イワシの頭も信心から

自称・浮遊人~碧田直のつれづれ日記

監督の仕事

2004年12月15日 04時29分14秒 | かきっとスポーツ
 ちょっと前に、清原選手の巨人残留について記事を書いた。そのとき、『起用法を決めるのはあくまで監督の仕事』だと書いたのだけど、それに絡めて思うことがあったので、書いてみようと思う。

 きっかけは、ネットで読んだある記事だった。巨人の堀内恒夫監督が、広島の山本監督の次男の結婚式で、司会をつとめていた徳光和夫氏の「来季のファーストベースマンは誰なんですか?」との質問に対し、「まずはK、それからS」と発言したと報じられていた。堀内監督は当初発言を躊躇したものの、徳光氏の食い下がりに、渋々ながら応じたようだ。
 報道では、「146試合すべてに出場できることが前提」としながらも、堀内監督のいう「K」とは清原選手のことであり、「S」とは清水選手のことであると伝えていた。

 この記事に対する反応は様々だろうけど、自分は率直に言って首を傾げてしまった。まだキャンプどころか自主トレも開始していない時期に、こういう発言をしてしまっていいのだろうか、ということに対してだ。
 理由は単純明快で、開幕までの期間、キャンプやオープン戦などを通じて、選手の状態をチェックしてから起用する選手を決めることが、監督の仕事だからだ。逆に言えば、そうしたデータもないような状況で、よけいな先入観は冷静な判断の妨げにしかならない。まして、清原選手とのことはマスコミが煽るだけ煽っている状態だ。この発言は、清原、清水両選手はもちろんのこと、堀内監督自身にもマイナスに働きこそすれ、プラスになるようなことは何もないと思う。

 監督の仕事が、選手をパッチワークのようにはめこんで、指示だけしていればいいのならば、日頃野球ゲームにいそしむ小学生にでも出来る。しかし、実際の監督はゲームのキャラクターを操作するわけではない。人間を操るのだ。人間には心がある。信頼をなくしてしまえば、10の能力値がある選手でも、4までしか発揮できないかもしれないし、強い信頼関係で結ばれていれば、6の能力値の選手が、時として10以上の能力を発揮するかもしれない。大切なのは、選手のモチベーションをいかに高め、集中できる環境に導くかということではないだろうか。今年の監督で言うなら、中日の落合監督は、それが出来ていたと思う。
 できれば、堀内監督には黙っていてほしかった。あと、徳光氏にも(気持ちはわかるけど、ファンとして接するなら、尋ねるべきことではないと思うし、あくまで山本監督の次男の結婚式なのだから、巨人の話題はできるだけ控えるべきではないのか。状況がわからないから一概には言い切れないけど、少々礼を失しているかと思う)。

 人はとかく先入観で物事を決めてしまいがちだ。「あいつはああいう奴だから」「あいつにはどうせこれくらいしかできないから」と、実際の相手を検証することなく決めつけてしまうことが往々にしてある。けれど、それでは人との関係をうまく築くことはできないし、仕事などで満足な成果を得られることはほとんどない。まして人の上に立つ者は、まっさらな気持ちで相手と接することが普通の人以上に求められるはず。常に成果を求められるプロスポーツの世界なら、なおさらだ。
 清原、清水の両選手には、この発言に踊らされることなく、モチベーションを高く保ちながらトレーニングして開幕を迎えてほしいし、名前のあがらなかった選手たちも、クサることなく頑張ってほしい。そして堀内監督にも、自身の発言に振り回されることなく、あくまで冷静に、戦力となるか否かを見極めてほしい。自分は巨人ファンではないけれど、各選手が充実した表情で野球をする姿が見られることを楽しみにしている。

敬語を使えない子供たち

2004年12月12日 11時02分10秒 | かきっとスポーツ
 さきほど、スポーツ新聞のサイトを回ってみたら、西武ライオンズの松坂大輔選手が、55年会による野球教室で、子供たちの礼儀のなさについて苦言を呈していた記事を見つけ、読んでみた。記事によれば、「礼儀はきちんとしましょう」という事前の伝達にもかかわらず、呼び捨てにされたり、あいさつがなかったりと、子供たちの躾がまるでなされていなかったらしい。子供たちはコーチや監督に対しても同級生と同等の言葉遣いをしていたということで、松坂選手も憤慨していたという。

