井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

無責任な情の有難さ(孫)俄かじじ・ばば

2013年05月28日 | Weblog

以前この欄で私は、俄かじじ・ばばには成りたくないと書いた。
確かにじじ・ばばの存在は大きい。けれど深いところまで繋がったものではなく
悪く言えば浅瀬の付き合いであり無責任の情の様な気もする。深いところまで
入られては親の方も堪らない。じじばばは何かあれば、親に返して難?を逃れる

位しか出来ないが、それ位で丁度いい様に思う。人間のエゴ丸出しに見えるが
それ位が良い。関わりたいが関われないのが孫であり、惹かれていくのであろ
う。親としても無責任で有ろうとなかろうと、関わってくれるじじばばが良い
筈である。そんな孫は幸せ者であろう。…?                
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あかちゃん騒ぎ(その1)

2013年05月25日 | Weblog

次男坊の赤ちゃんが退院してきた。大騒ぎである。
一人覚めてるのは私だけ。顎鬚を生やし抵抗してるが無勢に多勢俄じじには
為りたくないと言いながら、ちゃっかりhpoto albumの表紙を作っている。
これ位で丁度いい関係に為る。

奥さんは確かに美人で可愛いが、私の次男坊の嫁に出来過ぎである。でもけさは
静かである嫁が里に帰っているが言われぬ淋しさもある。この静かさは何時もの物でもな
く,心地でもない違ったものがある。今迄の姿も見えてくるいいタイミングかも知れない,
近くに最近の赤ちゃんを見るのも初めてだが、大きな口をあけ自分の指をしゃぶ

っているなんて思いもしなかった。世代は赤ちゃんまで変わりつつある。                               font
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顎鬚

2013年05月22日 | Weblog

ここしばらくブログから離れていた。今のパーキンソを患って以来、
交友関係が狭くなり、ブログに記す程もなくもんもんと過ぎていく。私の高齢に
比べれば私にしても、未だ若いや青いと言う大先輩に比べればまだ青いが私な
りに精一杯病魔と闘ってる次第なのですが、周りの人にはそうは見えにくく適当

に生きてる様に見えるらしい。やはりパーキンも精神病の一つに違いは無く、薬
づけから来る脳の変調なのか解らないが、脳の変化を感ぜずには居られない。
進行性の場合現状維持が出来るならば、私は大成功だと思ってる。
一昨日次男坊の子供が生まれた。

それを機会にでも無いのだが、顎鬚を伸ばし始めた。ワイフは言う。そこまでし
て「人から 嫌われたいか」と…所詮女には解るまい。

       
                                  

選挙民の柵

2013年05月22日 | Weblog





通夜・葬儀にと追われてる間に、政治の方も動いていた。やはり小沢さんの行動が知りたいどんなにきれいごとを言っても、野次馬根性の一面は誰にでもある。人生の終わりに参列すると何時も思ってしまう。如何に人生を語ろうと、避けて通れない道・・自分の姿を描いてしまう。小沢さんも今度ばかりは政治生命を無くしてしまった。よき人生だったからよき最後とは限らず、悪い人生

も悪い最後とは限らない。"必ず"来る日まで思いっきり生きたいと思うが、神様の思いひとつかも知れない。一番身近にある奥様までがあそこまで書けばもう生き残れまい。今の健康が何処まで続けられるか、生あるものはみな同じ船である。皆人生と言う船に乗ってるのならば、小沢さんももっと小沢さん好みの潔い道も有ったと思うのだが。捺印を押した離党届を預り持ってるなん

て、卑怯そのもので何ものでもない。其処までしないと、自分の部下を信じきれないでよくも今日まで来られたものである。預ける方も政治家の精神は0である、こんな人が日本の政治を司るのだから国民もたまらない。選挙はお祭りでも、遊びでもない。選挙民の皆様選ぶ時はよく精査してとことん調べ上げて、国会へ送り込んで欲しい。でないと日本の政治は途上国止まりになってしまうのです。

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門司港駅

2013年05月22日 | Weblog






現役の頃一時門司港駅を利用した事が有った。その時の印象も良かったが今も
変わらない。その期間も長く生まれて親元を離れるまで、20歳代前半までだがそれは楽しかった。良くぞこの街に生まれけりであった。その頃よく叱られた思いで

も浮んでくる。家では母がトイレ(当時便所と言った)は気をつけて使って下さいよ。としつこいほど言われた。その為かトイレの汚い所は厭である。それは各駅にも当て嵌まった。大体が何処の駅のトイレもきれいな所ばかりではない。

その門司港駅のトイレが素晴らしいのである。如何素晴らしいかと言えば、男子の方は角に一輪ざしが有って生き生きとした花が一輪有って石には顔が写るほどの輝きが有り、綺麗だった。現在は修復工事で遣りかんぼに為っているが

是非昔の門司港駅に生まれ変わってほしい。今は利用はしていないが、昔の儘の門司港駅をもう一度見てみたい。然し、今は合理化の時代…責めてトイレだけでも日本一を誇ってほしい。観光の町だから言うのではない。時代は遠くに去り

て思うもの、昭和3~40年代の日本は何処へ行った。もう一度青春の一輪ざしを見てみたい。

   
                                    

 
                                                 
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