「みんなの年金」公的年金と企業年金の総合年金カウンセリング!                 

このブログ内検索や記事一覧、カテゴリ-等でお楽しみください! すると、あなたの人生が変わります。

述語は永遠に……1

2012年08月16日 | 読書
Flag Counter




表紙カット 金子和彦「Y・T像」



述語は永遠に……
                             高野 義博










おお、これらの思考をお静めください!



マーラー 交響曲 第八番
変ホ長調「一千人の交響曲」





 ベルだ、ベルだ、出て行ってしまうぞ、畜生奴、飛び込まにゃあ。痛い! 何だ、彼奴は、人の足蹴っ飛ばしておいて、どんザラ奴! 痛い、痛いぞ、畜生。今になって痛くなってきた、唾付けとこうか……何処へ行った? ああ、彼奴か? ガラス越しの口吻だ。何とかの遊び、だ。「新幹線ひかり」、ここは何号車だろう? 鳴り始めと同じ音量のはずなのに……びっくりさせやがったなあ、ドスでも刺されたみたいだった。暑いなあ! チェッ、心理学か、気を遣いすぎる駅員奴、ボリュームをいっぱいにしておいてスィッチを入れやがったな……そうしておいて、気づかれない位ずつ下げていくんだろう。ボリュームを握っている触覚、ベルの音量を聴いている耳、気遣い心、お役目ご苦労さん……じゃないね。スピーカを通しているんじゃないから。直だもの、「物そのもの」というわけだ。……とすると、こちらの耳の所為か、「聞く耳、持たん者は聞け」か、もう一つ、「つんぼにゃあ、聞こえぬ」と、……しかも、ベートーベェンは聴いた、と……。混んでいるなぁ、ここは……ううん、いい匂い! コーヒーも欲しいけど腹も……。何時だろうなあ……昼飯だなあ。先に食っとくか……でも、いっぱいだろうなあ……後にしようか。四号車なのか。皆座って……いる、ああ、あそこ二つとも。ちょうどいいや、後ろ向きだ、おっ、危ない。揺れる、揺れる、こん畜生! うん? 今、何て言った? ……「畜生!」って、運転手に言ったつもりなのか、この列車に言ったのか。おっと又々。十返舎一九は狂歌を吟じながらの二人連れを東海道に泳がせ、もちろん二本足だったが……私はここに座って……最後の列の……Dか、じゃないE席だ、ああ、いい席だ、お誂えだ。やっと、一人になれる……

 肉が痙攣したのを機に、針を刺されたような激痛が走り、ガバッと跳ね起きようとしたが……身動きも出来ない重さで押さえつけられ、潰されそうになっている自分に、まるで過去を一巡りしてきたかのように気がついた。ウンウン唸ってその重いものを跳ね除けようとするのだが、手も足も硬直したみたいに意のままにならない。うなされてでもいたのだろうか。切れ切れの呻き声のような谺が記憶の網に引っ掛かって震えていた。それは有るとも無いともはっきりしないほんの幽かな想い出のよう……しかし、その更に奥まったところには、自分が気のつく前の、夢の記憶のような暗黒の大陸が黒々と横たわっているのが感じられたし、意識の轍を見失う遙か彼方に燎原の火の、残り火のようなものがチョロチョロと燃えているのがはっきり望めた。しかし、大腿部の破けるような痛みと胸から肩にかけての引きつるような痛みに加えて軀の何処か、場所のはっきりしない遠方の地、これと名指せない多義的な地点、心の内科的辺境に、何か尋常とは異なった特殊な痛み、というか……感覚、いや、自我の放棄され尽くした後の、為されるがままの、決壊中の堤防の心地。形式から内容の抜け出してしまった後の、蝉の抜け殻のような半透明な白々しさがあって、死に行く者が手の届かない所へ行ってしまったりこの世へと再び上がって来たりしているかのように、ある境界を彷徨っていた。

