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イワシの頭も信心から

自称・浮遊人~碧田直のつれづれ日記

憧れの地は新大久保

2005年06月17日 11時45分48秒 | つらつら日記
 おばちゃんたちの間で、韓流ブームとやらが起きて久しい。自分はほとんど興味がないので詳しくないけど、当初「冬ソナ」ブームだけだったのが飛び火して、「イ・ビョンホン」だの「ピ」だの「ペー」(違うか)だのが来日するたびに、空港におばちゃんたちが集結してワ~キャ~してる。
 好きなものに熱狂するのは誰でもすることだし、それが韓国のスターだろうが、ハリウッドの俳優だろうが、大ベテラン女優と浮名を流す役者さんだろうが構わないと個人的には思っているので、特にどうとも思わないのだが、事が身内にまで及ぶと、様々な事情が絡んで笑顔ではいられなくなる。

 実家にいる母親からメールが届いた。
 『東京チャンネルイ・ビョンホンビデオ夜10時』
 何かの暗号か? と一瞬考えたが、冷静になって読むと、「東京チャンネル、イ・ビョンホン、ビデオ、夜10時」と読める。東京チャンネルというのだけよくわからなかったが、それもMXテレビのことだと判明した。生憎そのときは舞台の公演中で既に外出中、10時にはどう頑張っても家にたどり着けなかったので、「今日は無理」との返信を送る。さ、小屋に入ろう、と思ったら即座に母親から返信が。

『なんで!!!???』

 …いや、何でと言われても…。とりあえず外出中で、番組がはじまる時間には家に帰れないことをメールで送る。これで納得してくれるだろう。さあ、今度こそ小屋に…と思ったら、間髪入れず母親からメール。

『今日は早く帰りなさい!』

 …命令ですか、軍曹殿。

 小学生以来の母親の言葉に、当然懐かしさなど感じる暇もなく、とにかく外せない用事で、確実に10時まではかかる(もろもろ済ませて小屋を出るのが10時の予定だったので)と懇切丁寧に綴り、申し訳ないけど今回は云々…とあやまりの言葉も添えて、メールを送る。やれやれ、息子がこれだけ状況を説明して、無理だと断れば、さすがに引き下がってくれるだろう。さあ、小屋に行かなければ…と足を一歩踏み出した途端に、刹那のタイミングで悪魔のメール。

『なら彼女に頼んで!!!』

 …やつは千葉県民だよ。

 長いこと神奈川から出たことのない母親は、東京と千葉は同じところくらいに思っているらしい。余談だが、実家を出てから、両親は一度もウチに来たことがない。別に不仲というわけではなく、「新宿に着いたら、総武線という黄色い線が入った電車に乗ればいいから」と説明する自分に、「新宿にそんな電車はない!!」と頑なに母親が主張し続けているためだ。あるものをない、と言っていて、新宿に行ったことがあるはずの親父も母親に同調しているのだから、二人は一生我が家に来ることはないであろう。それはともかく、そういうわけで東京と千葉は別のとこで、彼女の住んでいるところからMXテレビは観られないんだと説明して(観られるところもあるらしいけど)、これでさすがに理解しただろうと思い、もう、何が何でも小屋に入るぞ、と決意してドアノブに手をかけたところで、もう何度目か数える気もないがメールが届く。

『だったらやっぱり早く帰りなさい!!』

 …だから無理だということは説明したはずですが。

 結局、直接電話をかけて根気よく説明し、やっとのことで理解を得たのだけど、そのために20分ほども雑談に付き合わされるハメになってしまい、小屋を目の前にして、思わぬ足踏みをくってしまった。母親によると、イ・ビョンホンが大好きらしく、彼の登場するものなら、何でもいいからコレクションしたいらしい。彼女はこういうのも何だけどミーハー気質のある人で、10年くらい前にはケビン・コスナーがいいとか言っていたり、最近では氷川きよしがいいとか言っていた。実害がなかったので、好きにすればいいんじゃないかと思っていたのだけど…実害が及ぶとため息しか出ないな。

 母親の目下行きたい場所は新大久保だそうだ。たしかにあそこは韓国の店がたくさんあるけど…東京へわざわざ出てきて新大久保か。親父はそんな母親の熱狂ぶりに一言。
「時代が変わったんだよ」
 すでにあきらめの境地ですか、父上。
 遠くを見つめる親父と、ため息しか出ない息子を尻目に、今日も母親は韓流スターに囲まれて幸せな日々を送るのだろう。女性が長生きするわけだよ、ホント。
 …はあ。

