我々はこの特異でダイナミックな状態(全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚)をフローと呼ぶことにする。フローの状態にある時、行為は行為者の意識的な仲介の必要がないかのように、内的な論理に従って次々に進んでいく。人はそれをある瞬間から次の瞬間への統一的な流れとして経験し、その中で自分の行為を統御しており、更にそこでは自我と環境との間、刺激と反応との間、過去現在未来との間の差はほとんどない。
(M・チクセントミハイ)
前にも言ったように、いろんなことが「自動的」に進むようになると……ある意味でほとんど自我のない状態になって……どういうものか、考えることなしに、また全く何もしないのに……正しくことが運ばれる……とにかくそうなってしまうのです……。それもふだんより気分が集中している、禅が精神の集中であるように、これは瞑想のようなものでしょう。やらねばならないただ一つのことは、心を一点に集めることです。何物かに到達するために精神の焦点を結ばせる能力がたいせつです。
(或るロッククライマー)
結果にではなく、行いの中に動機を置かねばならない。行為への動機が報酬に対する期待に置かれるような人間であってはならない。
(『バガヴァツド・ギータ』)
たった一瞬というが、全き熱中のために、人は瞬間の内に消え去り、永遠という風がその中を吹き抜ける。
(D・ロビンソン)
考えるということは、相違を忘れることと、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。
(J・L・ボルヘス)
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