トリホス将軍の死 (日本語) 単行本 – 1985/10/1
グレアム・グリーン (著)
登録情報
出版社 : 早川書房 (1985/10/1)
発売日 : 1985/10/1
言語: : 日本語
単行本 : 273ページ
ISBN-10 : 4152032952
ISBN-13 : 978-4152032959
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- 49,071位ノンフィクション (本)
- 97,693位文学・評論 (本)
上位レビュー、対象国: 日本
lm700j
5つ星のうち5.0 パナマの対米追従じゃなかった政治家の話
2010年1月26日に日本でレビュー済み
パナマの対米追従じゃなかった政治家の話
側近のマルクス経済学教授兼軍曹なんかも狂言回しとして面白い
そんな気骨のある政治家だからこそ消された、ということなのかな
あの辺の国ってアメリカ系の企業の植民地みたいになってて
そこで権益をあさるDQN政治家が外道な政治をして
そりゃおかしいだろと革命が起こって社会主義的な政治家が立って
しかしアメリカがいい顔しなくて仕方なくて東側に近づいて
結局はアメリカにつぶされる、というお約束の展開なわけな
たとえばアメリカが外道企業を切って政治家に協力していれば
結果的には政治が安定するのでアメリカにも利益があると思うんだけどね
敵の敵は味方、というのは欺瞞で、有能な敵より無能な味方のほうが結果的には邪魔なのだ
キッシンジャーの影のちらつく話ではあったのだが、彼ですら分かってなかったのかな
反共というだけで祭り上げられた外道独裁者は敵の敵は馬鹿だったのだ
その中で対外的には平和国家を装ったアメリカの腰巾着として振る舞いつつ
内政的には軽軍備で福祉教育にリソースを振る、という合理的な政策を行った
コス帝コスタリカってすごくね、と思ってしまうわw
lm700j
5つ星のうち5.0 パナマの対米追従じゃなかった政治家の話
2010年1月26日に日本でレビュー済み
パナマの対米追従じゃなかった政治家の話
側近のマルクス経済学教授兼軍曹なんかも狂言回しとして面白い
そんな気骨のある政治家だからこそ消された、ということなのかな
あの辺の国ってアメリカ系の企業の植民地みたいになってて
そこで権益をあさるDQN政治家が外道な政治をして
そりゃおかしいだろと革命が起こって社会主義的な政治家が立って
しかしアメリカがいい顔しなくて仕方なくて東側に近づいて
結局はアメリカにつぶされる、というお約束の展開なわけな
たとえばアメリカが外道企業を切って政治家に協力していれば
結果的には政治が安定するのでアメリカにも利益があると思うんだけどね
敵の敵は味方、というのは欺瞞で、有能な敵より無能な味方のほうが結果的には邪魔なのだ
キッシンジャーの影のちらつく話ではあったのだが、彼ですら分かってなかったのかな
反共というだけで祭り上げられた外道独裁者は敵の敵は馬鹿だったのだ
その中で対外的には平和国家を装ったアメリカの腰巾着として振る舞いつつ
内政的には軽軍備で福祉教育にリソースを振る、という合理的な政策を行った
コス帝コスタリカってすごくね、と思ってしまうわw
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オマル・トリホス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はトリホス、第二姓(母方の姓)はエレーラです。
オマール・トリホス
Omar Efraín Torrijos Herrera
Omar Torrijos 1977.jpg
パナマの旗 パナマ共和国
最高司令官
任期 1968年10月11日 – 1981年7月31日
大統領 ホセ・マリア・ピニージャ (1968-69)
デメトリオ・B・ラカス (1969-78)
アリスティデス・ロヨ (1978-82)
出生 1929年2月13日
パナマの旗 サンティアゴ・デ・ベラグアス
死去 1981年7月31日
パナマの旗 Penonoméの近く
政党 なし(軍人)
配偶者 Raquel Pauzner de Torrijos
子女 マルティン・トリホス
オマール・エフライン・トリホス・エレーラ(Omar Efraín Torrijos Herrera, 1929年2月13日 - 1981年7月31日)は、パナマの軍人、政治家。軍事政権を率いたが、反米ナショナリストとして民衆から広く慕われた。
目次
1 生涯
2 脚註
3 参考文献
4 関連作品
5 関連項目
生涯
オマール・トリホス(右)
1929年、サンティアゴ (Santiago de Veraguas) の教師の家庭に生まれる。幼少期に母親が米兵にぞんざいに扱われるのを目撃する。エルサルバドル、アメリカ合衆国、ベネズエラの軍人学校で英才教育を受けたのち1952年に国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るうようになった。1968年のクーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。
1972年には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、ペルー革命を指導したペルーのベラスコに影響を受けた[1]民族的政策を打ち出して国民の支持を集めた。その一環としてアメリカ占領下にあったパナマ運河地帯の主権回復を目指し、キューバのカストロに接近し、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカ合衆国に揺さぶりをかけた。こうして1977年、アメリカ合衆国と運河返還を約束する条約の締結に成功する。それ以外にも様々な国内改革を行い国民生活の改善に務めた。1978年、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した民主革命党 (PDR) を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。1981年、謎の飛行機事故で死亡した。事故の原因はアメリカによる暗殺と言われている。