公演終わって

2005年06月10日 10時30分32秒 | つらつら日記
ボーっとしています(笑)。
いろいろな反省を残した旗揚げ公演もどうにかこうにか終了し、次回へ向けての構想を練る…などと建前を言いつつ、ちょっとだけ脱力(構想も練ってますよ。念のため)。
でも悔しさは忘れてないので、次はしっかりリベンジさせてもらうとしよう。思いっきり楽しんでもらうことで。

二子山騒動はしばらくワイドショーを賑わすのかな。こういうことで相撲がピックアップされると悲しい。いろいろあるとは思うけど、兄弟なんだし、仲良くやってほしいな。

かなり久しく

2005年06月05日 07時25分20秒 | つらつら日記
ブログを更新していませんでした。というか、ネット関係がイカレてしまい、ずっと繋げない日々が続いてしまって、なおかつ舞台の準備やら稽古やらで、復旧しようにもそれどころではない、という状態だったもんで、結局一ヶ月以上も放置した格好となってしまいました。そのあいだに大相撲は終わってしまうし…あの頃は毎日死ぬほど忙しかったけど、何とか再放送だけはチェックしてました。朝青龍は強い! けど、他の力士がちょい情けないかな。琴光喜が復活しかかっているのは楽しみだけど、肝心の朝青龍相手には大人と子供だし、白鵬もちょっと壁にぶつかっているという感じだ。とにかく、優勝あらそいが面白くなって、相撲人気があがることを望もう。

二子山親方の訃報は、やはりびっくりして、それから悲しかった。自分はぎりぎり現役時代の貴ノ花を知っているので、まず土俵上での姿が思い出された。単純に比較はできないけど、人気という点では、いまいる力士の誰よりもあった人だったと思う。親方として弟子を育てる手腕も素晴らしかった。早すぎる死は、本人が一番無念だったろうと思う。ご冥福をお祈りします。

舞台は今日が三日目。昨日はソワレあいにくのざんざん降りだったにもかかわらず、大勢のお客様がいらっしゃってくれた。ありがとうございます。今日も雨が降るようだけど、せいいっぱいの舞台をお見せするつもりなので、もし、このブログを見ていらっしゃるお客様(いるのかな)、どうぞよろしくお願いします。

気がついたら

2005年04月22日 12時03分05秒 | つらつら日記
 全然更新してなかった…やれやれ(苦笑)。
 最近は昼と夜の寒暖差が激しいなあ、ということで、服装に悩んでいます。昼に合わせると夜が寒いし、夜に合わせると昼が暑い。自分はおおむね夜に外出しているので、いまのところ多少暑くても夜に合わせた服装にしていますが…昼間ジャケットを脱いで手に持つのが面倒くさい(笑)。

 ちなみに、明日のプライドミドル級グランプリは、桜庭の復活に期待します。個人的に。

ブランクがつらいお年頃

2005年04月11日 11時42分17秒 | つらつら日記
 昨日は久しぶりに身体を動かした。
 違う種類の腕立て伏せを15回×7種類、オーソドックスな腹筋50回、脇の腹筋15回×2、10秒キープ×2、足投げ腹筋40回、背筋50回、足上げ背筋40回、もも上げ正面100回、脇もも上げ100回…ここまで終わっただけで、もう死にそうだった(笑)。つい三週間前まで平然とこなしていたメニューだったんだけどなあ。ちょっとブランクをつくると寄る年波はキツイ。
このあとスクワット(声を出しながらやる特殊なやつ)で昇天。しばらく動けなかった。情けない…。
 次もキッチリとやって、しっかりと身体を戻そう。

 話はガラっと変わるけれども、やはり昨日テレビで老犬介護の実態を伝えるドキュメントを観た。寝たきりになってしまい、散歩をするのに家族二人がかりで出さなければならない犬、一時間ごとに夜鳴きして、用を足してもらう犬、下半身不随になって下の世話をしてもらう犬など…介護する家族の苦労や、それでも介護してあげたいという家族の一員に対する愛情とがひしひしと伝わってきた。
 自分の親戚で飼っていた犬は、10歳頃に脳梗塞になってしまい、その後は室内犬として過ごした。身体に触られることを過度に嫌い、白内障になってしまった目は何も見えず、歩くことも満足にできなかったが、「もう家族の一員だからね」と伯母やいとこは、嫌がりもせずに世話をしていたことを思い出す。
 一方で欧米では動けなくなったら安楽死、というのが一般的のようだ。これはペットに対する認識の違いだろうけれど、「飼ったからには最後まで責任をとりたい」といっていた一人の飼い主の言葉が心に残った。

