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心の運動・胃の運動 #6 -BLOGRAFFITI- / Honeyの見たり食べたり…vol.6

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「明治礼賛」の正体 (岩波ブックレット) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2018/9/8 斎藤 貴男 (著)

2020-09-16 16:34:08 | 美しい日本を (~web読み日記)


商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

「明治改元150年」を記念して、政府主導により、国・自治体・民間の関連イベントが各地で繰り広げられている。都合よく歴史を改竄し、近代日本の帝国主義がもたらした負の側面を省みず、「明治に学べ」との掛け声のもと、国策として進められる「明治礼賛」。その背後にある構想は、財界の意向を最大限に尊重し、また対米従属下で軍国主義へと舵をきる21世紀版“殖産興業・富国強兵”ではないのか―。気鋭のジャーナリストがその実態を暴き、この国のゆくえを問う。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

斎藤/貴男
 1958年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学商学部卒業。英国バーミンガム大学修士(国際学MA)。新聞記者、月刊誌編集者、週刊誌記者を経てフリー。『「東京電力」研究 排除の系譜』(講談社、角川文庫)で第3回いける本大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

登録情報

  • 発売日 : 2018/9/8
  • 単行本(ソフトカバー) : 72ページ
  • ISBN-10 : 4002709868
  • ISBN-13 : 978-4002709864
  • 出版社 : 岩波書店 (2018/9/8)
  • 言語: : 日本語 
・・・


トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
井上喜由
5つ星のうち5.0 健筆の斎藤貴男氏に安堵
2018年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国が「森友学園に関する決裁文書の改ざん」で国会や国民を愚弄すると言う前代未聞の事件が発生した。しかも、誰一人政治家は責任を取らないでいる。そんな澱を抱えたままでも時は推移して行く。嫌な時勢になってしまった。・・こんな時にあの気骨のジャーナリスト・斎藤貴男氏は何を考え、語っているのかあぐねて居る折、この著書を知った。読後、斎藤氏の健筆は従前に増して確かなものだと感じた。氏は安倍晋三首相が明治維新を引き合いに「日本を取り戻す」「この道しかない」と訴え続け、明治の日本人にできて今の日本人にできない訳はないと述べていると言う。確かに明治は開国、近代化への道を歩き始めた訳ではあるが、一方、富国強兵・殖産興業の時代でもあった。2015年8月14日、安倍晋三氏は「戦後70年談話」を発表したが、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」のキーワードに触れてはいるがいずれも自分の言葉として述べていない、すべて引用の形だ。逃げている。・・・・・・、「一人の日本人としての筆者(斎藤貴男氏)には、懸命に生きた明治の先人たちがあくまで愛おしい。綺麗事だけでは生きていけないのは、古今東西の真理でもある。だが私たちが獣ならぬ魂を湛えた人間である以上、開き直ってしまうわけにはいかない。私たちの国は、植民地にはされずに済んだ代わりに、かけがえのないものを失い、あまりにも多くの人々を傷つけ過ぎている。
悲しい近代史を経て、現代の私たちがまず為すべきは、「明治」を取り戻すことなどでは断じてない。″明治
150年″の間に溜まりに溜まった負の遺産の精算なのである」と結んでいる。
・・爽快感と決意が生まれた一冊だった。
145人のお客様がこれが役に立ったと考えています

Enriques_Castelnuovo
5つ星のうち5.0 明治改元150年のいま 歴史の光と影を見る本です
2018年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和の新聞記者
石光真人(いしみつ・まひと)
(1904-1975)の編著で
『ある明治人の記録
会津人柴五郎の遺書』
(中公新書 1971)
という本があります。

薩長土肥の明治政府から
「賊藩」「朝敵」と規定された
会津藩は現在の青森県の東部
下北の地に移封されました。
やはり佐幕(徳川幕府支持派)であった
南部藩(盛岡藩)から懲罰として
薩長土肥が奪い取った土地に
旧・会津藩を無理やり移し
斗南(となみ)藩としました。
明治維新よりあとの
1869(明治2)年のことです。

