考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

いじめ社会の根っこ

2012-07-08 22:58:41 | 徒然なるままに

滋賀県大津市のいじめ問題が大きな話題になっている。

たしかに、教育委員会の対応などを見ていると実に不愉快になる。私自身がこの自殺した子どもの関係者だったら、教育委員会も、学校も、警察も、もちろんいじめた子どもも許さないだろう。

一方で、正義を正義として言い過ぎるマスコミの傾向にも、非常に危機意識を感じる。

以前にもこのブログでは何度か書いた覚えがあるが、良くも悪くも誰かを大勢で一方的に責めるのは怖い風潮だ。

特に子どもには子どもの正義があり、今回の話題でテレビ画面に出てくる子どもたちが「学校が・・・」とか、「先生が・・・」とか、大人の世界を大人の言葉で責めるシーンは、正直なところ、私には怖い。

私は、こうした正義が実は日本のいじめ社会の根っこではないかと思う。

(ただ、念のため、繰り返しますが、決して教育委員会などに罪が無いというつもりでもありません。)

 

1年半前にこんな記事を書いていましたので、再掲します。

多くのテレビのコメンテーターのように鮮やかに切り捨てられませんので、また同じような話をこのブログでも繰り返すのでしょう。

 

排除の論理

2011-01-30 23:22:06 | 徒然なるままに

日経新聞の土曜日の夕刊に「シニア記者がつくるこころのページ」という面があります。
毎回、著名な先生のインタビューが載っているんですが、昨日(2011/1/29)は感染免疫学者の藤田紘一郎さんとの話でした。

題して『「きれい好き」の落とし穴』。
花粉症の原因の話から、「個」を重んじる社会に、という藤田紘一郎さんの考え・・・

ボクにとって、タイムリーな話でした。
毎年、悩まされている花粉症が酷くなってきている時期で、今年は花粉の量も多いということで、ちょうど、耳鼻科に昨日、行って来たこともあり、興味深く読みました。

藤田さんは、日本人は清潔にしすぎて、体内の虫や腸内細菌を徹底して洗い流してきたために、花粉症などのアレルギー体質になってしまっているという説を持っているそうです。
そうした行き過ぎた「きれい好き」は、いろいろな面で現代日本で散見される。こうした考えは、広く異質なもの、“きたないもの”を排除するという志向になり、必ずしも良いこととは限らない、ということが書かれています。

具体的には、こんな話・・・

「いい菌と悪い菌」「善玉と悪玉のコレステロール」というように、とかく善悪の別をはっきりさせたがる最近の風潮も危惧する。
「今の日本では『いい、悪い』を峻別し、悪と決めつけると徹底していじめる傾向がある。一つの流れに乗ってしまうのです。しかし、いろいろな人間がいて成り立つのが社会です。効率優先になると、いわゆる優秀、役に立つといわれる人だけが大事にされるようになる。最近は企業などから講演を頼まれる機会も増えましたが、『みんなの生きる力を呼び起こすべきだ』『異なる物を排除する会社や組織になってほしくない』ということを強調しています。」

多様性は、環境の変化などに対して実は強いと思う。そして、狭量な社会は、何よりも窮屈ですよね。しかも、善と悪の基準は絶対的なものではないわけで、明日は我が身ですから、怖い。

そして、排除の理論は、必ずしも望ましいものだけに純化出来るわけではない。
藤田さんの主張されるアレルギーもそうかも知れませんし、抗生物質がさらに強力な耐性菌を作り出すような話は有名ですよね。また、組織の話で言えば、働きアリの2・6・2の法則なども。
排除しても、排除しても、結局は、別の異質に悩まされることになる、あるいは異質と認識していなかったものが次の異質になってしまう・・・
ボク自身の経験上も正しい気がします。

花粉症の話もそうですが、会社で直面している課題でも、実に考えさせられる話でした。
藤田さんの話で“共生菌”という言葉が出てきていたのですが、大事な枠組みだと思います。良とか悪とはなく、それでも共生しなければいけない人・モノ・ことって、たぶん多いですよね。
花粉に悩むボク自身そうですし、今いる会社も。そして日本という国自体も、新卒信仰の強い雇用環境は最近の話題ですし、政治もしかり、こういうことは意識したいところです。

ぜひ、多くの人に読んでほしい話でした。

 

 


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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-07-14 21:38:10
これはほんとうに痛ましい、嫌な事件ですね。
子どもたちの世界が、まるで無法状態になっています。どこの学校にもある出来事。これは、学校の先生が教育者ではなく労働者になってしまったころからの懸念だった、とは、ある校長経験者の仰っていることですが・・。先生がたは、見て見ぬふりが多い。知らなかったと言い張る。民主党に残る者こそ政策を語れ、はほんとうにその通りだと思います。政治の世界も精神が狂っているのではないかと嘆きたくなります。何か、おかしいですよ。
返信する
失礼しました。 (MARIKO)
2012-07-14 21:43:45
先ほどの21:38のコメントに名前を記入するのを忘れまして失礼いたしました。
返信する
御礼 (hoddy)
2012-07-15 20:50:13
MARIKOさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

「教育者ではなく、労働者」という言葉は重いですね。一部の政治家・行政のリーダーをはじめ、そうした方向を求めているのも事実ですし、保護者も消費者の立場に立ち、先生たちに目に見えるコストパフォーマンスを要求している背景もあるのではないでしょうか。
本当にどうなることでしょう。。。

こうした風潮も、政治の世界も我々みんなの責任なんでしょうから、私は嘆くばかりです(苦笑)。
それでも、少しずつ良い方向に動くと信じていますが。

返信する
Unknown (SHUHEI)
2012-09-05 22:59:17
初めまして。
ひと月も前の記事でしたが興味深かったのでコメントさせていただきます。

自分はまだ学生の身分ですが
今回の事件はとても痛ましいというか
やり切れない気持ちです。
母が以前、教師だったのですが
最近のイジメは陰湿で目の届かない所で行われているため、どんなに熱心な教師でも見つけ出して正すことは最も難しいといっておりました。
自分は将来、母と同じ様に教師を目指しているので、この問題をできる限りの対応ができるよう、今のうちに冷静な問題解決策を見出せるようにしたいと思います。

決して、報道が熱を帯びて
新たな''悪''と''被害者''を生み出さないことを願います。
返信する

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