 今日から三日間雨だそうだ。昨日少し眺めた桜は、すでに散りはじめていたので、この雨ですべて散ってしまうのだろうな。また来年を楽しみにしよう。

満開の桜の下で劇的な再会

2005年04月08日 09時56分55秒 | つらつら日記
高気圧が張り出しているとかで、昨日あたりは暑いくらいだった。ので、一気に桜が満開。桜は大好きだし、満開を見るのはいい気分なんだけど、すぐ散ってしまうんじゃないかと思うと、少し切ない気分になる。
昨日は用事があって、板橋駅へ赴いた。この駅は大学に行くときに降りていた駅で、新撰組局長近藤勇の墓があり、幕末好きの自分にとっては、それだけでも楽しみな駅だったのだけど、最近では周囲に店も増え、駅前の広場には桜が何本も植えられて、満開の花を咲かせていた。ちょうど今月は滝野川新撰組まつりなるものが執り行われるということもあるのか、お墓には参拝者がちらほら。とりあえず拝んでおく。
昼ごはんを食べていなかったので、店を探しつつ、通学に使ったなつかしい道を歩きながら、通りに植えられている桜を愛でる。板橋駅から、自分の出身大学までは、ほぼ一本道だ。商店街を通る道が直結しているのだけど、道を一本ずらすだけで、桜並木に何本も出くわすことができるのだ。
果たして、桜は思ったとおり満開で、その清清しい美しさに目を奪われながら、歩いていたとき、ふと旧友のことを思い出した。

大学時代、自分がこの通りを歩いていたとき、ある家の玄関先に、ポパイという名の柴犬がいた。88年生まれで(小屋に誕生日が書いてあった)、自分と会ったときには三歳くらいの成犬だった。人なつっこい犬で、通りを歩く人に尻尾を振っては、かわいがられていた。自分もかわいがったクチで、動物好きなのに、家の都合で(というより両親の動物の好みが合わなくて)ペットを飼うことができなかった自分としては、ポパイは少し離れたところで自分を待っている友人のような気がしていた。
大学を卒業して、板橋に降り立つこともほとんどなくなってからは、さすがにポパイと会うことはなくなった。日常の忙しさに忙殺されて、思い出すことも少なくなっていた。

通りを歩いていて思い出した旧友とは、ポパイのことだ。けれども、大学を卒業してから数えても、すでに十年がたっている。犬の寿命を考えれば、もう生きていることもないだろう。それほど変わらない風景のなかで、いつもそこにいた彼だけがいないのか…と少しだけセンチメンタルな気分になったそのとき、いつもの玄関先で、通りをゆく女子大生に尻尾を振っている老犬が目に飛び込んできた。

ポパイだ。

ポパイは生きていた。十七歳になったというのに、まだしっかり立っていた。かなり老いてはいたけれど、まだしっかりしている。さすがに自分のことは覚えていなかったが、軽くなでさせてくれた。あまり時間がなかったので、長い時間遊ぶということはできなかったが、ほんの短い時間だけでもポパイと触れ合えたことで、自分は満足だった。

時の流れは誰にも止められない。だからこそ、長い年月をへて再会した出会いは嬉しいものだ。ポパイとのつかの間の再会を楽しんだあと、やはり大学時代にサークル仲間と利用していた中華料理屋で四川湯麺を食べた。元気いっぱいだったおかみさんが、変わらない笑顔で迎えてくれたことが、本当に嬉しかった。

久々に

2005年04月04日 13時46分05秒 | つらつら日記
 ここ数日は私事がまたまた大詰めだったので、更新もしていませんでしたが、その間にのぞいてくださtった皆様、ありがとうございます。