柴五郎(しば・ごろう)
(1860-1945)は
後に陸軍大将になった人ですが
会津藩士の子であったので
父とともに斗南藩に移りました。
祖母・母・姉・妹は同行しませんでした。
なぜなら会津落城のときに自刃し
既にこの世の人ではなかったからです。

斗南藩は当時まだ未開のやせた土地で
表向きの石高は3万石ですが
実質7千石だった由です。
もともと酷寒の土地です。
加えて飢餓が襲います。

野良犬の死骸をもらってきて
それを主食として
20日間食べ続けたことが
記載されています。
調味料もなく
塩で煮ただけの野良犬の肉です。
何日目かに五郎少年は
とうとう犬の肉がのどを通らなくなり
口に入れただけで
吐き気を催すようになります。
この様子を見た父が激怒。

「今回は賊軍に追われて
辺地にきたれるなり。
会津の武士ども餓死して果てたるよと、
薩長の下郎どもに笑わるるは、
のちの世までの恥辱なり」

と厳しく叱責します。そこで
目をつぶって口の中の犬の肉を
一気に飲み下したが
胸につかえて死ぬるくらい苦しかった
…という事実が淡々と書かれています。

野良犬の肉まで食ったのに
栄養失調のため脚気となり
春がきたときには
五郎少年の頭髪はすべて抜け
禿頭になっていました。
この本も是非ご一読していただけると
誠に幸いに存じます。

さて
本書によりますと首相は
「明治に学べ」「明治に倣おう」と
明治を礼賛し
明治への回帰を唱えている由です。
なるほど
お友だちには「青天井」で
(金額に上限がなく
チェックもないことを意味する比喩です)
予算を出すけれども
そうでない人は野良犬の肉を食らうだけの
心の準備をしておきなさい
(あくまでメタファーつまり隠喩です)
というメッセージかもしれません。

旧暦で慶応四年九月八日
明治改元の詔が発せられます。
旧暦でこの年の元日にさかのぼって
明治元年とすることが決まりました。
この時点では旧暦(太陰太陽暦)を
使用しており、閏月もあったので
明治元年は383日ありました
(1年が365日に固定されるのは
太陽暦になってからのことです)。
新暦(太陽暦)になるのは1872年です。

旧暦の慶応四年九月八日が
新暦の1868年10月23日にあたります。
よって2018年は「明治150年」
(明治改元150周年)
ということになります。

余談ですが、本書では
「即位の日付は旧暦慶応四年九月八日」
(P.6)とありますが、即位礼は
旧暦慶応四年八月二十七日のようです。
九月八日は明治改元の詔書が発せられた日です。
その中で「一世一元」も規定されました。
したがって実質的には即位の日は
九月八日でもいいような気がしますが
いつを即位の日と定めているのか
ご専門の方のご教示をいただけると幸いです。

上記のように
私は歴史の専門家ではありませんが
日本史・世界史問わず歴史に興味があり
関連の書籍を少しく読んで参りました。
その結果ひとつの印象を持つようになりました。

それは
歴史は多面的であるということです。
表もあれば裏もあり
光があれば影があります。
自然科学ではないけれど
新資料が見つかったり研究が進んで
評価が変わることもあります。
本来、多面的で複合的な
歴史上のできごとや人物を
一面的にとらえることには
根源的な危うさを禁じえません。


例えば
・いまどき「暗黒の中世」などと言ったら
笑止千万です。ルネサンス以降よりも
豊穣であったかもしれません。
・イスラム文化が数学・自然科学でも
世界を引っ張る最高水準にあった時代が
比較的長く続きました。
・「自由・平等・博愛(というより同志団結心)」
のシンボルとされるフランス大革命も
否定的な側面が強調されています。
・スターリン(1878-1953)は悪魔でしたが
レーニン(1870-1924)は正しかったとするのか
そもそもレーニンの不寛容性が問題だったのか
いろいろな考え方があります。

