東日本大震災から7年、被災地等で追悼式が開かれましたが、いわき市でも、芸術文化交流施設「アリオス」で開催され、遺族や関係者が献花で犠牲者を悼み、復興を誓いました。私も献花してきましたよ。
遺族を代表してあいさつした長谷川俶子さんは、市震災当日を振り返り、津波で亡くした2人の兄について語りました。
その日は勿来に出かけており、6時間かけて四倉町に帰り、避難所となった福島県いわき海浜自然の家で、姪2人から自身の兄2人が津波にさらわれ亡くなったことを知らされ、3人で泣いたといいます。この時期はシラス漁のために、出漁に向け例年船の整備をしているものの、3月12日が母の命日だったため11日の整備は見合わせるように言っていた。しかし、2人は整備に出て津波の到来情報が伝わらないまま流されたようで、これ以降いつも見ていた海を見ることもできなくなったそうです。
2人の兄を失った悲しみから民生児童委員などのボランティア活動等を通じて多くの人に支えられて立ち直り、今では防波堤越しに海を見ることもできるようになったといい、「少しづつ復興を進めていくこと亡くなった方への追悼になると思います」と、今は亡き兄たちに呼びかけていました。
震災の傷跡は、まだまだ消えていないことを実感しました。
遺族を代表してあいさつした長谷川俶子さんは、市震災当日を振り返り、津波で亡くした2人の兄について語りました。
その日は勿来に出かけており、6時間かけて四倉町に帰り、避難所となった福島県いわき海浜自然の家で、姪2人から自身の兄2人が津波にさらわれ亡くなったことを知らされ、3人で泣いたといいます。この時期はシラス漁のために、出漁に向け例年船の整備をしているものの、3月12日が母の命日だったため11日の整備は見合わせるように言っていた。しかし、2人は整備に出て津波の到来情報が伝わらないまま流されたようで、これ以降いつも見ていた海を見ることもできなくなったそうです。
2人の兄を失った悲しみから民生児童委員などのボランティア活動等を通じて多くの人に支えられて立ち直り、今では防波堤越しに海を見ることもできるようになったといい、「少しづつ復興を進めていくこと亡くなった方への追悼になると思います」と、今は亡き兄たちに呼びかけていました。
震災の傷跡は、まだまだ消えていないことを実感しました。
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