 えー、現在テレビでは高校野球決勝戦の真っ最中。我が出身県の神奈川勢は慶応、東海大相模ともに敗退ということで、平穏な気持ちで画面を眺めております。
 自分の母校は、県予選に出ればコールド負け、という野球弱小校だったし、全校応援ということもなかったので、高校野球には縁がありませんが、ドカベンの明訓高校が神奈川にあるように、高校野球のメッカともいうべき県だったので、夏休みなどは地元テレビで放送される予選を観ていました。
 出てくる選手は知らなくても、登場する高校は、横浜、横浜商、桐蔭学園、法政二、東海大相模など、全国にその名が通用する高校が出てくるので、ある意味豪華なカードが組まれたりして、それなりに結構楽しめます。

 選手で印象に残っているのは、まず小学校時代に横浜商のエースだった三浦将明。そして九八年の松坂大輔(原辰徳はタッチの差でアウト)。特に高校野球大好き、というわけではないけれど、やはり地元高校の結果は気になって、新聞やニュースで結果を確認します。甲子園に我が母校が出る日は…ないだろうなあ(母校の名誉のためにつけくわえると、野球はダメですが、ソフトボールは強かったです。それから女子バレーでは、春高バレーに出たこともあります。肩身狭そうだったな…男子バレー)。

 これから遅めの昼ご飯を食べて、仕事行きます。パスタを食べたいところだけど、ストックがないので、シンプルにごはんを炊いて…。そういえば、梅しそパスタをつくってみました。手軽に作れてさっぱりおいしいです。そのうち「ぱらっと料理」に書き込みたいと思います。それではー。

春場所六日目勝敗予想

2005年03月18日 02時23分39秒 | つらつら日記
二日続けての勝ち越し。さあ、エンジンかかってきたぞー!では予想開始。

旭天鵬対白鵬…白鵬の勝ち。マワシをとられたら実力を発揮する旭天鵬だけに油断は禁物だが、序盤の三連敗が精神的に引き締めているように思う。今場所一番の相撲で勝つのではないか。

琴欧州対魁皇…琴欧州の勝ち。とにかく欲しかった一勝をあげたことで、琴欧州の硬さがとれるのではないだろうか。魁皇も調子がいいが、ここはあえて琴欧州に。

千代大海対若の里…千代大海の勝ち。若の里はいったいどうしてしまったのか。相撲にまるで覇気がない。五日目も勝つには勝ったが…という内容。千代大海は破れはしたが、内容は悪くない。圧勝を予想。

垣添対栃東…序盤で三敗を喫し、今ひとつ調子のあがらない栃東だが、相手が押し相撲で体格差もほとんどない垣添なので、落ち着いてとれば、問題なく勝てるだろう。

朝青龍対土佐ノ海…朝青龍の勝ち。たしかに土佐ノ海は今場所好調ではあるけれど、横綱はそれ以上。かなりの確率で二場所連続の全勝優勝をするのではないかと思っている。希望を言えば土佐ノ海が横綱に土をつけて、優勝争いを盛り上げてほしいが…。

では結果を待ちましょう。

コーヒーにあたる

2005年03月09日 03時28分52秒 | つらつら日記
 昼間の打ち合わせと夜の仕事で飲んだコーヒーにあたりました(泣)。
 気持ち悪くて仕方のない時間が長く続きます。本当のところはどういう症状にあたるのかよく分かりませんが、自分はコーヒーを2~3杯呑むとこうなってしまいます。過剰反応するのでしょうか。とにかく吐き気を抑えるのに必死でした。
 そんなときでもお腹は空くので、ご飯山盛り1杯にクリームシチュー2杯、即席ラーメンを食べる無敵の胃袋…やれやれ。

あと少しで完全復活

2005年03月08日 00時50分35秒 | つらつら日記
 ここのところブログ更新を阻んでいた私事が(まだまだやることは残っているものの)、ようやく一段落ついたので、久しぶりに書き込んでみます。とはいえ、長い文章を書く時間はないので、もうしばらくは数行の更新をするのがせいぜいとなりそうです。

 今日はケーブルで「がんばれ! タブチくん」を観ました。自分が小学生の頃にやっていたアニメ映画で、当時の人気選手が、いしいひさいちの特徴ある絵柄で描かれているギャグアニメです。知識がなくても楽しめますが、当時の野球を知っていると楽しさ倍増です。個人的には広岡さんがツボでした。

 そろそろ大相撲がはじまるし、ブログ完全復活を目指して頑張ります。何と言っても先場所負け越した勝敗予想のリベンジが残っていますから。今度こそ大勝ちしてやるぞおおお…と気合を込めて、今日の更新はこれまでといたします。