 あれは何年前になるか、渋谷109の店員が「カリスマ店員」などともてはやされたのをテレビで観たときに、客に対し、いわゆるタメ口で話しかけていたのでびっくりしたことがあった。客商売の基本中の基本というか、それ以前にいち社会人としてそれはないだろう、と思った。しかしもっとびっくりしたのは、そうやって話しかけられている客本人が、まるでそのことを意に介していない様子だったことで、初対面の店員と客が、まるで友人同士のように会話をしていたのが、気持ち悪くてしょうがなかった。

 自分は体育会系の人間ではない。むしろ、上下関係の厳しくない文科系の人々との付き合いが多かった。けれど、やはり一定の敬意は払っていたし、言葉遣いもちゃんと使い分けていた。それは、親や周囲からそう躾けられたからだ。もちろん、理不尽な先輩の対応に憤慨したこともあるけれど、社会生活を営む上で最低限の礼儀は守ってきた。

 松坂選手が憤慨していたのは、子供たちばかりにではなかった。タメ口で話しかけられても注意しないコーチや監督、教育できない子供たちの親に対してもだ。間違ったことを子供がやっていたら注意する。何度注意しても聞かないようなら、罰を与える(もちろん、怪我をさせない程度に)。自分も親にずいぶん注意された。それで、何度注意されても聞かなかったので(苦笑)、よく父親にビンタをくらった。食事のときのマナーや、そそっかしい行動、言葉遣いなど、父親にはよく叱られた。怖い父親だった。正直、いまも心のどこかでは怖い。父親の権威が失墜したとは、自分が学生の頃から言われてたけれど、我が家に関しては当てはまらなかった。

 度を越した厳しさはともかく、人が人としてちゃんと生きていくための厳しさは、子供たちに教えていかなければいけないと思う。まして野球選手のように、いずれプロとなり、多くの人々の夢を背負う立場になりたいと考えているなら尚更だ。自分は子供の頃、王選手に憧れていた。王選手が子供のサインを断らないと聞き、会うことがあったら、いつかサインしてもらいたいと思っていた。そのときに褒めてもらいたくて、サインをもらうときのシチュエーションを頭に思い描きながら、言葉遣いを何度も練習した。いま思い返すと気味の悪いほど丁寧な、かつメチャクチャな敬語ではあったけれど、子供ながらに王選手に敬意を払っていたのだなあ、と思う。

 礼儀のない社会は折り目のない、ダラダラしたものになるように思う。松坂選手には、今後も活動を通して、技術ばかりではなく、心の面を子供たちや周囲の人々に教えてほしいと思う。
  

清原残留と岩隈獲り

2004年12月02日 13時07分06秒 | かきっとスポーツ
 ちょっと前の話題になるけれど、巨人残留か、それとも移籍かで去就が注目されていた清原和博選手が、巨人残留を発表した。来期は構想外かとの憶測も飛び交うなかでの残留発表は、巨人に骨を埋めたい、という清原選手の決意がにじみ出ている。
 一方で、近鉄バッファローズの消滅にともない、オリックス・バッファローズのプロテクト対象となっている岩隈選手が、楽天イーグルスへのトレードを希望している問題が、ここにきてオリックス・バッファローズ側が慰留をあきらめ、巨人や阪神などに交換トレードを申し込む可能性が高くなってきた。岩隈選手本人が希望している楽天へは、金銭トレードという選択肢しかないのと、二つに分けた球団へエースを供給するという不満から可能性は薄い。巨人なら高橋尚選手、阪神なら福原選手などの名が交換要員として上がっている。

