前回のモーニングセミナーは、(社)こだま青年会議所理事長の問正良昭氏に「忘己利也」徳高き者を目指して、と言うテーマでお話を頂きました。三十一社三十六名の参加でした。
社団法人こだま青年会議所、通称JCと呼びます。商工会議所青年部とは異なり、別団体であります。
氏は、四十三代理事長です。問正理事長は、「忘己利也」徳高き者を目指しての自分を忘れないで、自己の利益よりも他者の利益を優先する考えを持っている理事長です。
ブロックの会長を輩出する役員を選出する企画書を今朝三時迄作成していたので、あまり眠っていません。喋りが下手ですが、聞いて頂きたいと思います。
私は四十七年六月生まれ。妻と四歳の娘がいます。大阪府岸和田市生まれで、母親は鹿児島県出身です。父親は現場監督で、大阪生まれ。三歳の時に引越して来ました。三人兄弟で、姉が二人います。
私の性格は弁解しない人で、小学一年生の時に雨が降ってきそうなので傘を学校へ持って行きました。帰りにやっぱり雨が降ってきて、自分の傘を差して帰って来た。他の人は学校の傘を借りて下校しました。翌日皆は、学校の傘を返しに来たと言って、私は自分の傘で帰ったので返さなかった。でも、先生に平手打ちされた。以来、先生に心を開く事が出来なくなりました。
児玉高校在学中、荒れ放題の学校でした。卒業後、専門学校へ進学。卒業して、サラリーマンを七年間勤めていた。その頃に父親が病気になり、私が親の仕事を継ぎました。そしてJC委員長から、JCに入らないかと誘いがありまして、委員会に出席しましたところ、理事長や役員の皆さんが会社に訪れて来ました。入りたくなくていました。私が交通事故で役員の方に追突してしまい、入らなくてはならなくなり入会しました。二十八歳でした。
入会してから、国歌を歌い始めると帰ってしまう人がいた。
九月頃から新年度の計画を考え始めて企画をする。二〇一一年度は、自から研修の事業を大きくやっています。青少年育成わんぱく相撲を指導しています。
靴を揃えるように、子供へ教育している。自分がやらないで、教育出来るのか。トップリーダーは、俺が俺がと言っては誰も付いてこない。年上の専務にお願いしています。相談しながら運営しています。
二〇一三年、一般社団から広域社団に移動をして行くのに力を入れている。
第五十九回児玉大会が、七月九日シルクドームにて開催されます。塙保己一プロジェクト、学校図書館をいっぱいにしよう。三万冊には、まだまだ足りない。音竹氏を呼ぶようになっています。「己を磨き他人の為につくす」 野心で動くのではなく、皆さんの為になる企画をしていく。
社団法人こだま青年会議所、通称JCと呼びます。商工会議所青年部とは異なり、別団体であります。
氏は、四十三代理事長です。問正理事長は、「忘己利也」徳高き者を目指しての自分を忘れないで、自己の利益よりも他者の利益を優先する考えを持っている理事長です。
ブロックの会長を輩出する役員を選出する企画書を今朝三時迄作成していたので、あまり眠っていません。喋りが下手ですが、聞いて頂きたいと思います。
私は四十七年六月生まれ。妻と四歳の娘がいます。大阪府岸和田市生まれで、母親は鹿児島県出身です。父親は現場監督で、大阪生まれ。三歳の時に引越して来ました。三人兄弟で、姉が二人います。
私の性格は弁解しない人で、小学一年生の時に雨が降ってきそうなので傘を学校へ持って行きました。帰りにやっぱり雨が降ってきて、自分の傘を差して帰って来た。他の人は学校の傘を借りて下校しました。翌日皆は、学校の傘を返しに来たと言って、私は自分の傘で帰ったので返さなかった。でも、先生に平手打ちされた。以来、先生に心を開く事が出来なくなりました。
児玉高校在学中、荒れ放題の学校でした。卒業後、専門学校へ進学。卒業して、サラリーマンを七年間勤めていた。その頃に父親が病気になり、私が親の仕事を継ぎました。そしてJC委員長から、JCに入らないかと誘いがありまして、委員会に出席しましたところ、理事長や役員の皆さんが会社に訪れて来ました。入りたくなくていました。私が交通事故で役員の方に追突してしまい、入らなくてはならなくなり入会しました。二十八歳でした。
入会してから、国歌を歌い始めると帰ってしまう人がいた。
九月頃から新年度の計画を考え始めて企画をする。二〇一一年度は、自から研修の事業を大きくやっています。青少年育成わんぱく相撲を指導しています。
靴を揃えるように、子供へ教育している。自分がやらないで、教育出来るのか。トップリーダーは、俺が俺がと言っては誰も付いてこない。年上の専務にお願いしています。相談しながら運営しています。
二〇一三年、一般社団から広域社団に移動をして行くのに力を入れている。
第五十九回児玉大会が、七月九日シルクドームにて開催されます。塙保己一プロジェクト、学校図書館をいっぱいにしよう。三万冊には、まだまだ足りない。音竹氏を呼ぶようになっています。「己を磨き他人の為につくす」 野心で動くのではなく、皆さんの為になる企画をしていく。