23日木曜日のモーニングセミナーは休会です
前回のモーニングセミナーはWWSプロレス代表、関川哲夫氏
リングネーム ミスターポーゴ テーマ「やる気になれば何でもできる」をお話し
頂きました。三十社三十四名でした。
やる気になれば何でもできる。大きな声はすばらしいから始まり、大学時代
を思い出します。犯罪が多い夜の中は大きな声を出すのが良い。
群馬県、県議会選挙中に倒れ、父親が亡くなり,父が西武の堤さんと交流があり
養子にこないかと言われたのですが、断って私は相撲界に入門。大鵬部屋に入り
十六勝した経験があります。当時は、百三十キロほど体重があった。
毎日ニ、三時間の静座が膝を痛め動くとボクシングが飛んでくる、
膝にダメージが来るので相撲をあきらめた。
新日本プロレスに入り、小さい時からチヤホヤされて育ったので根性がなかった。
自分で頑張る、自分で火を付けていかないと、どうしようもない、坊っちゃんだった。
山本 小鉄さんの付き人になったのですが、ぶん殴られ、こなくてもいいと言われて
プロレスを辞めました。
アメリカに飛んでリトル東京で皿洗いをして生活をしていましたが、
皆からレスラーとして見られない、でも何とかしてやるぞと思い
そんな時にアントニオ猪木 坂口征二さんがやって来たので隠れて見送った。
その時頑張ると思ってアメリカでWマッチに挑戦した。
テキサスでドリファンクジュニアにたたき上げられてメインイベントになった。
メリカでトップを取って行った。
日本で頑張ろうと思い、日本の伊勢崎で四十歳を過ぎていましたので、会社勤めを
していた時に大仁田厚さんから電話が入りまたプロレスラーになろうと言われ
レスラーに戻った。母親がガンで亡くなり悲しんだ。私は死んでもいいと思い
大仁田厚さんがデスマッチに力を入れ私も参加した。死んでもいいと思っていたので
リングの上に地雷を置き頭から落ちたらメディアに取り上げられ
ファンが付きそれでトップに踊り出た。
人は1度死んでみると思うと何でも出来る。
一度死んで見ろとよく言われた。
名前の由来はグレート ドーゴの名を取ってポーゴと言う名前にした。
伊勢崎でチャンコ鍋料理屋を始めたがお客が入らないので辞めて、店を閉めた。
過去の事を本にまとめて書く事にした。
著書 ある悪役レスラーの懺悔を発売 講談社 二万部が売れたまだ売れている。
アメリカに二十年住んで本庄市に十七年住んでいましたので、今は伊勢崎に
住んでいますが本庄市に戻って来たい。本庄青年会議所青年部では色々迷惑を
お掛けしました。今後も宜しくお願いします。