこと
○心施(しんせ)・・・心からの感謝の言葉を述べること
○床座施(しょうざせ)・・・場所や席をゆずり合う親切
○房舎施(ぼうしゃせ)・・・求める人、訪ねて来る人があれば一宿一飯の
施しを与え、その労をねぎらう親切
の七つです。
どれも心掛け次第でできることですね。
与えることが大切だと教えていただきました。
心掛けて実践していきたいですね。
今日は、金沢市内のTさんのお宅で、高森顕徹先生のテレビ座談会が行われました。
いろいろお話があった中で心に残ったのは、蓮如上人の次のお言葉。
「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。
世間の隙をあけて法を聞くべきように思う事、
浅ましきことなり。」
世間の隙というのは、世間の仕事のことです。
その仕事をやめて聞くのが仏法だと言われています。
それじゃ、生きていけないじゃないか。
という人もあるでしょう。
では、何のために生きるのでしょう。
私たちは仏法を聞くために生きているのです。
だから、真剣に聞かせていただかねばなりませんね。
いろいろお話があった中で心に残ったのは、蓮如上人の次のお言葉。
「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。
世間の隙をあけて法を聞くべきように思う事、
浅ましきことなり。」
世間の隙というのは、世間の仕事のことです。
その仕事をやめて聞くのが仏法だと言われています。
それじゃ、生きていけないじゃないか。
という人もあるでしょう。
では、何のために生きるのでしょう。
私たちは仏法を聞くために生きているのです。
だから、真剣に聞かせていただかねばなりませんね。