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【#中央日報】【中央時評】文大統領の非情な沈黙

2020-07-25 03:20:36 | 海外の反応
沈黙にも音がある。サイモン&ガーファンクルは『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』の中で、沈黙について「People talking without speaking/People hearing without listening(言葉なく対話し、聴かずして聞く)」と歌った。そのため沈黙は象徴の言語だ。「朴元淳(パク・ウォンスン)セクハラ疑惑」に対して文在寅(ムン・ジェイン)大統領は沈黙するが世の中に向かってある声を発している。これを戦略的計算が根底にある「沈黙政治」ともいう。

文大統領の沈黙は選択的だ。敵と同志、相手方と我方によって決まる。昨年3月、いわゆる「積弊」を狙ったチャン・ジャヨン-金学義(キム・ハクウィ)事件の再捜査を指示した時は、これ見よがしに大声を張り上げた。「社会特権層で起きた事件の真実を糾明できないなら正しい社会とは呼べない」と一喝した。ところがどうしたことか、今月9日の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長の死以降、2週間が過ぎようとしているというのに何の話もない。「長年、縁を築いてきた人だったので衝撃的」という伝言を添えて喪家に弔花を送ったが、被害者の痛みに対しては今まで一言の言及すらない。セクハラにあったソウル市長女性秘書は積弊でも相手方でもないのに、なぜフェミニストを自任する大統領が無視するのか気になる。

大統領の沈黙に対する解釈はさまざまだ。朴元淳の二重性に怒った民心に同意しないと意味だというのが大半の意見だ。その理由が、マッチョ的な義理の発露であるかもしれないし、ある進歩学者の表現のように「100兆ウォンあっても復元できない」人物だと信じるためかもしれないし、権力型性暴行というより個人的な逸脱であり恥を死によって贖罪したので「事件終結」と見たためかもしれない。不動産政策の失敗などで窮地に追い込まれた状況で、「善良な政権」の墜落を防ごうとする言葉なき苦闘なのかもしれない。ただし、一つだけはっきりしていることがある。ソウル市葬で追慕の機運を盛り上げ、「被害訴え人」という言葉遊びを創造して被害者のせいにする2次加害について知らんふりを決め込むところを見ると、大衆の気まぐれと忘却を待とうという腹積もりであることが読める。

加害者に同情するような大統領の沈黙は無言の信号を送っている。文派勢力は「われわれの陣営を死守せよ」というメッセージだと理解する。大統領の沈黙の中で国を2つに切断したチョ・グク、尹美香(ユン・ミヒャン)事態と全く同じ方向に流れているというのがその傍証だ。身震いがするような陣営の二分法論理が作動して、御用ラッパ吹きが陰謀説をまき散らし、はびこっている現象も全く同じだ。

青瓦台(チョンワデ、大統領府)の請願に「死者の名誉毀損を厳重に処理してほしい」と言って群れで集まり、被害者を「李舜臣(イ・スンシン)官奴」「美人局」にたとえる低級な部類の言動は無視するとしよう。ちょっと勉強したという人間の姿はもっとうら悲しい。「セクハラ証拠」を出せと攻撃し、朴前市長と腕組みをした写真をネット上に流して「私もセクハラした」と嘲笑し、「#MeToo(ハッシュタグミートゥー)」運動を触発した女性検事はいつそんなことがあったのかといわんばかりに「失踪」状態だ。「ネロナムブル(自分がやればロマンス、他人がやれば不倫)」を勲章と出世街道と考える卑劣な世相が大統領の沈黙と関係がないといえるだろうか。

力を持つ者だけが話す権利と話さない権利を独占するのが沈黙の法則だ。恐ろしいほどに冷たい大統領の権力型沈黙は、政権次元で保身を図るために組織的沈黙で導く暗黙的圧迫だ。「かわいいからそうしたのだろう」というソウル市、捜査意志があるのか疑問の警察、猟犬と愛玩犬の間を政治的に綱渡りした「秋美愛(チュ・ミエ)の検察」、そのどこに行っても真実の時間はやってこないだろう。慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんが「利用されるだけ利用された」と暴露したのが5月7日のことだったが、それから70日が経過しても、尹美香と日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯は健在だ。大統領が不満を沈黙の形で固執している限り、真実究明は懐疑的だ。

「巨大な権力の前で公正な法の保護を受けたかった」という被害者の叫びは空回りだけしている。権力者のための「御心儀典」に「喜び組」役割をし、下着まで片付けさせる非正常な社会を変えてほしいという若い女性の絶叫が気の毒だ。「すべての人間が平等だということは、平常時まともな精神状態の人間なら同意しない主張だ」(オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』)という言葉を引いてまでして慰めなければならないのか。

「沈黙は暴力だ(Silence is Violence)」。米国で黒人ジョージ・フロイドさん死亡事件のとき、人種差別に沈黙する傍観者の参加を促すためにデモ隊が叫んだスローガンだ。文大統領には無関心な沈黙かもしれないが、被害女性には間接的な暴力になりうる。善と悪、真実と偽善があまりにも明らかな社会的争点で曖昧な沈黙を選べば、社会混沌は増し、葛藤は深まる。安熙正(アン・ヒジョン)・呉巨敦(オ・ゴドン)に続き、朴元淳まで威力による性犯罪とは、政権次元の道徳性が深刻に損なわれていることを警告する。「人権弁護士」出身の大統領は「人が先に立つ世の中とは、まさに性平等な世の中」と断言した。国政最高責任者なら、不快な質問に口を開いて答える義務がある。

再びサイモン&ガーファンクルの歌だ。『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』にはこのような歌詞が登場する。「君が疲れ果ててみじめに感じたり/君の瞳に涙があふれるときには/私がそれを拭ってあげよう」。被害女性と彼女を支持する民心は沈黙を破って橋になってくれる大統領を待っている。文大統領の非情な沈黙は2次加害と違うところがない。

コ・デフン/主席論説委員


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