井戸端談義・徒然記(MEi日記)

眺める人生は 楽しい 

仲間意識

2013年04月25日 | Weblog



尤もらしい表現をする事の上手な日本人だと思う。 国際競争力に勝つ、国力、雇用調整、会社あっての従業員等々と、経営者は言う。何故かしら東アジア系人は大きなものの見方や考え方が出来ない人種なのか、100%自分の立場を崩さな

いでものを言おうとするきらいがある。目先の世界でしか思考しない日本企業。何か事が起これば、国際競争力という言葉を盾に使う。プールしたお金は国際競争にしか使えないのだろうか。発展期の経営者は田畑をはたいて従業員を守っ

た話は幾つもあった自殺さえ報じられたのは度々であった。今は従業員をすぐクビにする。利益はしっかり守っていながら仲間意識なんてない。国際競争に勝てば仕事仲間は如何でもいいのかと、愚痴も出て来る。全てに事なかれ主義となり

つつあるのか。高度成長期は会社が儲かっているのでざわつきは無いが、あの時も犠牲を払ったのは労働者であった。仲間にも色々あるが、何んと言っても仕事仲間に適う仲間は居ない。この意識が薄れだしてるように思えて為らない。
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哀愁(2)

2013年04月24日 | Weblog




駅には何処の駅にも哀愁がある。鹿児島本線の折尾に用事があり初めて行った。それまで近くに在っても行く事もなかった。歴史ある駅舎である事は話に聞いていたが、門司港を(国の重要文化財)乗り降りする身ではあるが、其処にあるその重みは感ずるものがあった。用事に気をとられ駅に関しては何一つ調べず、パンフレット一枚貰うのも忘れていた。聞くところに依るとかしわ飯の駅弁が有名だが未だ食べた事が無い。そして案内板はあるが、

案内板と言えるのかどうか迷路のような連絡通路がある。その訳は駅には珍しい高架鉄道駅で複雑だ皆がこちらに行くからこちらであろうなんて思ったら大変な事になる。その鹿児島本線の下を走る筑豊電鉄は暗い面影があり好きになれない。やはり古い駅にありがちな駅前も狭く昔が偲ばれる。古い駅には哀愁がしっとりと秘められている。若い頃門司港駅に帰って来ると、正面に駅舎が迫りその先は線路が盛り上がり線路は無い。あ~あ帰って来

たと思うのである。そして(恐らく日本一綺麗なトイレと思う?に行くのである。)その頃の思いと、今の思いは格段の差はあるが、駅には用事が無くとも寄って見たいのは今も変わらない。
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生かし方

2013年04月23日 | Weblog




色んなブログをよんでいると、ブログの活かし方はこんなものではないと、思われ
て来る。ニュース性、生活面、スポーツ性にしても仲々な物が有る。これは各ブロ
ガーに寄るがもっともっと生かされる様な気もする。若し 自分史等に興味の
有る人はそれも編纂出来ようし世の中こんな時代だから、損得や金儲けだけに

繋がらなければ前途は広いと思う。一番に生されるのは災害時ではなかろうか。
状況を判断しブロガー同誌に繋ぎ合せる。ボランティアの手配も行おうと思えば
可能だし、このブログを生かさない手は無いと思われて仕方ない。
只 云いっ放し 書きっ放しでは勿体ない気がする。それも何時もではない。

人様の生活に異変が生じた時 現実 外の通信機関に無理が生じた場合だけで
ある。司るのは地方行政、勿論各ブロガーは任意に届けて置く事は必須になる。
                       
                               

新聞休刊日(再)

2013年04月23日 | Weblog
今日の新聞はと聞くと、お休みと返事が来た。配達されてる時は、
そんなにも感じないが新聞が来ないと、聞くと淋しさが湧く。
だからと言って来てる時に一字一句読むかといえば、そうでもない。
そんな立場にあるのが今の新聞の姿にしては淋しい。私は、

自分ではしないが川柳をよく読む。文は短い程難しいという、
最近の新聞を読んで厚みと言うか、温ったか身を感じないと言う。
そんな根拠は何処から来るのだろう。私は小さい頃新聞社のサイドカーに憧れ
た。今の取材方法は如何なってるのだろう。そこに起因する処が有りそうだ。

それにTV も面白くもないと言われる。楽して作る事に慣れ過ぎたとは、言えまい
かやはり此処にも「車 虎次郎それを言っちゃ…」が出てくるのか と思う。



此の侭では次に渡せない(再)

2013年04月21日 | Weblog



政治家の皆さんの考え方がいよいよ判らなくなった。日本と言う国を如何しようとてるのかさっぱり解らない。何かを決める度に総理大臣の首を差し出す 何ていう国が何処にあるだろうか。法案を通すなんて至難の業である。野党も何処まで追及すれば納得すのか あー言えば、こー言う良くもあんな審議で今日まで来たもんだ。辛酸を舐めさせられるのは庶民である。

野党だから反対はいい、然し何処かで納得する処が在れば一致があってもいいが、何か良くしようと言う 気が感じられない。自民党与党の時もそうだった様に、総理大臣がちょんぼを言うか投げ出すかまで追求するもう一歩二歩と先に進めないのか又総理の交代が始まる。10年1日の如く進む皆さんを見てると怒りを通り越して、笑ってしまう。どなたが総理になってもいいが

少しは進めてもらいたい、責任を取りきらない政治家は、これから立候補をやめて欲しい。また選ぶ国民も送り出し甲斐のある人を送り込んで欲しい。国民の投票が一番怖いのは立候補者である。親しく優しい勧誘にお年よりは負けない様に、お互い頑張りましょう。次の世代の為に!!。