一番下、3人目の子供のモモは本当に世話が焼ける。
まもなく2歳、自分の思うように事が運ばないと、
どこであろうと床に寝そべってバタバタして、そこを動かない。
自分の好きな食べ物は(たとえばお菓子だったり、納豆だったり)
他の誰かが食べようとすると、泣き叫んで阻止しようとする。
自分がその時食べたいものでないものを食べるのもダメ。
自分が食べたいものでも、他の誰かに食べさせられるのは許さない。
自分で食べないとダメ。
また、私の膝の上に上の子が乗ると、「そこは私の場所!」と泣き叫んで、
上の子をどかそうとする。
まあ、小さい子はどの子もそうなのかもしれない。
けど、上の子は二人ともそこまでではなかった。
ということは、この頑固さというか頑迷さは、モモの個性なのだろう。
しかし、そんな野性児のようなモモだけど、
最近、やはり一人前の人間というかサルというか
そういうものになってきた感がある。
お姉ちゃんのマネを通して、いろんなことをするようになった。
笑ったのは、バレエのマネをすること。
リリがバレエの練習をしていると、
モモもくるくる回るのだ。
それを初めて見た時、笑った笑った。
言葉もようやく進んできた。
私が「○○したいな」という言うと、
「いーよー」と言ってくれる。
「モモちゃん、○○して」と言うと、
「(ダ)メ!」と言う。
「おあよー(おはよう)」「いれらあい(いってらっしゃい)」
やっぱり、うれしい。
言葉はいつか出るだろうと思って、ゆったり構えていても、
やはり保育園で同じクラスの子が、
「モモちゃんのママ、見てー」とか流暢にしゃべってると
正直、うちの子大丈夫かなと思ってしまう。
早生まれの子を持つ親ならではの心配だよね。
成長ってうれしいけど、
その反面、どこかに寂しさもある。
全くの赤ちゃんで、私なしでは生きていけないという存在の愛しさ。
そういうのは、もう二度と来ないのだ。
このままどんどん成長して、大人になっていく。
それはイコール、私をより必要としなくなるということ。
抱っこして、顔を高く抱き上げると、うれしそうな顔をするモモ。
ほっぺたをくっつける。
この喜びは、あとどれだけ味わえるのか。
せつなさがまた愛情になってくる。
どんなに困らされても、愛しく思えてくる。
まもなく2歳、自分の思うように事が運ばないと、
どこであろうと床に寝そべってバタバタして、そこを動かない。
自分の好きな食べ物は(たとえばお菓子だったり、納豆だったり)
他の誰かが食べようとすると、泣き叫んで阻止しようとする。
自分がその時食べたいものでないものを食べるのもダメ。
自分が食べたいものでも、他の誰かに食べさせられるのは許さない。
自分で食べないとダメ。
また、私の膝の上に上の子が乗ると、「そこは私の場所!」と泣き叫んで、
上の子をどかそうとする。
まあ、小さい子はどの子もそうなのかもしれない。
けど、上の子は二人ともそこまでではなかった。
ということは、この頑固さというか頑迷さは、モモの個性なのだろう。
しかし、そんな野性児のようなモモだけど、
最近、やはり一人前の人間というかサルというか
そういうものになってきた感がある。
お姉ちゃんのマネを通して、いろんなことをするようになった。
笑ったのは、バレエのマネをすること。
リリがバレエの練習をしていると、
モモもくるくる回るのだ。
それを初めて見た時、笑った笑った。
言葉もようやく進んできた。
私が「○○したいな」という言うと、
「いーよー」と言ってくれる。
「モモちゃん、○○して」と言うと、
「(ダ)メ!」と言う。
「おあよー(おはよう)」「いれらあい(いってらっしゃい)」
やっぱり、うれしい。
言葉はいつか出るだろうと思って、ゆったり構えていても、
やはり保育園で同じクラスの子が、
「モモちゃんのママ、見てー」とか流暢にしゃべってると
正直、うちの子大丈夫かなと思ってしまう。
早生まれの子を持つ親ならではの心配だよね。
成長ってうれしいけど、
その反面、どこかに寂しさもある。
全くの赤ちゃんで、私なしでは生きていけないという存在の愛しさ。
そういうのは、もう二度と来ないのだ。
このままどんどん成長して、大人になっていく。
それはイコール、私をより必要としなくなるということ。
抱っこして、顔を高く抱き上げると、うれしそうな顔をするモモ。
ほっぺたをくっつける。
この喜びは、あとどれだけ味わえるのか。
せつなさがまた愛情になってくる。
どんなに困らされても、愛しく思えてくる。