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Looking For Changes (第二回)

2013年02月17日 23時59分59秒 | 持論・主張

去る2月13日、東條英機元首相の孫である東條由布子(本名・岩浪淑枝)さんがお亡くなりになられました。
幼少の頃は『東條英機の孫』だって理由でイジメにもあったらしいですが、祖父の名誉回復の為に尽力した波乱の生涯を送った事には(賛否は別にして)大変だった事だろうと思います。
特に個人的には何の接点もありませんが、この場を借りてお悔やみ申し上げます。



さて、その祖父である東條元首相ですが現在の日本に於いて語られるステレオタイプなイメージとしては
『太平洋戦争を開戦させ、日本を壊滅に導いた独裁者』
と言う切り口が大勢を占めると思います。 が、先ずは一点言わせて貰うなら

独裁者ではありません

確かに憲兵を用い、反対派に対して懲罰を行ったりしました(批判的な記事を書いた記者に徴兵を掛け、激戦地へ送ったエピソードもあります)が、そもそも首相になった理由は
『対米開戦の最強硬派であった陸軍を抑えるのは東條しかなく、また東條は天皇の意向を絶対視する人物であったので、昭和天皇の意を汲んで戦争回避にもっとも有効な首班』
と言う事で、結局の所ぶっちゃけて言うなれば、日中戦争を泥沼化させた前首相・近衛文麿の失政の尻拭いだった訳ですよ。
そもそも東條首相が就任する際、あまりの重責に顔面蒼白になったという話もありますし、あきらかに『独裁者』とは程遠いですわね。
元々は陸軍相時代は日中戦争に肯定的でしたが、首相就任後は天皇陛下(昭和天皇)の意を汲んでアメリカとの戦争回避の為に日中戦争の終了に向けて動く様になってましたので、そこでも『独裁』の色は伺えませんよね。


結局の所
日米開戦を決断した
(最終決定権は天皇陛下にあった、ってのは別にしてもですが)
その当時の首相って事で、スケープゴートの対象に成りやすかったんでしょうね。
勝てば官軍だったのにね(?)
敗戦後、太平洋戦争開始の責任を負わされA級戦犯って事で絞首刑になりました。
東京裁判って戦勝国からの一方的な裁判でしたでしょうが、これで一応責任を負った訳で、これ以上東條元首相を叩くのは
死人に鞭打つのと同義
では無いでしょうか。 
それより、一切の責任を負わず戦後をのうのうと生き延びた連中をもっと批判すべきと考えますが、間違ってます?
「俺も後から行く」と言って戦地に兵士を送るだけ送り、自分は「命令に従っただけ」と逃げるより、よっぽど良いと……


ちなみに個人的には『靖国神社にA級戦犯を合祀する事』には反対です。
だって戦犯と呼ばれる人は、あくまで『戦死者』じゃ無いからね。 戦死者の遺族から反対の声がある限り、それを尊重すべきだと思う。
でも、戦争の責任を取らされ刑に処されただけ、無責任な現代の国会議員や官僚よりマシだと思うけどね!!
そもそも東條元首相が責任逃れや自己弁護しなかった点に関しては、もう少し評価されても良いと思うよ?


――『東條元首相を肯定する』って言葉尻捉えて「管理人は戦争肯定者」と思うなよ?
『戦争肯定』なんて、そんな事は何処にも書いて無いからな! あくまで『人間・東條英機』を見てるだけだからね。
そもそも日中戦争からして『無駄な戦争』って思ってるからね、俺は……

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