従って
「明治150年」だからと
一方的に明治を礼賛する風潮には
必ずしも賛同できません。
政権の動きとそれに関する個々の批判は
多岐にわたって本書に記述があります。
是非お読みになっていただければ
誠に幸いに存じます。

では明治について私の素朴な疑問を
3つ述べたいと思います。

①維新後77年で焼け野が原
‥‥明治維新は1868年です。
このとき誰かが
「どうせ77年すれば
江戸(東京)も大坂(大阪)も
この国中が焼け野が原になる」
と予言したならば
信じてもらえたでしょうか。
結果として77年かけて焦土となるために
明治維新を進めたのであれば
別の選択肢があっても
良かったかもしれません。

曲がりなりにも
徳川幕府は260年の平和
世界史的にも稀有とされる
「パックス・トクガワーナ」
を達成しました。

一方、薩長土肥の明治政府は
77年で国土を焦土
に変え
しかも最後の15年は
ずっと戦争していました。
国民は辛抱を強いられました。
当時、上述の
南部藩・斗南藩・会津藩などがあった
東北地方は身売りが行われるほど
疲弊していました。

さらに
敗戦後73年経っても
江戸(東京)の空を支配しているのは
ペリーやハリスの国です

(いわゆる横田管制の存在です)。
そもそも
薩長土肥の政治理念は
「尊王攘夷」(尊王+攘夷)
徳川方はこれに対し
「佐幕開国」(佐幕+開国)
でした。
いわゆる
幕末の志士と自称する人たちも
「尊王攘夷」です。
ところが
暴力(武力)で政権を奪った薩長土肥は
さっさと
「開国」へ舵を切ります。
今のコトバで言えば公約違反であり
「攘夷」を心底信じていた人々への
説明責任を果たしていません。

結果として
支持者にウソをついたことになります。
あるいは徳川幕府の政策のパクリ
(許可なく盗用すること)です。
しかも
150年経っても江戸(東京)の上空は
いまだ攘夷が実現していません。

ちなみに
ロシア革命からソ連崩壊まで74年です。
明治維新から敗戦までの77年は
やはり短いと思います。
百年・二百年・三百年‥‥
という長期的展望が
薩長土肥には欠けていたと思います。

もちろん
総体的には生活水準があがり
便利な世の中になりましたが
それが薩長土肥の明治政府でなければ
できなかったこととは思いません。

②卑劣な追い込み
‥‥幕末から戊辰戦争にいたるころの
薩長土肥(特に薩摩)が
徳川慶喜(よしのぶ)(1837-1913)を
将軍とする徳川方を
無理くり追い込んで行くやり方には
賛同できません。
戦争を起こして軍事的に徳川幕府を
滅ぼしたかったのでしょう。
勅許や錦旗を上手に利用し
徳川を「賊軍」「朝敵」と決めつけ
滅ぼしたやり方は一方的であり
マキャベリズムの典型と思われます。
目的のためには手段を選ばない
反知性的なやり方です。

冒頭に引用いたしました
会津藩は
松平容保(1836-1893)が藩主で
容保(かたもり)は
京都守護職を務め、その傘下に
京都見廻組(旗本・御家人で構成)や
新選組(浪士で構成)がありました。
奥羽列藩同盟が結成されたときの
「君側の奸である薩賊を除く」
という目的の方が
理ないし義にかなっています。
結果として会津藩は敗北し
野良犬の肉を食う艱難辛苦を
味わうことになりました。

21世紀になってからも
「大量破壊兵器」があるはずだと
米国英国などがイラクに攻め込みましたが
「大量破壊兵器」はありませんでした。
このニュースを聴いたときに
洋の東西も時代も違いますが
薩長土肥と似たような方法をとっている
と感じたものです。