蜥蜴の緑や紫に入り交じる切り離された尻尾が時々引きつりを起こしてピクピクッと生き返るように、痛みが暗黒の大陸と燎原の火の方へのめり込みそうな私を目の前の現実へと引き戻していた。相手を抱き込む仕儀になっていた私の両手は痩せ猫の背を、濡れたその背を撫でたときの感覚……そのゾオッとする気味悪さを離すに離せぬままであった。痛みは鉄の爪でも立てられたよう……少しでも軀を動かせば、動かしただけ食い込み……そこから血がゾロゾロと垂れ流れ……既に、私は血の海に横たわっていた。ベットリした血の流れがゆっくりと暖かい臭気を発して鼻を抜けていった。そうして、ついに、私が目にしたのは……ピューマのような……あるいは豹のような、いや、虎のようにしなやかな、そう、ゆったりと構えていて虎かもしれない。何かそういう猫の縁者、猫科の動物。……その虎とおぼしきものがしっかと私の上に覆い被さり、鋼の爪を胸の上に突き立て、そのしっとりとした三叉の口は胃の辺りの臭いを嗅ぎながら鼻をピクピク……させて……狙っていた、が……? ……風がふっと切れたかのように、ふと、私はある疑問に取り付かれてしまった。……そんなはずはないと、よく見れば見るほど疑問であったものは徐々に確信に変わらざるを得なかった。そ、そんなはずはないのだが、……その虎とおぼしきものの仕草や視線の置き具合が……どことなく……この私自身に似ているのを驚き呆れながら発見したのだ。な、なんということだ……。

枕辺にいた女達はどうしたのだろうと思って、引き攣るような痛みを引き出さないように、そろりそろりと眼球だけずらして室内を見回すと……散乱した家具があるだけで、女達の姿は見当たらず、気配もありゃあしない……、ただ、彼女達のお喋りの二言三言が心を絞るように思い出された。……どうしたんだろう、助けを求めに行ってくれたのだろうか、この私の陥った奇妙な窮地のために。……それとも、何処か安全なところに逃げ延びてほっと深いため息と共に恐怖に震えているのだろうか……、あるいは全然事を知らずに……あるいは知ろうともしないで、あるいは故意に忘却して……、すでに熟睡しているのか、他の部屋で! というのも、私を呼ぶ声は何処にもないのだ。まるでみんな眠り込んでいるみたいだ。私の他は。それはまるで真夜中に、突然目を覚ましてしまった子供のようだ。その子はおそるおそる夜の帳の中に目を凝らすけど母親の姿は見当たらない。闇が物に侵入し、物はその個物性を奪われている。羊羹のような闇が辺りを固めている。そのねっとり固まった物を、懸命に手足をばたつかせてほぐしにかかる、泣きもせずに。しかし、この見離され絞り出されている孤独の場は馴染みの病室みたいだ。そお、孤独は、私には馴染みの領域だ。相対の場に晒されることこそ危険地帯なのだ。そこは物から物へ、ただ、彷徨っているだけの、修羅の妄執の堕地獄だし、存在の保全のために虚構に継ぐ虚構を仕掛ける世界だ。その危険地帯から逃れてもその危険を削ぐことにはならない。その危険を見据えて、それとは別に私の孤独を創るのだ。そぉ、懐かしさが込み上げる……おお、抽象の暗室よ!

……ムッとするような暑気の中、海へ行く道は砂利の道、真夏の太陽が照り付け、低い防砂林の中をくねくねと白い道がまるで過去を訪ねるときの道筋のように、あるときは濃い松の林に消え、突然直線となって視界に現れたりしていた。一〇分も自転車で走ると、やがて防砂林の向こうから太平洋の海の音が幽かに聞こえてくる。走るにつれてその海の音は汗ばんだ皮膚を通して体中に響き合う。砂利の軋みや草藪のキリギリスの鳴き声と共に。防砂林の松は音もなく立ち居並び……太陽が照り付ける。その中をくねくねと白い道が続く。防砂林が切れると、茫々と飛び込んでくる海。砂丘の向こうに打ち寄せる波の白い波頭、きらめく波頭。潮を含んだ強い風。すると、軀の中から発散される生の息吹。茫々たる九十九里の浜に、見渡す限りの海。そして積乱雲と蒼空の丸い海。描線の定かでない水平線。打ち寄せるあまたの波。潮含みの強い風。盛夏の太陽がレンズと化した中空を切り裂いて照り付ける。中空を爆破しそうな生の息吹。海、そして生、生。……ああ、これも過去の生だ……。

