実名って、そんなにこだわる必要があるのか?
ボクにはよく分かりません。
今日は「オーマイニュースの話題」ではなく、山口高専学生殺人事件のマスコミの報道に関してです。
週刊新潮の実名報道に続き、容疑者の遺体が発見された後に一部のマスコミでは実名と顔写真入りの報道を行っています。(「遺体男子学生報道 実名・匿名分かれる」という記事を一部引用します。)
山口県周南市の徳山工業高等専門学校5年、中谷歩さん(20)が殺害された事件で、殺人容疑で指名手配中に遺体で発見された男子学生(19)の氏名・顔写真の掲載について、新聞、放送などメディア各社の判断が分かれた。読売新聞、日本テレビ、テレビ朝日は実名・顔写真の報道に踏み切った。匿名で報道した放送局の中にも、写真にモザイクをかけて報道する社があった。事件は、少年事件報道のあり方にも一石を投じた。(毎日新聞)
19歳だから少年法云々という問題もありますけど、年齢の前に容疑者が亡くなった、つまりこれ以上逃走や再犯の恐れのない人をボクはなぜ実名・顔写真入りで報道する必要があるのか?よく分かりません。
そもそも「容疑者」であって「罪人」ではない段階にもかかわらず、実名・顔写真入りで報道できるのか?という疑問もありますけど・・・(棚上げしておきます。)
なぜ、そこまでしてマスコミは実名や顔写真を公開したいのか???
マスコミの「報じたい欲望」「報じる権力」により、ボクらの「知る権利」は曲げられているのではないか。亡くなった容疑者が罪人であった可能性は高いのでしょうけど、罪の確定していない死者の実名や顔写真が一部の人の欲望と権力によって踏み汚されることはボクには残念でならない・・・
この事件が語ることは、「罪のない女性が殺され、罪があったかもしれない男性が亡くなった」ことであり、ボクらは嘆くしかできないことを嘆くしかないような気もします。
そして、同じような痛ましい事件が続く日本の社会を嘆きつつ、次の犯罪を防止できることはないのか?と考えることが、ボクらにできる一番の供養ではないでしょうか。
みなさん、ハローです。ホディです。
話は大きく変わりますけど、「2006年版厚生労働白書」が公表されていますね。
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/
インターネットの速報記事にもチラホラと記事が出ています。
ボクも早速読もうと思ったんですけど、「概要」だけで50ページ近くもあるんですよね。
とりあえず概要を眺めてみました。
気になる部分を強引に要約してピックアップすると・・・
- 人口減少局面に入った(出生約106万人、死亡約108万人)。
- 介護は家族に頼りたい。
- 理想では近所付き合いはしたいが、現状はできていない。
- 短時間労働者も長時間就労者もどっちも増えている。
- 終身雇用を望む人も微増ながら増えてきている。
そうなんだという感じですよね。
そして、この白書で最も印象に残っているのは、序章に書かれていた<今回の白書の目指すもの>。
この白書では、過去の社会保障を取り巻く環境の変化とそれに対する対応を検証した上で、国民生活の安心感と満足度の高めるためのこれまでの社会保障制度の改革や雇用政策の流れを確認し、国民の望む安心な社会の基盤となるセーフティネットとして整備するとともに、国民ができる限り家族とともに地域で支えあって暮らすことが可能となる社会を作っていくという方向性を検証する。その上で、特に家族と関わりの深い地域、職場(働き方)に着目して新たな「支え合いの場」の在り方の可能性について考察する。
以上、引用しました。(アンダーラインはボクが引いたものです。)
「検証」、「確認」、「方向性を検証」、そして「可能性の考察」、と何とも官僚らしい表現ですけど書かれていることはとても大事なことのような気がします。「社会保障」と一言で言えば国の責務のような気がしますけど、実はボクらの願いであり、責務なんですよね。
政策や制度も大切ですけど、原点の「支え合いの場」をもう一度構築することが、少子高齢化社会では最高の安心を生み出すのだと思います。
「○○○○さん」、そんな実名と素顔をあらわすのは・・・
「マスコミ」ではなく、「支え合いの場」で必要とされることなのではないでしょうか。
そもそも戦後に制定された少年法は戦争孤児がやむにやまれぬ状態に追い込まれて犯罪を犯した場合に、一般の犯罪者と一線を隔して裁くことを目的にしていたとか?今回の事件や綾瀬事件、神戸事件、黒磯事件などの少年犯とは罪を犯した動機が基本的に違いますよね。敗戦という不幸な環境が一律にあった戦後と異なり、個々の家庭事情や教育環境に犯罪の動機があることが多い現代にあっては、「年齢」という定義で罪の軽重を判断すること自体に無理があるのかもしれません。もっと言えば14歳未満の少年が罪に問われないとかということも個々に審議されるべきことなのではないかと感じます。
一方、マスコミが第一権力としての存在を強めていくことには恐怖を覚えます。本来このような問題に率先して取り組むべき"司法"や"行政"がポピュリズムに染まり、本来能力を低下させている昨今、成熟した論理の下、マスコミに厳罰を以って臨める牽制権力が必要なのかもしれません。個人的にはNHKあたりにその役割を期待したいのですが…。とにもかくにも罪を裁くのはマスコミではないと思います。
詳しいですね。
少年法に関しては、ボクも疑問を感じています。「19歳(少年)だから」では罰を逃れる理由としては乏しいと思います。
でも、容疑者(刑の未確定者)に対して、言い方は悪いですけど「晒し首」的な報道はやはり疑問です。「社会的制裁」と言えば聞こえはいいですけど、マスコミの「私刑」が公然と行われている現実・・・
そういう報道が犯罪の抑止につながっているのか???
誤った報道にはどういう罰が相応しいのか???
個人の名誉毀損による損害賠償などではなく、おっしゃるとおり“牽制力”によるバランスが大切ですよね。