伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

原発事故の哀しみだけでなく、前向きに生きる被災地の人々の心も歌って。そんなふうな思いが湧いてきました。

2018年12月16日 | 
 今日、いわき市民で結成され、市内中心に活動している「雑魚塾」のコンサートが、「かしま病院コミュニティホール」で開かれた・・・・えっ、違うの・・ああ、そうか、横井久美子さんのコンサートだったのか。ごめんなさい。誤解していました。雑魚塾コンサートのゲストで横井久美子さんが出演と思っていたのが、まったく逆で、横井さんのコンサートの前座を雑魚塾がつとめたという関係だったのを知ったのは、コンサート終了後だった。



 まぁ、それはともかく、コンサートは基本心地よいものだった。

 前座の雑魚塾は、ミキシングをする人がいなくて歌声が小さめだったが、「私が暮らしてきた証だもの一つ一つがいとおしい」と、被災した故郷への思いをうたった「瓦礫」や、「自分で決めた人生だもの 私はこの町で生きていく」と歌う「この町に生きる」などの曲を熱唱し、客の心をひきつけていた。



 続いて佐藤せいごうさんが、「私たちは何と言われようと戦争はしない」と歌った「軟弱者」や、日本国憲法九条擁護を歌った「九条の風」などを披露、横井久美子さんのコンサートが始まった。

 横井さんは74歳になっているそうですが、歌声も、外見も、まったくそう見えない。非常にお若く感じました。オープニングには、チリの詩人パブロ・ネルーダの歌で「私の国には川がある~」と歌う「おいでいっしょに」にを歌い上げ、金子みすゞさんの詩に曲をつけた「蜂と神様」など、離婚した友人の人生はこれからという声や映画「はなれ瞽女おりん」等に触発されて書き上げた曲などを披露した。歌には共感を呼ぶ力もあり、心をひきつけた。

 アンコールの前の曲で、福島県浜通りを題材にした歌を披露した。歌を聴きながら、このテーマはやっぱり難しいと感じた。歌の中で福島県浜通りは「哀しみの地」だったかな――と表現されていた。全町避難などがされた双葉郡は現在でもそういう側面があるのかもしれないが、それ以外の浜通り、例えばいわき市が「哀しい地」と表現されるのには、抵抗を覚えた。

 いわき市民の中で、原発事故から数週間のうちは、確かに多くの市民が避難生活を送ったかもしれない。その後、自宅にもどり、震災と原発事故の被害から生活を立て直すために、生活が可能な状況にある事故の現実を学び、農業生産のあり方など事故の影響を生産と生活から排除する工夫をこらしながら前を向いて生活してきた。哀しみもあったかもしれないが、困難な中にも、前向きに困難を打開する力を持ちながら、前に進んできた約8年の歴史というものがあったのだろうと、私は思っている。歌を聴きながら、その8年を「哀しみ」の中に沈めてしまっていいのだろうかという思いが浮かび上がってきた。

 歌には力がある。事故をおこした権力に怒りを語るのはいいだろう。事故の現実を歌うのもいい。しかし、浜通りの中でも前向きの暮らしがある現実がある時、帰還困難区域と一くくりにして、いわき市や南相馬市以北の浜通りが歌われていいのだろうかという思いがある。少なくともそれらの地域の今は、「哀しい」ではないように思う。哀しみを乗り越えて新しい暮らしの構築に頑張っている被災地の人々の事を考えれば、事故への怒りを語るとともに、前向きに生きる人々に心を寄せる表現が必要だろうと思う。

 そういえば、別のゲストが放射性物質が半減するのは30年と語っていた。これも正しくはない。福島第一原発の事故で放出されて、汚染の中心物質となるセシウム134とセシウム137は、ほぼ1対1の割合となっており、このうち137の半減期は約30年だが134は約2年だ。もうすぐ8年たつので、134は約16分の1に減り、137も半減していないにせよ減少しているだろう。物理上の半減期ではなく、雨等で流されて線量が減少する自然減衰もある。すなわち、福島県内での線量はすでに半減以下になっているはずなのだ。

 歌は、感情的な側面も含め、訴える力を持っている。だからこそ、正しく伝えてもらいたいと思う。今日歌を披露されたみなさんは、原発をなくそうという思いから、歌を披露し、多くの人に聞いてもらっていると思う。ある局面で歌われた曲が、その局面を反映した歌詞になっていることは当然あるだろう。でも、今歌われる歌は、今の現実をしっかり反映して、哀しみも、前向きの力も反映するものにしてもらえたらいいな。今日聞いた歌には共感する歌ももちろんあった。原発のない社会を求める、今日の歌い手のみなさんなら、そんな歌も歌うことができると思う。いや、歌ってほしい。そんなふうに感じた。


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