その間にも、五感は死につつあり知覚器官は囚われの恍惚のような痺れを引き起こしていたが……その中から一つの懸念が浮上し、見ている間にそれは恐怖に様変わりしていった。それは視界を遮る入道雲のように、これ見よがしに起き上がってきた。その雲に立ち向かうには余りにも自分の力の微弱なのを痛感せざるを得なかった。だが、その恐怖は最後には虎が腹に噛付くだろうという所為ではなく、虎を抱き込んでいるこの形式の所為だ。しかもこの形式が曲者で、その投げられた網に一度引っ掛かるとなかなか逃げられず、粘つく網に手足を取られ、動作が緩慢になり、ついには人生への遅い出発に成り終えてしまわないかという、悪くすれば出発さえも出来ないままに終わるかもしれないという恐怖を生み出すのだ。手の施しようのない生き方だ。……身動きの出来ないこの場を何とか力ずくで撥ね除けようと、……最後の力を振り絞り全身筋肉となって、ガバッと……、その時、目の前で風船が破裂したかのように、突然の身動きとともに放り出されてしまった。いったい何処だろう……寝たきりの闘病生活者のように強ばった軀を持ち上げて、恐る恐る辺りを見回すと……虎もいなければ、血の海もなく、散乱した家具も見当たらなかった。錯綜した論理の格子模様も消えていた。薄暗い、というより明けやらぬ不分明なものが辺りを被っていて、事物はその真の姿を眩ましたままであった。光り輝く、太陽の燃えさかる姿が棚の忘れ物のように思い出された。……どうやら深い霧のようであった。樹木らしいものの骨格だけがレントゲン写真のように見えたが、それは肉を削がれたみすぼらしい寒々とした姿であった。……得体の知れない周囲の風景を背に……そこに一人の初老の黒い制服の警察官が帽子の庇の下からジッと私を覗き込んでいた。まるで街をうろついている犬のように前屈みになって匂いでも嗅ぐみたいにして。覗き込まれていたのは、……今朝だ、よな……。そして今は……いや、もっと、ずうっと前のことかな?