脚註
^ 中川・松下・遅野井(1985年)、p.190
参考文献
中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史Ⅱ』山川出版社、1985年
国本伊代、小林志郎、小澤卓也『パナマを知るための55章』明石書店、2004年 ISBN 9784750319643
関連作品
グレアム・グリーン『トリホス将軍の死』早川書房、1985年 ISBN 9784152032959
関連項目
フアン・ベラスコ・アルバラード
マヌエル・ノリエガ
トクメン国際空港
軍職
先代:
新設 パナマの旗 パナマ国家警備隊最高司令官
1968 - 1981 次代:
フロレンシオ・フローレス・アギラール
党職
先代:
新設 パナマの旗 パナマ革命の最高指導者
1972 - 1981 次代:
なし
典拠管理 ウィキデータを編集
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カテゴリ:
パナマの政治家パナマの軍人パナマの反共主義者クーデター政権指導者航空事故死した人物1929年生1981年没
・・・
最終更新 2017年1月11日 (水) 09:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 ・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はトリホス、第二姓(母方の姓)はエレーラです。
オマール・トリホス
Omar Efraín Torrijos Herrera
Omar Torrijos 1977.jpg
パナマの旗 パナマ共和国
最高司令官
任期 1968年10月11日 – 1981年7月31日
大統領 ホセ・マリア・ピニージャ (1968-69)
デメトリオ・B・ラカス (1969-78)
アリスティデス・ロヨ (1978-82)
出生 1929年2月13日
パナマの旗 サンティアゴ・デ・ベラグアス
死去 1981年7月31日
パナマの旗 Penonoméの近く
政党 なし(軍人)
配偶者 Raquel Pauzner de Torrijos
子女 マルティン・トリホス
オマール・エフライン・トリホス・エレーラ(Omar Efraín Torrijos Herrera, 1929年2月13日 - 1981年7月31日)は、パナマの軍人、政治家。軍事政権を率いたが、反米ナショナリストとして民衆から広く慕われた。
目次
1 生涯
2 脚註
3 参考文献
4 関連作品
5 関連項目
生涯
オマール・トリホス(右)
1929年、サンティアゴ (Santiago de Veraguas) の教師の家庭に生まれる。幼少期に母親が米兵にぞんざいに扱われるのを目撃する。エルサルバドル、アメリカ合衆国、ベネズエラの軍人学校で英才教育を受けたのち1952年に国家防衛隊に入隊し、反体制派の弾圧に辣腕を振るうようになった。1968年のクーデターに加わり、最高司令官となり全軍を掌握する。
1972年には新憲法を制定して国の最高指導者としての全権を握り、ペルー革命を指導したペルーのベラスコに影響を受けた[1]民族的政策を打ち出して国民の支持を集めた。その一環としてアメリカ占領下にあったパナマ運河地帯の主権回復を目指し、キューバのカストロに接近し、近隣諸国に協力を求めるなどアメリカ合衆国に揺さぶりをかけた。こうして1977年、アメリカ合衆国と運河返還を約束する条約の締結に成功する。それ以外にも様々な国内改革を行い国民生活の改善に務めた。1978年、国家主席の座を退いたが国家防衛隊最高司令官としてとどまり、新たに結成した民主革命党 (PDR) を通じて圧倒的影響力を発揮し続けた。1981年、謎の飛行機事故で死亡した。事故の原因はアメリカによる暗殺と言われている。
脚註
^ 中川・松下・遅野井(1985年)、p.190
参考文献
中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史Ⅱ』山川出版社、1985年
国本伊代、小林志郎、小澤卓也『パナマを知るための55章』明石書店、2004年 ISBN 9784750319643
関連作品
グレアム・グリーン『トリホス将軍の死』早川書房、1985年 ISBN 9784152032959
関連項目
フアン・ベラスコ・アルバラード
マヌエル・ノリエガ
トクメン国際空港
軍職
先代:
新設 パナマの旗 パナマ国家警備隊最高司令官
1968 - 1981 次代:
フロレンシオ・フローレス・アギラール
党職
先代:
新設 パナマの旗 パナマ革命の最高指導者
1972 - 1981 次代:
なし
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カテゴリ:
パナマの政治家パナマの軍人パナマの反共主義者クーデター政権指導者航空事故死した人物1929年生1981年没
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最終更新 2017年1月11日 (水) 09:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 ・・・