浄土真宗親鸞会 きらり☆金沢

金沢で親鸞聖人の教えを学ぶ仲間たちのブログ

己が造りて 己が乗りゆく

2009-05-31 21:40:56 | 講演会~金沢~
今日は、金沢歌劇座別館にて講演会がありました。

「因果の道理」のお話でした。

私達は、悪い結果が起きた時、どうしても自分のまいた種だとは思えません。
あいつのせいだ、こいつのせいだ、と他人のせいにしてしまいます。

しかし、他因自果ということは絶対にありません。

「火の車 造る大工は なけれども
 己が造りて 己が乗りゆく」
という歌があります。

火の車というのは、悪い結果、運命のことです。
その悪い結果を造る大工はいない。
昔は車は大工さんが造ってましたから、こう言われます。

では、誰が悪い結果を造るのか?
己が造りて、己が乗りゆく。
自分がまいた種で、自分が苦しんでいるのです。

すべて自因自果なのです。

悪いことはやめて、善いことをするよう心掛けていきたいですね。

聴聞に極まる

2009-05-24 21:30:56 | 講演会~金沢~
今日は金沢で講演会がありました。

「仏法は聴聞に極まる」というお話でした。

”聞く一つで助かる”ということと、”聞いてさえおれば助かる”というのは違うことだと教えていただきました。

”聞く一つで助かる”というのは、聞即信の一念で弥陀の呼び声を聞くこと。
では、どうすれば弥陀の呼び声が聞けるのか。
そこまでは、善知識の教え、親鸞聖人の教えを聞く。
これが、聴聞の”聴”です。

しかし、”聞いてさえおれば助かる”ものではありません。
教えを聞いたということは、聞いた通りに実行するということです。
聞いた通りに実行した人だけが、弥陀の呼び声を聞くことができるのです。

聞即信の一念まで、教えの通り実行させていただきましょう。

もうすぐ降誕会

2009-05-21 23:01:02 | 日記
今日は、親鸞聖人のお生まれになられた日です。

私達は親鸞聖人がおられなかったら、真実の仏法を聞くことはできませんでした。
この親鸞聖人のご恩に感謝して勤められるのが降誕会です。

今度の親鸞聖人降誕会では、

「利他の信楽うるひとは
 願に相応するゆえに
 教と仏語にしたがえば
 外の雑縁さらになし」

の親鸞聖人のお言葉についてお話くだされます。

新型インフルエンザも気になるところですが、多くの人をお誘いして、真剣に聞かせていただきましょう。

珍しき法をも弘めず

2009-05-17 21:38:56 | 講演会~金沢~
今日は金沢で講演会がありました。

親鸞聖人が常に言われていた
「更に親鸞、珍しき法をも弘めず、
 如来の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
のお言葉について教えていただきました。

親鸞、決して今まで誰も説かれなかった珍しい教えを弘めているのではない。
お釈迦様のみ教えを、我も信じ、人にもお伝えしているだけなのだ。

私達も仏法をお伝えするとき、親鸞聖人のみ教えをそのままお伝えしなければなりません。

「我ら親鸞学徒は、更に珍しき法をも弘めず、
 親鸞聖人のみ教えを、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」

親鸞学徒常訓です。
私達は、この常訓を忘れることなく、親鸞聖人と同じ道を歩まなければなりませんね。

世界の光

2009-05-11 11:07:28 | 講演会~親鸞会館~
昨日は親鸞会館で講演会がありました。


↑駐車場に咲いていた花です。
きれいですね。春を感じます。

さて、今回は本願成就文についてのお話だったのですが、はじめに教学ということについてのお話がありました。

教学とは、教えを学ぶということですが、これは親鸞聖人の教えを学ぶということです。
親鸞聖人の教えは、世界の光と言われています。
それは、全人類の救われる道を教えていかれたからです。

例えば、太平洋の真ん中に放り出されたらどうしますか?
あたり一面、海と空しか見えません。
泳がなければ溺れてしまいますから、泳がなければなりません。

では、どこへ向かって泳げばいいのでしょうか?
どこへでも泳げばいいというものではありません。
大きな船があるのに、違う方向に泳いでいてはいつまでたっても船にたどり着くことはできません。
船のある方向を知らなければなりませんね。

親鸞聖人は、この船のある方向を教えられたのです。
この方向に泳げば大きな船が待っている。
こう教えるのは親鸞聖人だけです。
だから、親鸞聖人の教えは世界の光と言われるのです。

私達は、親鸞聖人の教えを正しく学ばなければなりません。
正しく学ばなければ、正しく進むこともできません。
もっともっと教学に励まなければなりませんね。