『藝術新潮』1959年8月号より、第8回ロン=ティボー国際コンクールのピアノ部門で日本人として初めて1位になった松浦豊明氏(1929-2011)です。
(↑この画像は1958年のチャイコフスキー・コンクールのときのもの。)
同誌の記事にはこんなことが書いてあります。
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「朝日新聞」の山根銀二の記事によると、「松浦はああいう席でちっともあがらないから、コンクール向きだ」とあるが、逆にまた、その妙におちついたところが気に食わないというものもあったわけだ。もう大分昔のこと、レヴィ(Lazare Lévy, 1882-1964)が公開レッスンをつけたとき、彼の「告別ソナタ」をきいて、あまりの無表情におどろいて「とにかくこれは告別なのだから」とさとした話を覚えている向きもなくはないだろう。
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→その冷たさが魅力だったりして?
また、この年のヴァイオリン部門では、ほとんど期待されていなかったという石井志都子氏(1942年生まれ)が3位に入賞しています。
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石井のほうは、また、びっくりさせられる。何しろ十六歳、高校一年修了でパリにゆき、文部省留学試験の時、フランス語を一口も返事しなかったといって、教師のイスナール女史(Jeanne Isnard)を地団太ふんでくやしがらせたくらい、内向的な子が、三位とは、よく、いったものだ。
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→石井さんのほうも、もう少し良いエピソードがなかったんですかね?というか、当時の日本人の日本人奏者の実力を測る能力がイマイチ。。?
松浦豊明氏と小学校からの友人だったという方から「コンクール後もしばらく帰国せず勉強する、コンクールについて書いたことが音楽之友に載るので見て欲しい」という、当時お父様から頂いたハガキを譲られました。その記事を探しています。1959〜60年当時の音友はお持ちですか?
だいぶ後に、その頃のリストのP協をカセットに編集したものを聴いたことがありますが、冷たい印象はなかったです。実際に聴いていないのに批評するのは難しかったでしょうね。この写真は初めて見ました。有り難うございました。
ありがとうございます。
「芸術新潮」は創刊号からある時期まで、特に雑誌の判型が小さかった頃は音楽関係の記事・写真が豊富でした。
松浦豊明氏が書いたハガキは大変貴重なものですね!1959~60年の音楽の友をとりあえず自宅の物置で探してみます。
もしその記事が見つかったらお知らせしますね。
> 実際に聴いていないのに批評するのは難しかったでしょうね。
確かにそうですね。古い雑誌を読む際にはさらに情報リテラシーが重要だと思いました。
石井志都子さんと同級生の方からコメントをいただき感謝しております。
大殿小学校のホームページを見たところ音楽活動が盛んな学校なんですね。
しかも写真のお部屋でお父様のレッスンを受けられていたとは!昔ながらの和風な、リラックスできる雰囲気のお部屋に見えます。
もちろん松村さまのブログにリンクして頂いて構いません。うれしいです。
松村さま、今後ともよろしくお願いいたします。
リンクのお願いをお聞き届け頂きまして有難うございます。石井洋之介先生は厳しいというより朗らかで陽気なご指導であったことが思い出されます。当時流行の鈴木鎮一教本ではなくアウワー=篠崎教本を使用されていました。レッスンの時に先生がお弾きになるアップライトのピアノは杢目が見えるおしゃれなもので、うちにある黒塗りの無粋なものと違うなあ(笑)とつまらない事を考えていた不肖の弟子の一人でした。志都子さんはとてもシャイでおとなしい女の子で私の母とは時々会話があったようですが、正直なところ私は直接お話しした記憶がありません。
再びの貴重な情報をありがとうございます!
> アウワー=篠崎教本を使用
そうなんですね。参考になります。自分はヴァイオリン教本のことはよく分かりませんが教本の流派について調べてみたくなりました。
> 志都子さんはとてもシャイでおとなしい女の子
雑誌記事のとおりだったんですね!諏訪根自子さんも極端に口数の少ない子供時代を過ごしたようですがその分、ヴァイオリンで雄弁になるのかもしれませんね。現在の石井志都子先生がやはりおとなしいかたなのかどうかに興味あります。
それでは松村さま、また是非よろしくお願いいたします。