がん告白

2005年02月24日 09時52分48秒 | つらつら日記
 ニュースで、二子山親方が、現在がんで治療中であると報道されていた。
 貴ノ浪の断髪式に出た姿を見て、相当に具合が悪いことは察していたものの、息子でもある貴乃花親方のFAXで事実が知らされると、やはりショックだ。危篤状態ではないとのことだが、文章のなかに意識が混濁しているのではないか、と思わされる表現も混じっているので、楽観できる状態でないのは確かではないだろうか。

 二子山親方といえば、初代貴ノ花として、現役中はファンの人気を独り占めしていた力士だった。兄が名横綱だった初代若乃花だったこともあって、『角界のプリンス』と呼ばれ、身体は小さいが、粘り腰の名大関としてその名を馳せた。若貴が入門時から騒がれたのも、伯父と、そして父である貴ノ花の記憶が人々から去っていなかったからだ。
 入門してからは若乃花の弟として、人気絶頂のときにはプリンスとして、親方となってからは若貴の父として、常に脚光と注目を浴び、同時にプレッシャーも受け続けてきただろうと思う。苦しいことも数多くあっただろう。がんにも粘り腰を発揮して、勝ってもらいたい。心から回復を祈っている。

ぼくドラえもん

2005年02月22日 10時16分48秒 | つらつら日記
 去年、ムック本として発売されて、ものすごい売れ行きを示した(自分が出入りする本屋ではそうだった)『ぼくドラえもん』が最終巻を迎えた。創刊号についた幻のパイロットフィルム一話分と、映画の予告篇を詰め込んだDVDの付録に心惹かれて買った人は多いのではないだろうか(自分もその一人だが)。

 自分の場合、とにかくパイロット版が見られるということで、一も二もなく購入を即決してしまったということがある。特別アニメ好きというわけでもないし、ドラえもんをずっと見続けているわけでもないのだが、モノを創作したり作り上げていったりする過程は、実写・特撮・アニメを問わず興味を持っているので、いわゆる試作品がどう作られていたのか、とても興味があったのだ。

 内容は、おざしきつりぼりを取り上げたものになっていた。絵は、まだ雑なところも見受けられるけれど、声に関してはずっと慣れ親しんでいる声優さんばかりなので、違和感はまるでない。
 ドラえもんの魅力は、日常から始まる非日常なのだと思う。ドラえもんの存在を除けば、ドラえもんの世界は日常そのものだった(過去形なのは、急速にドラえもんの世界は過去になりつつあるからで、空き地もなければガキ大将もいない世の中に、ドラえもんは現れるのだろうか)わけで、その日常の疑問や悩みを解決するために、非日常の存在であるドラえもんが、ポケットから未来の道具を出して、のび太たちを非日常の世界へと誘っていく。おざしきつりぼりでは、シートを畳の上に敷くだけで、魚釣りができたり、潜水を楽しんだりできるというストーリーが組まれていて、派手な話ではないものの、ドラえもんの魅力が十二分にアピールされていた。パイロットフィルムに取り上げるにふさわしい題材だったと思う。思えばこのフィルムがなければ、自分も楽しんだドラえもんはなかったわけで、そう考えると不思議な気持ちにとらわれた。

 次からは季刊のような感覚で、『もっとドラえもん』が発売されるという。2006年に公開される映画は、『のび太の恐竜2006』だそうだ。ドラえもんの世界はまだまだ続く。

 …ちなみに、『ぼくドラえもん』の表紙コピーで当たりだったのは、ジャイアン特集の時の「WE LOVE 剛田剛」と、どこの号だったかは忘れてしまったが、付録としてついていた名セリフかるたの一枚「世界がきみ(のび太)のような人間だらけなら、この世は終わりだぞ」(正確には覚えていないけれど、こういう主旨の言葉だった)という、容赦のないドラえもんの言葉だった。この世は終わりって…そりゃヒドイよドラえもん(笑)。

前田の時代

2005年02月18日 03時45分09秒 | つらつら日記
 今週号のプロレス専門誌(週刊プロレス・ゴング)の表紙は、ともに前田日明だった。新日本を退社して新団体(といっていいのかわからないが)を設立する上井氏に協力する形で、マット界に電撃復帰を果たしたことが、ここ数週間のプロレス界を賑わせている。
 前田日明、といっても、いまのプロレスファンには、PRIDEで活躍するヒョードルやノゲイラを発掘して連れてきた人、というくらいのイメージしかないのかもしれないが(カレリンと戦った、とか)、かつての前田は、まさに時代の最先端を走るランナーとして、一般マスコミにも取り上げられたほどのセンセーショナルな存在だった。

