伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

文化祭 学習発表会

2019年10月27日 | 学校教育
 紅葉祭は、「3年生にとっては最後の文化祭。みんなで楽しいものにしたい」と実行委員長あいさつのあと、オープニングセレモニーでは、映像と実演で文化祭の準備を振り返りつつ、抽選で選出された生徒が「やりきるぞ」と開始を宣言した。




 続く国語弁論の発表では、SNSでのいじめをテーマに「うざい、消えろ」の言葉はつらさを感じさせるとして、SNSを正しく使うために、言葉に責任を持ち、その言葉を伝えてよいかを考えること、自分にとってもうれしいと感じる言葉を伝えることを心掛けることなどが訴えられた。

 英語弁論も立派なものだったが・・時々単語を聞き取るものの、全体としてはお手上げ・・続き、「いわき生徒会長サミット」での大阪・堺市と長崎の派遣事業が報告された。

 このうち長崎派遣に参加した生徒会長は、平和について「自分にとっては友達と一緒にいることができること」としながら、1年から3年までの生徒それぞれの平和感をたずねた。
 1年生は、「家族、友達といること、生きていることも平和。だから戦争は二度と繰り返してはいけない」と考えを披露、2年生は「みんなが笑うことができる世界、笑顔がある社会が平和」、3年生は「好きなことができること。世界で紛争が起き、食べ物も十分手に入らず、やりたいこともできない現実があり。好きなことができ、安心して暮らせることは幸せだ」とした。これを受けた報告者は「平和を作るために、平和を作るためにタイセイなのは対話で、対話を通じることで世界が平和を共有できる」とし、「一つ一つの小さな輪も、つみ重なれば大きな輪となり、平和な世界が想像される。平和の創造は終わりなき課題だ」と結んだ。


 また各学年のステージ発表で、1年生の「遠野の歴史と伝統」では、遠野和紙にちなんだエピソードで、和紙は昔々に高句麗から製法が伝えられたものということと、上遠野地区の八潮見城の歴史がテレビ番組を模した寸劇で表現された。八潮見城の領主が宝を持っていて、どこかの悪代官と、それと結んだ悪徳商人がそれを狙いたびたび戦が仕掛けられたため、宝がどこかに隠され、今も眠っていると紹介された。誇張と演出はあるのだろうが、それならば、今、現代にお宝ハンターをよみがえらせなければ・・などと思いながら、発表を楽しんだ。

 2年生は「未来への道」と題して、経済教育カリキュラムで学んだ家計のやりくりを織り交ぜながら、みんなで協力して何かを達成することが大事ということをクイズを織り交ぜながら表現した。第一問で「美しい自然の景色」を表す四字熟語は何と三択が出題された。その中の「山紫水明」が正解だろうと思ったら、答えはブー。正解は「花鳥風月」とされた。ムム・・。

 3年生は、「沖縄の過去」を演じた。第二次大戦中の沖縄での地上戦で、徴兵が「志願」の名目で14歳まで引き下げられ、事実上志願を強制され、同世代の若者が「護郷隊」として先頭に駆り出されたこと、女子は「ひめより学徒隊」として、傷病兵の看護を背負わされ、それぞれ戦争の犠牲になったことを寸劇でたどり、「戦争は絶対にだめ。どれだけの人を不幸にしたのか。なぜ殺しあうのか、戦争を始めるのか。大人たちはどうかしている。日本は世界はどうなるのか」と言葉を紡ぎ、「涙そうそう」の歌唱で幕を閉じた。




 さて、くずの葉祭。

 オープニングから1学年の「地域体験活動のまとめ」までを拝見した。



 冒頭、スローガンの考案者と、シンボル画のデザイン者が表彰された。

 スローガンには、「一人一人が満開の花のように笑顔を浮かべ、華やかなくずの葉祭にしたい」という思いが込められ、シンボル画は「3年間で最高の文化祭となるよう笑顔で本番まで準備ができるように、色の華やかさと構図のバランスを考えた」と、その意図が語られた。

