ほそみわ縁側日記

3人の子育て、仕事もフルスロットル。40路を超えても尚、あえて困難な道をゆく。負けるな、私!

2011-06-23 10:36:02 | Weblog
前に、このブログで、
ある上司というか先輩に大激怒した件、書きましたが、
その後、差しで(アルコールなしで)話し、
わだかまりが消えました。

いや、消えたというか、
その程度のことか、とホッとしたというかね。

私のいつもの「感じすぎ」でもあり、
先輩も普通のサラリーマンだったんだなあということもあり。

でも、いろんな人から
「あんなこと書いちゃって大丈夫?」と言われた。
中には、
「日記帳、プレゼントしましょうか?ああいうのは誰も読まない日記に書くんですよ」
と言ってくれる後輩もいた。

あたし、
もっとどす黒い感情は、それこそ「日記」に書いてますよ。
日記というか、「黒革の手帳」に。
いつも携帯している、学生時代から使ってる、
レアものふぁいろファクスに。

いちおう、あたしなりに、バランス感覚を持って、ブログに書くことは
選んで書いているのです。

ブログに書く、ということは、
私にとっては、「覚悟」。
だから、「あの人大丈夫か?」と心配?している人たち、
大丈夫ですから、あたし。


で、今日のタイトル、卵。

あたしは、第一子を出産してから
ずっとコンプレックスが心の奥底にあった。
それは、ディレクターとして、番組制作者としてのコンプレックスだ。
それでも番組好きだから、踏ん張って生きてるけど、
やっぱり、20代の頃の
「死んでもいい」という気分で番組を作る私ではいられなくなった。
それまでに、すごい実績を積んで、もう成仏、っていう時に
第一子を産む、というのではなくて、
これからもっと!って時だったから、
その中途半端感があたしをずっと苦しめてた。
もっとできるはず、もっとやりたい、っていうあたしと、
そうはいかないあたしと。

でもね、今週になって、なんかわかってきた。
最近の鬱みたいな更年期みたいな状態の正体。

結局は、コンプレックスが年月が過ぎるごとに
薄まるどころか、濃くなり、大きくなり、
あたしの心の底にべったり張り付いて、
いや、むくむくと大きく膨れあがって、
あふれ出てきてたんだなと、わかってきた。

あとわかってきたのは、「世間」(職場)の中のあたし。
あたしと先輩たちと世間。
メタ認知できてきた。

尊敬する先輩たちに対しての
あたしの気持ちと周囲の気持ちは大きく違ってたのだ。
あたしは、その先輩たちは、ずっと前の先輩たちのまま、あたしの中にあって、
それは今のこの世間では大きくずれてたんだ、
ということに、今さらながら気付いた。

今更ながらだ。
なんていう鈍感なんだろう。

尊敬し、仲良く遊んでいた友達でもあった先輩たちは、
もう、違うところに行ってしまっていた、ということだ。
でも、あたしの中には、あの頃の彼らがいて、
それが目の前の彼らと何か違うと違和感持ちながら、
そのズレに慣れることができなくて、
どう接すればいいかわからなくて、ずっと混乱していたんだ。

人は変わる。
あたしの中にいるその人と、世間の中でのその人はもう違っているのだ。

そのことに今さらながら気付くと、少し楽になった。
メタ認知は、生きやすくする力なんだね。

でも、一方で、寂しくなった。
なんか、書いてて、涙出そうになった。

その寂しさの正体は、
自分はその人たちに大きく水を開けられているという事実に、ではない。
それは逆に、自分をホッとさせる。
あたしはあたしの道をゆけばいいんだと。
でも、そうじゃなくて、
あたしの中にいた、あの頃の先輩たちこそ、あたしにとっての彼らであって、
その人たちはもういない、ってことが明らかになって、
それがなんか無性に寂しく感じるのだ。

多くの、あの頃の人たちは、もう「いない」。
そして、あたし自身も、もう「いない」のだ。


そうだ、「卵」だった。今日のタイトル。
今日の決意。覚悟を書こうと思ってたのだった。

村上春樹がイスラエルの文学賞の授与式で「卵と壁」について語ったじゃない。
だいぶ前に。

最近、これから、あたしはどういうスタンスで、
どういう仕事をしていこうか、とずっと考えるんだけど、
そこで今朝思いついたのが、「卵」だった。
あたしも、「卵」の側につこうということだ。

壁側にもついて、っていうバランスはとらない。
卵の側に立つ。

あたしは、この強大なコンプレックスと共に、
そのコンプレックスの源である、母親という自分に
とことん問いかけてみる。

番組作っても、誰に評価されたいって、局内の同業者にほめられたい、
っていう価値観から脱却して、
この汚染された時代に生きる「卵」の一人として、
「卵」にこそ支持されたいと思おう。

もう、この組織内でどう思われるか、っていうことから離れなくては。

「卵」と共に。

もう「壁」には何もできない。
「壁」は何も変えることができない。
「壁」に期待しない。

「卵」の力を見たい。
「卵」がこの世間を大きく変える、その様をまざまざと見たい。