 方向性は多少違うけれど、どちらも球団に残留するか否かの選択であることには違いない。清原選手は、結局幼い頃からの夢を選んだ。球団は、世間を騒がせたことに対する謝罪を条件に、残留に合意したという報道もある。
 今回の一連の騒動については、清原選手の処遇についてが大きな焦点になった。あくまでスタメン、レギュラーとしての起用を望む清原選手を、どう使うのか、という点だ。実際、今シリーズの清原選手は、シーズン当初はペタジー二との併用に甘んじ、怪我もあってほとんど使われないままだった。堀内監督との確執も囁かれており、来シーズンの起用法は未定のままだ。
 個人的な意見を述べると、起用法はあくまで監督及び現場が決めることだと思う。それがいかに実績を残した大選手であろうと、一戦力として見たときには、新人と同列だ。力がないと判断されれば、使われない。あるいは力があっても、チームとしての戦い方にそぐわないと判断されれば、活躍の場は与えられない。NBAに挑戦中の田臥勇太の例からも分かるとおり、チーム事情によるものもある。選手に選択の余地はない。
 だから、そうした判断のもとに清原選手を使わないと堀内監督が決めたのであれば、それはやむを得ないと思う。それに対して不満があれば、他球団へ活躍の場を求めるしかない。落合選手が巨人に移籍したとき、駒田選手が横浜に行き、その落合選手も清原選手が移籍したとき日ハムに移籍した。野球で報酬をもらうことが仕事なのだから、どの球団でも野球をやる、という姿勢は潔くて自分は好きだ。
 ただ、選手はマシーンではない。感情もある人間だ。仮に力があるのに起用しないということであれば、その旨を選手に伝え、理解を求める対話を欠かしてはならないと思う。例えば代打起用になったとして、納得して代打をやるのと、そうでないのとでは結果も変わってくる。今シーズン限りで引退した八木選手など、いい例なのではないだろうか。清原選手にしても、「泥水をすすってでも」と本人が思っているのだし、堀内監督には、ぜひ対話をしてもらって、双方が納得できる道を探ってほしい。

 岩隈選手に関しては、見方が人によってわかれるのではないかと思う。もともと本人が希望していた楽天行きを支持する声と、さすがにそれはわがままではないか、という声の二つにわかれるだろう。自分としては、彼がどうしてもオリックス・バッファローズではやれない、というのなら、任意引退選手扱いにでもして、楽天のトライアウトを受けさせてもいいと思う。そのことで来年度は野球ができないということになったとしても、岩隈選手本人も納得するだろう。モチベーションが保てないなかでプレーしても、望まれている成績はあげられないだろうし、怪我につながるおそれもある。第一、今回の件は、オーナー側の一方的な都合から始まったことでもあるのだし、選手の心情に配慮があってもいいだろう。ちなみに、巨人や阪神へのトレードは論外だ。トレードする側される側、どちらの選手にとっても不満が残り、球団だけが得をするというのは、どうも納得できない。

 人と人の関係において、どちらもが納得して事を進めるためには、必ず困難がつきまとう。何度も対話を試みて、それでも決裂してしまうときもあるだろう。だからといって対話をやめて機械的に物事を進めてしまうというのでは、人間味がなさすぎる。来シーズン、プロ野球を心から楽しむためにも、当事者のみならずファンも納得できる結果を期待したい。

メッツ買います

2004年11月07日 15時11分58秒 | かきっとスポーツ
 ダイエーに続いて、西武が身売りするという記事が日本中を駆け巡っている。12年ぶりの優勝を決めた年に発覚した事態に、選手も戸惑いを隠せない。ダイエーの王監督などは「うちと西武がなくなったら、パは終わっちゃうよ」と語ったというが、球団について宣伝媒体としか考えてこなかったということが、この一件からでもよくわかる。ほとんどのオーナーに野球に対する愛は感じられないのは残念でならないが、一連の報道を見ていて、自分の脳裏には、ある漫画の一編が浮かんでいた。水島新司の「野球狂の詩」の「メッツ買います」という話だ。

 東京メッツの本拠地、国分寺球場に、「メッツが弱いのはオーナーが悪い!」と叫び「明日のメッツのために『メッツ買います』」と宣言する大島という老人の登場する話である。しつこい大島老に、いくら出せるのかと尋ねる現オーナーや五利監督の前で、彼が意気込んで見せたのは、たったの200万円。しかし、そのお札はどれもボロボロだった…。老人の気持ちにうたれたオーナーたちは、そのお金で一日オーナーをやってもらうことを決める。
 試合当日、大島はオーナー席にふんぞりかえることを良しとせず、外野席などを精力的に回って、観客の声を聞く。試合はメッツが4対3で勝ったが、大島は各選手の怠慢を怒り、「いいプレーをする機会があるのに、それをせんかったらファンに申し訳ないじゃろ」と言い残して、『好球必打』と書かれた古いボールを置いて去っていく。そのボールは、戦争で命を落とした、有名な大学野球の選手だった息子の形見だった…。

 野球を愛している人は数多くいる。が、オーナーとなれるほど資金力を持っている人は限られている。資金力を持っている人で野球を愛している人は、さらに限られている…では寂しすぎる。大島老人のように、汗を流して稼いだお金を持った心ある人に、オーナーになってもらいたいと思うのは、夢を語りすぎていることなのだろうか。