 新日本の若手時代、第一次UWFを経て、新日本にUターンしてきたあたりからの前田は、常に話題の中心にいたという印象が、自分にはある。藤原戦で勝利した直後の猪木の顎に、見事なハイキックを入れ「猪木なら何をしてもいいのか」と叫んだこと、藤波との死闘、放送中止となったアンドレ・ザ・ジャイアントとのセメント・マッチ、ドン中矢ニールセンとの異種格闘技戦…前田は格闘王と呼ばれ、その呼称にふさわしい戦いを繰り広げてきた。
 恵まれた体格から繰り出される蹴りや、スープレックス、カールゴッチ直伝の関節技等は、数多くのレスラーに影響を与えた。直接影響を受けた高田延彦、田村潔司、船木誠勝、鈴木みのるらはもちろんのこと、橋本真也や永田裕志、女子プロレスのクラッシュギャルズなど、前田(とUWF)がなければ、現在の形で存在しなかっただろう(佐山の存在も忘れてはいけないだろうが)。
 また読書家だった前田は、第二次UWFが発足したときに「選ばれし者の恍惚と不安二つ我にあり」との言葉を引用したり(作家の言葉だったと思う。太宰治だったか…記憶あいまい。間違ってたらごめんなさい)、某雑誌で三島諭を語ったのを読んだこともあるほど、従来のプロレスラー=野蛮のイメージをくつがえしていった(喧嘩の話もいっぱいあるので、自分でイメージの回復にもつとめていた(?)が)。

 前田にみなが注目し、その一挙手一投足を追っていた時代は、一方で、古きプロレスが破壊されていく序章の時代でもあった。馬場・猪木の時代が終焉を迎えるのと歩調を合わせるように、前田が台頭し、同時に強さという基準に対して、観客がよりシビアになっていった。前田の到来は、それまで強さの象徴だったアントニオ猪木を一瞬にしてくすませてしまうほど、鮮烈かつ強烈なインパクトを持っていた。プロレスの概念を根こそぎひっくり返してしまうほどの。
 その前田がプロレスに戻ってきた。いま思えば、前田はカウンターカルチャーの寵児だった。打破し乗り越えるべき体制があって、それに対して新たな価値観を掲げて突っ込んでいく。長州力が「革命戦士」というニックネームとは裏腹に、体制や思想そのものはオーソドックスなのに対して(そうでなければ「ど真ん中」という言葉は出てこない)、前田は壊すべき対象に対して躊躇しない。そして、前田がもっとも光り輝くのは、壊すべき体制があるときだ。それは個人というよりも、誰もがそうだと思いこんでいる常識や概念だったりする。そうしたものを破壊しようとするとき、前田は誰よりも生き生きとする。

 前田は今回「おちゃらけたプロレスを叩き潰す」といったような主旨の言葉を発して乗り込んできた。いまという時代はプロレスに強さというファクターを奪い去ってしまっている。その奪い去った中心的人物が、もう一度プロレスに強さを取り戻すことができるのか。前田が時代の風を受けてふたたび光り輝くとき、プロレス界に何が起こっているのか。そして、それはどんな世界なのか。個人的にはとても興味がある。楽しみに見守っていきたい。 

旅行をするなら

2005年02月13日 03時19分10秒 | つらつら日記
 私事が片付かないので、自分のブログも行きつけのブログにもあまり顔を出せていない状況が続いている(泣)。数日に一度は更新しようと考えて、ほとんど自分の周囲にネタがないときには唖然呆然だった。やむをえないので、パソコンの花札の話でお茶を濁したが、書き終えてから反省しきりだったことは言うまでもない。
 で、今日も適当なネタがないので、ここは久しぶりにお題に頼ることにした。
 「旅行するなら海外? 国内?」。
 海外と国内の順序が逆だったような気もするが、まあどちらでもいいだろう。何か以前にも似たお題があったように記憶しているが(自分の記憶はアテにならないが)、ネタに困っている身とすれば、こういう普遍的なテーマは渡りに舟である。