薩長土肥による藩閥政府ではなくて
徳川慶喜ないし徳川家も加えた
合議政府が実現していれば
別のストーリーがあったことでしょう。
あるいは
徳川慶喜を大統領のような位置にすえて
合議政府が実現していれば
また別の選択肢があったかもしれません。

③司馬遼太郎の功罪
‥‥国民的作家といわれる
司馬遼太郎(1923-1996)について
本書では
「司馬遼太郎という作家は
あまりに罪作りだった」(P.45)
と述べています。理由は
「もともと一定以上の階層の間に
根強くあった明治幻想を一般に広め、
定着させた」
からです。私も同感です。

誤解を生じないように述べておきますと
ストーリーテラーとしての
司馬遼太郎はやはり最高の作家です。
小説・随筆・紀行など私も相当読みました。
娯楽小説としての歴史小説は一流です。
しかし歴史小説はあくまで小説であって
歴史ではありません。

司馬遼太郎は旧・帝国陸軍の
戦車連隊の将校として
栃木県佐野市で敗戦を迎えました。
(最初は旧満州の戦車学校で
訓練を受けていたので
あやうくシベリア抑留から
免れたことになります)

当時の旧陸軍への反感と批判から
明治を意識して肯定的に
描くようになります。
「自分が書く小説は
20歳の自分への手紙である」と
述べていたと思います。
しかしその描き方が結果として
明治幻想を定着させてしまいました。

秋山兄弟を主人公に
日露戦争を描いた代表作
『坂の上の雲』
がその典型です。本書によると
同書は企業経営者が愛読する
「バイブル」
のような小説との由です
(詳細は PP.19-21)。
確かに面白いです。
私も何回となく通読しました。
しかし「小説はあくまで小説」です。
司馬は
明治には汚職もなかったと
語っていますが
本書によるとそれはウソで
明治にも
汚職はめずらしくありませんでした。
(詳細は PP.45-50)

繰り返しますが
ストーリーテラーとしての
司馬遼太郎は空前絶後です。
歴史小説が「司馬以前、司馬以後」と
言われる所以です。

司馬は大量の資料を読み
自分の判断に基づいて
登場人物に明確なキャラクターを与えます。
それは一貫してブレることがありません。
なぜなら
そのキャラクターの通りに
司馬はあたかも人形遣いのように
登場人物を動かすからです。
上空からあやつり人形を
「俯瞰」「鳥瞰」しているので
人間は単純化され合目的に行動します
(文字通り「傀儡」です)。
従って記述は平易で透明で
「わかりやすい」
のが最大の特長です。
結果として読者は
登場人物に感情移入しやすくなります。
(司馬の愛読者には感情的な人が多い
という指摘を聞いたことがあります)

また司馬は
新しい作品の著作のたびに
トラック何台分もの資料を購入し
それを駆使して「歴史のような」
娯楽小説を書きました。

『眠狂四郎』で有名なシバレンこと
柴田錬三郎(1917-1978)は
「司馬遼太郎氏の
小説とも歴史ともつかぬ
鳥瞰図的物語」
と冷静に指摘しています。
『柴田錬三郎選集18』
(集英社 1990)(P.336)
をご参照いただけると幸いです。

今となってみれば
司馬が
「どこまでが史実で、どこからが創作か」
を一度も明示することがなかったことが
幻想の原因となったと思われます。
結果「小説はあくまで小説」ととらえて
歴史とは扱わないように
徹底しておかないと
誤解が生じる恐れがあります。
実態は逆ではないかと危惧しています。

司馬がそのスタイルを確立したのは
『竜馬がゆく』
を書いている途中です。
ほとんど忘れ去られていた坂本竜馬を
幕末の人気ナンバーワンに
押し上げたのは司馬遼太郎です。
ここにおいても
「司馬以前、司馬以後」の典型例があります。

