チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

楽員の観た歴代のN響指揮者~チェリスト・大村卯七(1954)【その2】

2014-10-22 22:12:00 | メモ

きのうのつづき、大村さんのローゼンシュトックとヴェスについてのお話です。

【ヨーゼフ・ローゼンシュトック(Joseph Rosenstock, 1895-1985)】


先刻のお二人(ケーニヒとシフェルブラット)を、N響のために「光を掲げた人々」と云えるなら、ヨーゼフ・ローゼンストック先生は、N響に「魂」をぶっこんだ神様に近い人というべきでしょう。ローゼンストック先生は、確か昭和十一年に日本に来られました。それから十年もの永い間、僕達を技術的に、精神的に御指導下さったわけです。「現在あるN響」の殆ど大半は、ローゼン先生一人の、超人的な偉業のたまものというべきでしょう。先生の偉業は、日本交響楽史上、唯一の金字塔として、未来永劫迄、記念されるでありましょう。

僕は、あなたがたを最上のオーケストラ・メンバーに仕上げたい。そしてあなたがたと一緒に『僕達のオーケストラ』を創り出したい」。これは先生の理想であり、魂でありました。同時に僕達には、今なお、不変のスローガンであり、N響魂でもあるわけです。ですから、先生の訓練は、正に峻烈きわまりないものでした。たまには、残酷なしうちをうらみに思ったことさえありました。文字通り、死の苦しみをなめてきたわけです。毎シーズン、終末に近づきますと、仲間の二、三人が肺病にたおれ、病院におくりこまれていったものです。おおげさではありません。実話です。極く最近のことですが、「大村君。N響を随分いろんな人が棒振ったけど、でもローさん程の棒のテクニシャンは一寸いなかったね。当代未聞の人だよ。むろん日本で聴いた範囲で、だ」と、僕の或る友人が話していました。が、是非は兎に角、ユニークな技術的に洗練されてる、むしろ時によっては強引なものさえ感じさせたこともありましたが、そのくせ、細いディテェルもみのがさないデリカシーな神経が、適当に按配されているという完璧なものでした。天性からが豊かなロマンティストであり、それと鋭敏な現代的感覚とが、よく調和して、おのずと先生独特の風格(スタイル)を創り出していたわけです。「楽員のみなさんが一緒に、波に乗って演奏しなければいけません。」これは、つまり、先生の音楽の「呼吸」のようなものでした。演奏会、練習、或いは私生活などで、先生から、びっくりぎょうてん、させられたお話も、数えきれない程沢山ありましたが、中でも特に、文字通りに正確無比なテンポ感覚は、誰も真似ることの出来ない、一寸、無類なものの一つでした。定期練習の八ヶ日の間は、おろか演奏会の最後の日迄、全然テンポがくずれないんですから、ぎょっ!というよりは、むしろ、不思議が先立ってしまう始末です。過去と現在の間 ― 僕達は、約二十人近い、いろんなケースの棒振り達と一緒にやってみましたが、後にも先にも、こんな経験は、先生が初めてでした。

或る日。ひとむかし程、まえの話。日比谷公会堂から、先生の指揮で、ベートーヴェンの第九番シンフォニーを中継した時のことです。NHKでは放送時間の都合で、第四楽章だけを電波にのっけることになっていました。処で、「先生。何時何分?にスイッチを切り換えましょうか?」。ミキサーが大変心配して、先生にうかがったものです。「そうですね、第四楽章は、丁度七時から始めることにしましょう」。こうして、演奏のテンポと第一、二、三楽章の所要時間を計算して、第一楽章の「でっぱつ」時間がきまったわけです。むろんのこと、テストなしです。当日、七時をかけた第一楽章冒頭のアインザッツは、まるで無雑作にふりおろされました。丁度七時です。スイッチが入りますと、どうでしょう?むろん、突然変異の起ることの方が、返って不思議というものです。わずかの三十秒だけ、ずれてたにすぎません。正に入神の技といえましょう。神技とは、つまりこんな離れ技を指すんでしょうが、やっぱり、人間の偉大な能力が果した技であることだけは、忘れていけないことでしょう。

正確無比なテンポは、むろんのこと、演奏の上だけのことではありません。先生の私生活にも、つまり、日常茶飯事の出来ごとだったわけです。言葉の関係で(ドイツ語)僕は、先生の御家庭とも深いおつきあいをすることが出来ました。或る朝のことでした。先生から、お使いの方が、僕にすぐに来てくれとの伝言です。急いでお訪ねしますと、玄関の所で、頬をあおざめ、不機嫌な面持ちの先生が待っておられます。何事やおこらん。勢いこんでおられるから、丁度僕が、御説教を戴いてるみたいでした。「大村君。うちのねずみは、八時に十分ぐらい前になると、まるできまったように騒ぎ出すんだ。八時までねていたい僕は、うるさくて、とってもねてなんぞいられない。君、僕は、おかげで毎日、十分ずつ睡眠不足してるんだが、これは君、一年間で幾時間のねぶそくか知ってるかね。体のためには大変なロスなんだ。で、まことにすまんが、明朝から、もうあと十分だけ、遅くおいでいただくように、ねずみ君へは君のほうから、たのんどいてくれ。僕はもう一度ねなおすよ」。と、厳粛な顔で、真剣に相談がけられたんですから。つまり、天井裏のねずみの国へ、僕が全権大使というわけです。どうぞ皆さん、おわらいになっちゃいけません。正真正銘、先生のためには、全く深刻な悩みだったんです。実話ですぞ。それだけに、この裏には、単んにユーモアじゃすまされない。現実的な教訓がかくされてるとは思いませんか。先生の正確なテンポの由来も、やっぱり、憶して知るべしでしょうが。


【クルト・ヴェス(Kurt Wöss, 1914-1987)】


比較的ウェス先生の時代になりますと、この点、気楽なものを感じました。つまり、大変お若いにかかわらず、立派に精神修養をすまされてる証拠でしょう。ですからそれだけに、僕達は、返ってなげやりな気持で演奏など、とっても怖くて出来っこないわけです。唇のあたりに、ほんのりただよっただけの微笑のほうが、頭髪さかだつばかりの怒りよりも、もっと効果的な場合があるということです。

ウェス先生の棒の特徴といいますと、ローゼン先生の豪快な棒さばきとは、正に対照的な、つまり当時迄、N響に欠けていた、非常に優雅な音色、殊にピアニシモも美しさを、ドイツ人特有のねばりで、僕達にしこんでいただいたことでしょう。云う迄もなく、定期公演や、NHK・シンフォニー・ホールの放送、その他の機会で、もう皆さんには大変おなじみでしょう。大変におなじみにウェス先生も、この八月に契約満期、故郷ウィーンにおかえりになることになっています。満三年間、N響史上に残された栄光あるウェスさんの功績も、永く永く讃えられることでありましょう。他人の記憶の中に生きていられる人程、幸福な人はありません。将来の御健康と御多幸をお祈りし、同時に、偉大なる芸術家として、お活躍あらんことを、心から期待しようではありませんか。


。。。ローゼンシュトックはN響を一流にするため鬼になったんですね!しかしなぜそこまで?