 オープニングの寸劇では、企画を発案するために四苦八苦してきた取り組みが面白おかしく綴られ、




 弁論発表のうち、「いじめのない世界を作るために」を発表した女子生徒は、「家族みんな死ね」などの言葉は「私を否定する言葉」で、言葉はときとして「凶器」として使われるとしながら、14人の自分がいるクラスは、みんなが言葉を交わす関係にあるとしながら、「生徒のコミュニケーションは学校でのいじめを予防してくれる」と考察し、生徒間のコミュケーションを作りいじめをなくすことを訴えた。

 続く英語弁論は、私にとっては先に書いた紅葉祭と同じ状況。理解に努めたがついていけなかったのは残念・・。


 地域体験活動のまとめでは、入遠野地区にある入定という地名は、昔、高名な徳一大師がこの地で死亡したことから名付けらたこと、校歌に歌われる往生山や安産や子宝にご利益があるとされる大山祇神社の由来、そして天皇の信を失い都を放逐された中将の受け入れた朝日長者など地域に伝わる伝説を紹介した。また、遠野地区に伝わる和紙にかかわり、国民学校高等科(と言ったと思うのだが)の生徒たちが遠野地区で製造した和紙が東京に送られ気球の材料として利用され、焼夷弾を取り付けて放球され、50時間かけてアメリカに到達したという紹介された。「和紙が武器になったことが驚きだった」と感想が語られた。


 ここで、入中をお暇し、上遠野小学校の学習発表会に会場を移した。

 残る3つの学年が発表するタイミングとなり、4年生の歌と合奏、2年生の音楽劇「寿限無」、そして6年生の劇「劇団上遠野 THE LION KIBG」を拝見した。

 合奏を聞きながら思うのだが、子どもたちが、どのパートも頑張ら過ぎず、調和のとれた演奏に心掛けていることが伝わってきた。アニメ「コナン」のテーマ曲などを心地よく拝聴した。



 2年生の「寿限無」。あの長い名前をよく覚えたものだ。どの子も、しっかりと覚えて、演技をしている姿には舌を巻く。自分はというと、「寿限無寿限無五光のすりきれ・・ムニャムニャ・・」と、昨日、子どもたちのセリフを何度も聞いたのだが、全く覚えていない。演技していたのは小学2年生なんだよな・・。



 寿限無くんが成長して学校に行くようになった。同級生が迎えに来た。両親とやり取りしている中で、3度も、4度も名前を呼んでいるうちに学校が終わったという落ち。「昔の山学校ですね」。区長さんと笑った。着物を着た昔々の話なのだが、ランドセルを背負い、しかも、そのカラーはパステルカラーも含む現代物。そのミスマッチもかわいらしいと感じる子どもたちの演技でした。


 さて「THE LION KING」。劇団四季の演目をアレンジしたものだ。
 ライオンの王様のもとに平和な国に暮らしていた動物たちだったが、弟の野心で王様は死に、その息子は放逐され、弟とハイエナの贅沢な生活を維持するために動物たちが減ってしまった国に王子「シンバ」が戻り、平和な動物の国を取り戻すというあらすじだ。実は、見たことがなかったので、初めてそのストーリーを知った次第。自ら製作したという小道具や被り物もよくできていたし、何よりもしっかりした演技を披露してくれた。






 しかし、な・・。昔を思い起こした。
 自分が小学生の頃、学習発表会とは呼称していなかったような気がするのだが、その会には劇は劇であった、お遊戯はお遊戯であった、しかし、一つの演目で、演技し、歌い、ダンスする、そんなことってあったんだろうか。いや、なかった気がする。頭に浮かんでくるのは、お隣の境界に生えたタケノコを取り合ういざこざを描いた劇を演じたことと、器楽合奏しているさなかに、ライトの熱で舞台のカーテンから煙が出て、少し焼け焦げた事件だけだ。歌って、踊って・・なんて出し物はなかったよ。

 そう考えると、今の子どもたちはハイブリットだなとつくづく思う。立派な演技に熱く拍手を送りたい。


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