 自分の場合…と本題に入る前に、旅行と聞いて思い出す友人がいる。大学時代に知り合ったNという男だ。
 とにかく彼は無類の旅行好きだ。大学時代はもちろん、就職してからも、休暇を利用しては、国内海外を問わず旅行に出かける。旅行先も、アメリカ、ヨーロッパ諸国、シンガポール、タイなど、自分が覚えているだけでもかなり多岐に渡っている。聞けば彼のおばあさんが大の旅行好きで、ご両親も旅行が大好きだというから、これは立派な遺伝だと彼は言っている。
 彼はパックツアーは使わないで、自分で計画をたてて行動するタイプだ。彼曰く、旅行の計画をたてている時が、ある意味で一番楽しい時だという。旅行先の案内書を手に、初日はまずここを訪れて、二日目はこことここで…などという風に想像しながら、訪れた先の地元料理に舌鼓をうつ。国を理解するにはまず料理から、と主張する彼は、やはりというかだからというか、かなりの旨いもの好きで、学生時代まだ東京に詳しくなかった自分を、旨いラーメン屋に連れて行ってくれた(惜しむらくは、自分が質より量の男だったことで、食べても違いがよくわからなかった。今でもこのことは彼にすまないと思っている)。彼こそは、自分の周りで一番の旅行の達人だと思っている。

 では、対して自分はどうであるかというと、正直いって旅行とは無縁の生活を送っている。子供のころ、家族旅行をした記憶がないわけでもないが、行くのは決まって西伊豆だった。神奈川の静岡寄りに住んでいたので、車でそう時間をかけずに行ける西伊豆は、両親にしてみれば手頃な旅行先だったのだろうが、子供の自分は毎年旅行といえば同じ景色だったので、内心いつも退屈していた。温泉にしても、実家は箱根まで車で一時間かからないところにあったので、しょっちゅう入っていたし、第一風呂をありがたがる歳でもない。旅行に行っているのに、部屋に着くなりテレビばかり観ていた自分についにキレた親父は、「だったら来るな」といい捨てた後、旅行中ひとことも自分と口をきこうとしなかった。今思うと、悪いことをしたなと思う。
 こんな具合だから、歳を重ねて、一人で旅行することが可能な年齢になっても、旅行に行くことはほとんどなかった。歩いて隣町に行くのがせいぜいで、ある年などは地元である神奈川から一歩も他の県に行くことなく過ごした。国内がこの調子だから、当然海外など行ったこともなければ、行く気もなく、現在までパスポートを取得したこともない。

 書いていて自分で呆れてしまうものの、本当に旅行そのものに縁がないのは事実だ。そんな自分が仮に海外旅行か国内旅行かどちらかを選べ、といわれたら、おそらく国内旅行を選ぶ。最大の理由として、日本語しか話せないから、という大問題があるが、それ以上に、子供の頃にはまったく興味が湧かなかった温泉や紅葉などの景観に、この歳になって興味を抱いてきたから、ということがある。
 世界遺産などという大それたものでなくても、ありふれた景観でも、そこにちょっとした時の流れを感じてふと立ち止まる。そういう瞬間がいいのだ。ほんの少し都心から離れて見る、風にそよぐ木々や草花が心を癒してくれる。仕事で忙しかった親父は、きっと家族と一緒に何気ない場所で息抜きをしたかったのだろう。いつか、侘びを兼ねて親父と西伊豆を旅してみようかと思っている。

1300勝達成

2005年02月10日 02時49分46秒 | つらつら日記
 思えば長い道のり。戦いはじめた頃は、まさかこんな日が来るとは思っていなかった。

 振り返ってみれば、嬉しい思い出以上につらい思い出が多かった。思うようにならずに歯噛みしたことも、すべてを放り投げてしまいたいと思ったことも一度や二度ではない。数え切れないくらい負けて、そのたびに悔しい思いをして、1勝1勝積み重ねて、ようやくここまでたどり着いた。いまの気持ちを表すのに適切な言葉がうまく見つからないが、ひとつ言えることは、たとえ1センチでも1ミリでも前進し続けることが、途方もない結果となってあらわれるということだ。努力を絶やしてはならない、と改めて思う。今度の目標は1301勝だ。ありがとうみんな。ありがとう。そしておめでとう自分。

 そして、今日もまたパソコンの「花札」に自分は戦いを挑む。