 ……月夜の山小屋の三人、ナマ椎茸のふくよかな香り……号泣……。あれは高校を終えた年の夏だったか、秋だったか。桑原桑治と二人で武尊山へ登ったときのことだ。そう、あそこの山小屋で、だ、彼の自殺未遂の下りを知ったのは。武尊への道は熊笹の中に始まる。熊笹を割って長い尾根道が蛇行しながら頂上へ這っていく。山頂へ至る岩尾根の手前で、登る気力を失ってしまった私は、そこで友の帰りを一時間ほど待つことにした。やがて帰ってきた友と下山し始めたのは……日の沈み込む頃だったなあ……どぎつい夕焼けだった……。麓まで降りてみて終バスが出たのを知り、そのまま沼田まで歩こうと川に沿って疲れた足を投げるようにして歩き始めた。東京へ帰ったところで、惨めな生活が待っているばかりだ、と思うと、余計に足取りは重くなるばかりであった。夜間高校を出たが、定職がないまま日雇い稼業をしている生活だったから。八方塞がりの焦燥に追いかけられていたので、山河の佇まいの泰然自若とした姿にさえ打ちのめされていた。夕映えが消えた頃、下の方から中年の男が登ってきた。二人が何の気なしにすれ違おうとしたところ、その男が声をかけてきた。
「沼田まで、今から出るのかね?」
「ええ……」
「どのくらい、かかりますかねぇ」
「遅うなるよ。急いで帰らないとならんの?」
「急ぐわけでもないんですけど……」
「じゃあ、私の小屋に来んかねぇ。あそこの尾根の向こうだから、泊まっていけばいい」
「……」
「どうする?」
「なあに、誰も居やしない、私一人だから、遠慮にゃあ及ばない」
「そうですか」
「じゃあ、一晩泊めてもらおうか」
「うん、そうしよう」
降りてきた道を引き返し、尾根を回ると、川に面して当の山小屋があった。谷の水は夕闇にぼんやりと白く流れ下っていて、椎や楢の大木が枝を広々と伸ばしており、夕べの静寂と枯れ落ちた葉や木々のゆっくり腐っていく匂いが芳しさを招き寄せていた。小屋の戸を開けると、中は六畳くらいの広さで、手前に土間が少しあって、後は板敷きの上に茣蓙が三枚広げてあり、中央に囲炉裏が切ってあった。自在鉤には真っ黒な鍋が掛けてあったが、火の気はなかつた。布団が一山と物入れに使っているミカン箱が二、三、部屋の隅にあるだけで他には何もなかった。
「さあ、入んなさい。狭いけど、手足くらいは伸ばせるから……冷え込んできたねぇ、いま、火をつけるから、その薪、そう、そこへ」薪の撥ねる音が目に五月蠅くなったころには、小屋の中も暖まり、谷を下る水の音が耳に慣れ、静けさを取り戻していた。
男が原木からもぎ取りながら焼く椎茸の香りが酒を勧めた。
「どこから来たね!」
「東京です」
「そう、ずっと東京?」
「いえ、私は沼田の生まれです」
「そお、沼田なの。じゃ、学校が東京だったんだね」
「あんたも?」
「いえ、学校が一緒だったんです」
「東京は、どこなの?」
「自由が丘です。東京のどちらか知っているのですか?」
「ああ、……。沼田は下の方かな?」
「いいえ、上の方です」
「そう。すると二人はクラスメイトなんだね」
「ええ。……ここで何をしているんですか?」
「伐採の監督みたいなことだね」
「ずっと、ここに居るんですか」
「いや、夏から秋にかけてだけど、この山が終わったら、別の山に移るんだよ」
「奥さんや子供さんは……」
「そんなものがあるように見えるかね。独り者だよ」
「独身なんですか、三十五、六でしょ」
「長いこと、やられているんですか」
「五年……かな。いや、実を言うと、この仕事を始めるまでは私も東京でね」
「そうですか。そんな気がしたんですよ」
「交通公社って、知っているかな?」
「旅行の……」
「そう」
「そんなところにいた人が、なんでまた、伐採なんかしているんですか?」
「いやあ、そうバタバタと畳み込まれるとかなわないなぁ。コップ開けて、ほら、二人とも。あんまりやらないのかなぁ」
「私も東京の頃は飲まなかったんだが、この仕事を始めてからは夜が長くてねぇ、ついつい強くなってしまって」
「椎茸、旨いですねぇ。こんなの初めてです。自分でつくられたんですか」
「そう、裏にまだ、たくさんあるから、好きなだけ食べていいよ」
「ええ、いただきます」
「東京で何しているんだね」
「何しているって……。彼は失業中。私も似たようなものですけれど、……日雇いですから。毎朝、ベンチに新聞持って座るのが仕事始めで、いろんなことやっています。店員でしょ。工員、ウェイター、ビル掃除、牛乳瓶洗い、それにビール屋の倉庫、」
「学生じゃなかったの」
「ああ、それは、夜学だったんですよ。この春、学校に居られなくなって、」
「退学で?」
「いいえ、卒業で追い出されてしまって」
「なるほど、追い出されたのですか」
「ええ、学生ならまだ気が楽ですけど」
「楽というのは?」
「人生への待機中でしょ」
「人生への待機だって、そんなものあるのかねぇ。……それにしても、卒業したなら、ちゃんとした仕事が有りそうじゃないか」
「と、思いますよねぇ。ところが、あにはからん! で、というのも夜学でしょ、それにあんまり身を入れて勉強してなかったから、あるとしても工員位なものですね。それか、電信柱にしがみつくか位なもので。そう、その工員というのがコンベアベルトの前に座っての繰り返し作業で。二人して逃げ出して来たのですよ。二ヶ月やって右から左へやるだけなのですよ。ただそうやっていればいいのですけど、それが一日中でしょ。一年中同じなのです。そこの主任って人、二十六年間それをやってきたそうですけど……それを聞いたときには恐ろしくなって……」
「右から左って、何を?」
「ええ、電話交換機の回路のハンダ付けなのですよ」
「ハンダ付け?」
「そうです。配線のビニール線を一本手に取り、決められた端子にジュッと付けるのです。終わると、次のが、目の前に流れてくるんですね、次から次へと。同じようなことをやっているのが、男女取り混ぜて二、三百人いたでしょうか。目の前に来たやつに皆一斉にジュッとやるだけです。ただそれが一つ終わると、また一つ流れて来るんです。こちらの都合なんか、おかまいなしに。それが二十六年間も来るのかと思うと……もう、なんと言ったらいいのか……ただもう逃げ出すので精一杯で……。でも、こうやつて逃げてきても、あの主任はまだやっているわけです。やらざるを得ないんでしょうね。頭髪はすかすかになり、青白く痩せ細っていて神経質にいらいらしていて、笑顔なんか見たこともないんですから。これが人間の生活なんですかねぇ。それとも職場を離れたところに生活があるんでしょうか」
「でも、その主任はそれで生活しているんだから、あんたらみたいに逃げ出してくる人間にゃあ、何にも言えないなあ」
「ええ……。でも、それじゃあ人間の理想というのはどうなってしまうんですか」
「理想?」
「ええ、喰うのに全てが飲み込まれるだけでしょう、万古不易でしょ」
「ああ、そうね、そこに若い者の存在理由があると言いたいんだね。しかし、その理由じゃ、小さいね」
「どうしてですか?」
「まあ、そのうち分かるようになるかもしれないし、一生分からずじまいで終わるかもしれないし……今、言い切るわけにもいかないようだ」
「答えが今すぐには出ないと言うんですね」
「そう、あんたの考えている意味での答えは今出ないようだね、あんたを見ていると。答えというのはあんたと別に有るんじゃないんだから、答えはむしろあんたなんだから」
「そ、そうなんですか」


--------------------------------------------------------------------------------
以下に投稿した「述語は永遠に……」は都合により削除しました。(2012/12/10)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