考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

春一番と等価交換

2006-03-06 23:20:32 | 徒然なるままに

今日は子どもと少し近所を歩いてみました。
いつもは歩かない道を歩くと、新鮮なものですね。
そして、梅が咲いている家も結構多くあるなと・・・10年近く住んでいながら気がつかなかった発見をしました。

風が強かったですね。東京では春一番だったようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060306-00000077-kyodo-soci
春一番とは、北海道や東北、沖縄以外の地域で、立春から春分までに吹く強い南寄りの風のことだそうです。晩秋から初冬までの北寄りの風は木枯らし一号と呼んだり、冬という季節を挟んでの風には昔の人は思い入れが強かったんでしょうね。
・・・こちらの「春一番」ダッーを思い出すあたりは、やっぱりボクは春には不似合いなのかも知れませんけど。

みなさん、ハローです。ホディです。

この前から、「等価交換」という言葉が気になっています。
※前回のボクの記事「等価交換と労働」:http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/1f1f580e5fc4a853783264b46fb92d03

日経新聞の朝の小説が先月から堺屋太一さんの「世界を創った男 チンギス・ハン」になっていますが、その中ではまだ貨幣は存在していないんですよね。
こんな感じです。(第27回から引用させていただきます。)

テムジン(チンギス・ハンの幼名)は、(中略)毛糸やなめし皮を車に積んで湖畔に行った。(中略)
「これで銅の大鍋十個は無理ですよ、せいぜい五個ですわ・・・」(中略)
万を数える間(約三時間)ほども話し合った。その挙句、二人は「小型の鉄鍋を四つ付ける」ことで手を打った。
※ちなみにテムジンの取引相手はモハメド・アリ。もちろんボクサーじゃないですよ。

(第29回からも引用させていただきます)
寒さの厳しい冬に、チョールチと呼ばれる旅芸人を迎えたときの話です。

「話も噂もお前には商品なんだな」(中略)
「安心しろ、チョールチ。少なくとも一ヶ月は人も駱駝も泊めてやる。芸と話がおもしろければ、もう一ヶ月と馬二頭を追加するぞ・・・」

湖畔のフリーマーケット(?)での取引、そして旅芸人への報酬です。

貨幣がないと不便ですよね。
基本的には“欲しいもの”のモノとモノの「等価交換」ですから、自分の主観・志向が判断材料です。テムジンが判断する毛糸となめし皮の価値と、アリが判断する大鍋と小鍋の価値を合わせなければ取引は成立しないわけです。

そして、旅芸人はほとんどその日を暮らすためだけに、話と芸を売り物にして部族を回っているんですね。居候させてあげるから、面白い話と芸をしろ・・・とそんな感じなんでしょうか。「話と芸」を期待する部族側と、「居候」を期待するチョールチの等価交換。

毛糸となめし皮は全部で300ゴールド、大鍋は1個50ゴールド、小鍋は1個12ゴールド、話は1回30ルビー、芸は1時間20ルビー、1泊3食は80ルビーなんて決まっていれば簡単なんでしょうけど。。。
貨幣はすごい発明ですね。

と、そんなことをまたいろいろ考えていたのも、先日の「大事に思うこと」
日本人の「大事」とアメリカ人の「大事」は同じなのか?
ボクの「大事」とあなたの「大事」は同じなのか?

昔から会社の採用試験の適性検査でも思っていたんですよね。
Aさんの「積極的 5」とBさんの「積極的 5」は同じなのか?
Cさんの「明るい性格 2」とDさんの「明るい性格 2」は同じなのか?

子どもが「私のこと、どのくらい好きなの?」と聞きます。
好きの種類は違いますけど、昔の青春ドラマの「ねぇ私のこと、どのくらい好き?」と同じですよね。・・・「すごく好き」「こーーーーのくらい好き」・・・

感情や性格の貨幣化を検討しましょうか?
ボクの大事は300万円、ボクの積極的は50円、ボクの明るい性格はマイナス100円、ボクの好き(両手を広げたくらいの“好き度合”)は2000万円。なんちゃって。
お金で買えないモノがある。貨幣で表せないモノがある・・・でも、物々交換のモノと同じように、何らかの「価値」がそこにはあるはずなんですけど。。。

長々とまとまりのない話を失礼しました。
「等価交換は難しいですね。」


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