daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

復興と復旧の違い

2011年08月14日 | 社会問題を考える

復興の責任と復旧の責任




3月11日に東日本大震災が発生して、
もう5か月が経ってるというのに、
復興どころか、復旧さえも儘ならない状態ですね。

過去の政治の積み重ねが現在ですから、
管内閣の責任というだけで済むものではありません。

国家の現実的な運営・実務は官僚が担います。
予期せぬ大地震発生と同時に、官僚が機能して復旧に努める責任を担います。

非常時には官僚機構が機能して、復旧作業に努める体制を作っておくべきです。
この機構は一朝一夕で作れるものではありません。

すなわち、管政権に引き継ぐ以前に、官僚機構は出来あがってなければならない。
それまでは自民党政権だったゆえに、自民党の責任能力が問われなければならない。

自民党が管政権をたたく意味は、己の無能を認知する能力もないという事です。
自民党は脳みそがアッパラパーの末期症状であるとの診断を国民は下すしかありません。




さて私たち国民は、
復興と復旧を合理的に考えなければならない。

政府は提督であり、
官僚は船長&クルーであると考えるべきです。

普段の運航は船長とクルーに任せます。
それゆえ、船長とクルーは艦艇の機微に通じていなければならない。

提督の任務は艦艇の操縦ではなく、すなわち、安全な行き先を知らなくてはならない。
それゆえ、提督には未来を洞察する能力が欠かせない。


いつなん時、政権は替わるか知れません。
替わったばっかりの政権が素人集団ってことも予測しなければならない。
素人集団が難問をテキパキと処理できる訳はありません。

それなら素人は政治に参加すべきではないのだろうか?
いいえ、そんなことは私の思想・民主主義では考えられません。

政治運営の経験のない、なんにも知らない市民も政治に参加すべきです。
それではどうしたら良いのでしょうか。

そのために官僚が存在するのです。
官僚は専門能力に分かれた集団で、それぞれが今日の緊急事態に対応するのです。

官僚の身分は保障されていて、許されざるミスを犯さない限り、解雇されません。
それは政治家と官僚の大きな違いです。

政治家は提督であり、復興の大きな責任を担い、日本の未来が安全であるように道案内します。
官僚は船長・クルーであり、復旧、今日の安全、今日の間違いを防ぐ責任を負います。

今日の安全とはすなわち復旧作業に着手するのです。
もちろん、官僚が現在の安定運航に努めなければなるまいなあ。

未来の安全とはすなわち復興の構想を練ることになる。
構想を練るのは政治家の務めに決っている。

管政権は現状の復旧は船長・クルーに委ねることが効率的・安全な筈です。
ただし、官僚機構が自民党政権によって、粗末に作られていたら復旧はママなりません。

復旧の遅れはすなわち、自民党が土下座して国民に謝るべきでしょう。
しかるに自民党は国民にひと言でも謝罪しただろうか。

この無責任極まりない自民党は厚顔無恥にも、
己が負うべき責任を他にかぶせて、現政府を非難している。


このどうしょうもなく愚かで、卑しい、自民党が、次の次の政権を狙っている。
こう考えてきて、自民党はどんだけ~阿呆やねん、






何ごとにつけ、行動がノロい管政権であるが、
そのノロさを非難して政治の表舞台から引きずりおろすのは間違いです。

いったい、民衆が政権をとった暁に、テキパキと運営できるだろうか、
まごつくこともあるし、判断に迷って遅れるかも知れないではないか。

つまり、今、自民党の言いなりになって、ノロノロで首にするという事は、
民衆に政権を永遠に渡してなるかという自民党の傲慢さ以外の何物でもない。



あなたは、そう思いませんか?




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