前述の
『坂の上の雲』で申し上げれば
主人公の秋山兄弟以外に陸軍の
児玉源太郎(1852-1906)が
良い人に描かれています。
生き生きとして勇猛果断なので
読んでいるうちに
感情移入してしまうリスクがあります。
乃木希典(まれすけ)(1849-1912)は
児玉の引き立て役のような役回りです。
乃木が優秀な指揮官であったとは
とうてい思えませんが、しかし
児玉源太郎と乃木希典の
軍人としての客観的な評価は
また別の問題です。
娯楽小説ではなくて専門的な
検討が必要と思われます。
そう言えばある首相
(冒頭で引用した人とは別人)が
『坂の上の雲』に感情移入して
息子に「源太郎」という名前をつけた
と聞いたことがあります。

司馬遼太郎の小説に関連して
本書では
NHKの「大河ドラマ」
「朝の連続テレビ小説」
「スペシャル大河ドラマ」(『坂の上の雲』)が
時の政権の意向を受けて
選定され作られていることが
示唆されています
(詳しくは PP.16-23)。

司馬遼太郎の価値観のみに
染まらないためには、例えば
日露戦争の日本海海戦を
ロシア側から描いた
吉村昭(1927-2006)による
『海の史劇』(新潮社 1972 のち文庫化)
を併せてお読みになるといいかもしれません。

本書はブックレットであり
71ページに過ぎませんが
内容はたいへんリッチであり
コンパクト(稠密)な内容です。
例えば
「日清戦争でも日露戦争でも、日本は
欧米列強のサロゲート(代理人)として
戦争を戦い
欧米列強のアジア侵略の尖兵として機能した」
というユニークな見方を紹介しています。
(P.35)
司馬遼太郎なら
真っ向から否定することでしょうが
みなさんはどのようにお考えになるでしょうか。

歴史は多面的です。
一面だけをとらえるのでなく
光と影の両面を見る必要があります。
そのためには日頃から
多様な価値観を認める訓練を
しておいたほうがいいかもしれません。
寛容さはそこから生まれることでしょう。
逆に
歴史の一面しか見ないと
価値観が固定され
不寛容になっていくような気がします。

多面的な見方をする訓練として
明治を礼賛する方も
否定する方も
いちど本書をお読みになっていただけると
誠に幸いに存じます。
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アホ ロートル(環虚洞)
VINEメンバー
5つ星のうち5.0 天皇・皇后両陛下のお気持ちが分かるような・・・
2018年10月31日に日本でレビュー済み
「過ちは人の常・・・」と諺にもある。だから、ただの人間が、やたら持ち上げられ賞賛されたりすると首をひねらざるをえない。その人物が、個人的に知っている人間であればなおさらだ。それは、時代についても言えるだろう。所詮、人間がつくりあげたものである。不完全な人間が織りなした時代が完全であろうはずがない。それは、「明治」という時代についても、同じのはずだ。

著者は、今日、「礼賛」の対象となっている「明治」の正体を暴く。礼賛したいと願う人、礼賛していた人にとっては、たいへん興ざめにちがいない。それでも、事実は事実である。こうした、視座、視点があるから、世の中バランスが取れるのであろう。

最近、「明治150年記念式典」があった。ひとつのニュースを見て、思わず苦笑した。天皇・皇后両陛下がその式典に出席しなかったという記事だ。象徴天皇は政治に巻き込まれることを嫌ったのであろうと勝手に解釈した。それが、本来の立場だからである。しかし、それ以上に、老骨に鞭打って各地に慰霊の旅に足しげく通ってこられた戦中派天皇・皇后は、十分すぎるほどに〈「明治礼賛」の正体〉をご存知であるからのことであるようにも思った。これもまた勝手な解釈であるが・・・。

