JEWEL BOX KDC!!

軽井沢学園を応援する会誌、ストリートパズルよりー園の庭をはきながらー 23号

大人気のこの投稿。私がいつも幼馴染の「軽井沢学園のたかねっち副園長」から原稿をもらって掲載しているというこのブログ、最近こんな効果があるそうです!


「今年に入り関東近辺の福祉関係者より、「高根の日記をネットで見た。是非見学したい」
といった問い合わせが多く寄せられ、多い時で週1~2件くらいのペースで視察を受け入れています。」

「職員がなかなか集まらなくて困っていたのですが、ネットで見たと、なんと茨城県からこちらに移って今月から学園に勤務してくれています。」
「KDCのブログをプリントアウトしてファイルしてくれてるそうです。」

など、こんな効果が見られました!

たかねっちとかるがくの皆さんの取り組み、とても素晴らしいと思って私は応援しています。
たくさんの人に知ってもらうことは大事だな、と思いました。

今回も読んでいるだけでほっこりするようなお話ですよ(^^)



‐園の庭をはきながら‐

ふたつの時代

~Casa一周年を迎え~

たかねっち☆

 トントントントン、まな板の音。台所から漂う味噌と長ネギの香り。「朝だよ!そろそろ起きて!!」合間をぬって保育士がこどもたちを起こします。まずは2階で寝ている中学バスケ部の女の子から。でもなかなか起きてもらえません。時間をおいて何度も1階2階の往復です。次は高校生の女の子。この子はサッと起きてくれるためホント楽です。そして、わずかな時間の合間を見つけて両手にゴミ袋を抱えながら小走りで近くの集積場へ。お次は2人の幼稚園生。「今日はお弁当の日だよ。お弁当の中身は何かな~?」布団の中でゴソゴソと動き始めた隙を見てササッと2人を起こし着替えさせ顔を洗わせます。おちびちゃんたちを1階のリビングに降ろし、6人分のご飯をよそって玉子焼きとホウレン草のごま和えをテーブルに置きます。「朝ごはんできたよ~」世のお母さん同様、うちの保育士も毎日朝は大忙し。

 こうしてCasa佐久花園の一日は始まります。『Casa(カーサ)佐久(さく)花園(はなぞの)』とは、昨年の4月に長野県佐久市の花園区にオープンした定員6名のグループホームの名称です。そこは軽井沢学園から車で30分位離れた場所にあり、正式には地域小規模児童養護施設といって現在、国と県が推進しているこども版グループホームです。ちなみにCasaとはラテン語で「家」を意味します。


時をさかのぼること70年余。昭和20年代。焦土復興も手付かずの混乱期、その頃の日本は都市空襲で家や家族を失った戦災孤児、旧満州や朝鮮半島、南洋諸島などの外地からの引き揚げ孤児が行き場を失くして路頭に迷っていました。このような孤児は「浮浪児」と蔑視的な名で呼ばれ、全国に3万5千人(朝日年鑑による)もおり、当時の社会問題となっていたそうです。
そして、その浮浪児による物乞いや盗み、不潔などという理由から、占領軍GHQの指示によって「浮浪児狩り」「刈り込み」などと称する非人道的な行為が始まります。大人たちはこどもたちを捕まえトラックに乗せて収容所へ連れて行き、劣悪な環境下で粗末な食事を与えながら過酷な労働強制をしたそうです。当事者の手記を拝見すると、多くのこどもたちがそこで亡くなり、想像を絶する酷い扱いを受けていたことがわかります。
あまり表には出て来ぬ話しですが、彼らも戦争被害者であり、そのようなこどもたちを保護救済するため、全国各地で有志による保護施設(孤児院)が誕生しました。戦地より復員した御住職が上野駅構内の地下道で暮らす浮浪児数名を長野市内のお寺に連れ帰って育てたという話はよく知られた話ですが、寺院や教会などの宗教家が慈善活動として戦災孤児の救済にあたり、そのまま養護施設になった例も全国的に少なくありません。

ここ軽井沢学園は、元々は愛清会追分学荘という名で東京都に住む学童の集団疎開先として設立されましたが、昭和22年の児童福祉法制定に伴い戦災孤児の保護を主目的とする施設として再出発しました。
余談ですが、軽井沢学園初代園長の山田寅子先生は、軽井沢町初の女性町議会議員でもあり、生涯を児童福祉に捧げた愛情深い立派な方です。母先生と呼ばれ、児童はもとより職員のしつけにも大変厳しい方でもあったそうで、昭和30年頃には、手に負えぬような非行少年たちを専門に扱う県の特別指導施設にも指定されていたそうです。
応援する会の皆さんが遊びに来て下さるこの学園ですが、歴史的背景には大人の始めた戦争に翻弄された罪のないこどもたちの不幸な過去が出発点となっている事、皆さん知っておいて欲しいと思います。