いずれにしろ、今日、国家的に、「明治」が「礼賛」される背後にはソレなりの意図があること。そして、実際の明治は、それほどのしろものではなかったことが記されて興味深い。
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115人のお客様がこれが役に立ったと考えています

つくしん坊
ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0 時代錯誤の政策、精神運動、教育が再び国を滅ぼすことを恐れる
2018年12月4日に日本でレビュー済み
著者は1958年生まれのジャーナリストであり、これまで多くの社会問題を深く掘り下げ、その重要性や危険性に対して警告を発してきた。著者のこれまでのテーマには、消費税、石原慎太郎、東京電力、安倍政権、マスコミによる「民意」の作られ方などがあり、いずれも大手マスコミの意見とは異なる、鋭い批判精神が溢れている。本書は、「明治150年」の機会に、安倍政権とその周辺(政治家、右派評論家、雑誌)が盛んに流す言説やイベントの背景、そのような現象への危機感をまとめたものである。

本書では、昨今の「明治礼賛」が、歴史の教訓に学ぶことなく、歴史への無知あるいは歴史修正主義的そして新自由主義的な発想から行われていることを資料に基づいて解き明かしている。NHKのドラマ(大河ドラマや司馬遼太郎原作のドラマ)が大衆向けのプロパガンダの役割を担っている。安倍政権が目指す21世紀版「富国強兵・殖産興業」は、古色蒼然たるナショナリズムであるとともに、産業界が牛耳る「インフォーマル帝国主義」に他ならない。政権が全面的に後押しする武器・原発輸出や、国内での原発再稼働政策はその一例である。「国内植民地」扱いへの沖縄への冷酷な対応や、人権を無視した「移民政策」も戦前の国策を髣髴とさせる。

安倍首相がことあるごとに引用する福澤諭吉の正体は、安川寿之輔氏の著書などで暴き出されている。福澤は丸山眞男が称賛したような「市民的民主主義者」などではなく、『脱亜論』に代表されるような侵略主義者・差別主義者(対人種、女性、弱者、貧乏人)であった。元祖ネトウヨともいうべき福澤そっくりの言説が首相を始めとする政権中枢の政治家や右派評論家たちから日常的に垂れ流されている。「明治150年」にして、長州史観(明治政府を主導し、日本を敗戦に導いた侵略主義的な歴史観)は今なお健在なのだ。

歴史家の半藤一利氏が説くように、日本を敗戦に導いた軍人たちの多くは長州にゆかりがあった。73年前に長州史観の政治家・軍人たちは、侵略主義的・膨張主義的な国策で国際的に(特にアジア諸国から)日本を孤立させ、終には日本を滅ぼしたのだった。「脱亜入欧」ともいうべき対米従属に甘んじながら、近隣諸国とは緊張を高める現在の国策は、時代錯誤も甚だしく、再び戦争には至らないまでも、国力の衰退(製造業の不振、基礎科学の頭脳流出、教育水準の低下)をもたらすことを恐れる。本書は、「明治礼賛」がいかに時代錯誤であるかを認識させてくれる。
もっと少なく読む
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曇り雨のち晴れ
5つ星のうち5.0 今の日本の制度疲労と閉塞感の中でも、特に気を付けなければならない視点
2018年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治維新、明治時代及びその時代の思想には、日本近代化の重要な意義がある。しかし、それには当然、光と影があるのであり、無批判にその成功体験を現代に再投入するのは、あまりにも安易だし危険である。現在日本の状態、国際的に置かれている位置などをきちんと踏まえ、「明治礼賛」は、再びの過ちに繋がりかねないものであり、「批判的に検証」し、今の時代にあった新たな考え方や進むべき道をしっかりと考えるべき時であり、事柄である。
そういう意味で、このブックレッドは極めて有効に参考にして考えるべき基本的な視点を提起してくれている。
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています


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そろそろ日本の奥の院…世界を牛耳る勢力の存在に気づく人、
増えてきましたね。

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