 時代は変わり、現在の児童養護施設はというと、昔でいう孤児はほとんどおらず、経済的な理由や複雑な家庭環境、虐待の被害に遭ってしまった児童など、実に様々な理由で利用されています。深刻な食糧不足と雨風を凌ぐことが精一杯だった戦後間もない頃とは違い、物質的には大層豊かな時代ですが、現代社会同様にこどもや家族の抱える課題も複雑化、多様化しており、それぞれの対応も難しくなっています。また、虐待などによって心に深い傷を負ってしまったこどもたちの“心のケア”も私たち施設職員の重要な役割となっています。
そのため、昔のように「右向け右!」といった集団管理的な養育には、もはや限界がきており、施設の規模をもっと小さくして、一人ひとりのこどもたちを丁寧に育てるという個別性重視の価値観が主流となっています。

 これは、当園に限った話ではなく全国に約600か所ある児童養護施設全てに当てはまる課題であり、平成23年厚労省の諮問機関では「家庭的養護の推進」と銘打ち、将来的に全ての児童養護施設の定員を45人以下に減らすことや、里親やグループホームを積極的に増やし、こどもは全て家庭的な環境の下で育てることが望ましいとする提言が出され、実際、昨年度より国の主導のもと、15ヶ年計画により各施設の小規模化や里親委託の拡大に向けて動き始めています。

 このような時代の要請もあって、軽井沢学園でも数年前からグループホーム開設を計画し、場所や物件の選定、費用の確保、備品調達など、大変な準備や障害もありましたが、多く方々の協力を得ながら平成27年4月に開所を迎えることが出来ました。

何もかもが新しく、初めてのことだらけ。現地スタッフとこどもたちで話し合いながら、新たな暮らしを一から作り上げていかなければなりません。失敗は決して許されないという重圧。しかし、そんな不安な中でも私たちを勇気づけてくれたのは、そこに暮らすこどもたちや沢山の支援者です。
 Casaには3歳の小さなこどもたちも暮らしています。まだまだ手のかかる年代です。パートのベテラン保育士もいますが、若い保育士一人きりで勤務することもある中、中高生のお兄さんやお姉さんが面倒を見てくれたり、食事作りも手伝ってくれます。ここは“アタシんち”という帰属意識も芽生えて随分と助けてもらっています。また、食事作りの助っ人ボランティアさんの存在、近所で美容室を営むおばあちゃんは、度々お菓子を買ってきてくれます。おかずを沢山作ったからと言ってわざわざ持ってきて下さる方もいれば、近所の農家の方々からは、お米、玉ねぎ、ズッキーニ、落花生、名も知らぬ野菜や山菜などのおすそ分け。ここでは書き切れません。
開所から早一年が経ちましたが、多くの方が足を運んで下さり、少しずつ花園区の一員として声も掛けてもらえるようにもなりました。おかげさまで人の温かさに触れた一年でした。無事Casa一周年を迎えるにあたり、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
「地域と共に育つ家」を合言葉に、Casa佐久花園はこれからも人とのつながり、ご縁を大切にしながらこの地にしっかりと根付いていきたい。職員一同そう願っています。

 
 70年前、戦争の犠牲となったこどもたちを救済するために作られた場所が、現在は児童虐待はじめ、大人の事情や都合によって家族と離れて暮らすこどもたちをケアする場所へ、そして、これからの時代は、そのような境遇のこどもたちを限りなく家庭に近い環境の下、人の温もりに触れ、様々な知識と経験を積みながら健やかな育ちを願う場所へと変化を遂げようとしています。


悲しい虐待のニュースが絶えない昨今、昔も今も共通して言えることは、いつの時代もその無力さゆえ、大人の所有物のごとく、こどもたちの人権が軽視され奪われているという現実です。そうならない社会を築くことが私たち大人の役割ではありますが、残念ながら施設を利用せざるを得ないこどもたちは今も大勢います。そんな罪のないこどもたちが失いかけた信頼感を取り戻し、前向きな未来を描けるよう、私たち施設職員は時代のニーズを敏感に捉えながら、試行錯誤し続けなければなりません。


佐久市花園、鼻(はな)顔(づら)稲荷神社から徒歩三分。小高い場所に建つ真っ白な家Casa。眼下に広がる一面の水田。全ての田植えも終わり夜も更け始める頃ともなると、話し声やテレビの音、生活の雑踏を全てかき消してしまう程のカエルたちの鳴き声。「ちびちゃんたちそろそろ寝るよ~」そう言って保育士は片手で女の子を抱っこしながら男の子の手をつないで階段をゆっくり上がって寝室へ向かいます。2階では中高生のお姉ちゃんたちが寝転がりながら「ミュージックステーション」を観ています。2人はお姉ちゃんたちにおやすみの挨拶をしてから布団に入り「ぐりとぐら」のお話しを読んでもらいます。
幼児さんが寝静まった頃、明日の連絡帳を書いていると、今度はピンポ~ン、玄関のチャイムが鳴ります。来春ここを出て社会自立する予定の高校3年生の男の子がアルバイトを終え帰宅。作り置きのおかずを温め直しての遅い夕食です。「ねえ、中間テストどうだった?」「英語はクラスで3位だったよ!」「他は?」「他?他は、え~と、、、製図が追試になった」

 こうしてCasaの1日が終わります。ごくごくありふれた、こんな毎日が繰り返されていきます。これからもずっと・・・

おわり
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