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チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

悲愴交響曲第二主題とピーター・ボイヤーのチャイコフスキー6.1

2013-08-19 17:15:33 | 何様クラシック

怒怒怒怒怒怒怒怒怒

奥泉光の小説『シューマンの指』は面白かったけどチャイコフスキーの悪口が書かれてる!

単行本14ページ→『誰が振っても「感動的」に盛り上がる、チャイコフスキーのごとき凡庸な音楽』

。。。って随分な言われよう。誰が振っても感動的ってすごいことやん!

 

「チミ~、チャイコ(←この呼び方ムカつく)なんて聴いてるの?甘いな~」とかチャイコを馬鹿にすることによりツーぶるウザい輩をこれ以上増殖させないでほしいです。

この本、結構売れたみたいだし。

 

悲愴第1楽章のチョー有名なニ長調のシ抜きのテーマをさざなみをバックに弱音器をはずして第二ヴァイオリン、そしてヴィオラまでが伴奏するのをすっかり忘れて感極まって思わずつられてオクターブユニゾンで歌っちゃうところ!ベタだからこそ何度聴いても泣ける~
幾多の交響曲の中でもこれ以上ステキな1分間って、そうは無いんじゃないの?感動的に盛り上がってる最中も背後に恐るべき静謐。

 

 

悲愴ついでにメモっておくと、ピーター・ボイヤー(Peter Boyer, 1970-)というアメリカ人が作曲した「チャイコフスキー6.1」は、なんと、悲愴をハッピーエンドに変換してしまうというシロモノ。

「あの世で解決」系だけどちょっと救われた気分に!? NMLで聴けます。悲愴のコンサートのアンコールでやってもらいたい。

(追記)ボイヤーの出来たてホヤホヤの「交響曲第1番」の作曲者自身の指揮・ロンドン・フィルによる演奏(naxos 8.559769)を早速NMLで聴いてみたら、チョー人生肯定的!「深刻に考えすぎるなよ」って肩を叩かれたようで油断してたら最終楽章アダージョ(変ホ長調)で不覚にも涙が落ちてしまいました。最近ボクは暗めのツーぶった音楽ばかりを聴いていたためかもしれないけど、癒された~。やっぱりボイヤー兄ィ、世界中の人がきく悲愴交響曲の悲しすぎる終結には我慢できなかったのかもしれませんね。


『ベートーヴェンの交響曲』(金聖響+玉木正之)を読んで

2013-08-07 15:27:42 | 何様クラシック

講談社現代新書『ベートーヴェンの交響曲』を読みました。

金聖響さんが指揮者の立場から語ってて面白かったっす。

なかでも英雄と第九にケチつけている箇所はSUGEEEE!!

 

1. 英雄終楽章第5変奏に対して(81ページ)。。。『現代の感覚からはちょっとダサイ(笑)』

 

→ボクもうすうす、盆踊り感を覚えてたんだけど、これ読んでからはダッサー!!って完全に意識にのぼってきてしまいました。どうしてくれるんです?w

 

 

2. 第九終楽章627~641小節について(239ページ)。。。『ちょっと不要な部分』

 

→ん?ここはめちゃ遠い暗い宇宙に一人放り投げられたみたいで結構好きなんやけど。。。?

 

どっちにしろベートーベン信者にとっては激怒ものの書きっぷり、勇気ありますね!罰当たり!!

ボクはこういう正直な本がどんどん出てきてもらいたいと思いますたw

金さんの英雄、第九のCDか生演奏、是非聴いてみたい。


運命と4番、まちがいなく血がつながってるわ(吉田秀和ミステリー)

2013-08-04 17:14:59 | 何様クラシック

吉田秀和全集1の318ページ読んでビビったわ。

ベートーヴェンの交響曲第4番が先に構想された「運命」の実の妹だという決定的証拠があったとは。。

 

まず、おなじみ運命の冒頭

 

 

それに対して4番の始まりは。。。(arco.以降)

 
『これが実は、あの『第五交響曲』の不滅のモットーから、直接躍り出た楽想だと気がついた人は何人いるだろうか?』
 
『これだけていねいに誤解の余地がないほど『第四』の『第五』からの派生関係が明示されているのに、...』
 
(↑ ボクがこんなに引用してしまってもいいのだろうか。。?)
 
とにかく何度も聴いてるのに全然気が付きませんでしたよー
 
吉田秀和、恐るべし~

マルコム・アーノルドの交響曲の楽器編成

2013-08-02 22:55:45 | 何様クラシック

英国の作曲家、マルコム・アーノルド Malcolm Arnold (1921-2006)のA Grand, Grand Festival Overture (Op.57, 1956) ってのがあって、掃除機3台と床磨き機(?)がすまし顔で登場したと思ったら最後はベートーベン様に対する全力での馬鹿にしくさり具合に爆笑してからしばらくはてっきりお笑い作曲家だとばかり思っていました。


しかし交響曲を聴いてからは認識を新たにしちゃいました。
調性感バリバリで一見(一聴?)親しみやすそうなんだけど、毒があってボクは好き。
4番のCD自分初演?のときなんて、神聖な「交響曲」を襟を正して正座して聴いてたら、突然リゾート地にぶっ飛ばされて唖然&嬉し恥ずかしだったわ。交響曲でこういうことやっちゃうんだーってマジ感激しましたの。
ただ、重い病気になった後の9番(アノ9?ノル9?)だけは何か哀れで別人みたいでしんだじーちゃん思い出すから一回も通して聴けないでいるけど。

アーノルドの交響曲の魅力は何よりも金管がパッパカパー!!って鳴っててSUGEEEE気持ちEEEEE!!+薬味にちょっと狂気入っちょる!
オーケストラ編成はさぞデカいのかと思ってネットで調べてみたら...
(亡くなって間もないからIMSLPには総譜無いけど'SchirmerOnDemand'にあったわ(2~5と9番)。無料で見れるで~)

1番(Op.22, 1951)   3222/4331/timp.2perc/hp/str
2番(Op.40, 1953)   2+pic.222+cbn/4331/timp.2perc/hp/str
3番(Op.63, 1957)   2+pic.222/4331/timp/str
4番(Op.71, 1960)   2+pic.222+cbn/4331/timp.3perc/cel.hp/str
5番(Op.74, 1961)   2+pic.222/4331/timp.2perc/cel.hp/str
6番(Op.95, 1967)   2+pic.222/4331/timp.3perc/hp/str
7番(Op.113,1973)  2+pic.222+cbn/4331/timp.3perc/hp/str
8番(Op.124,1978)  2+pic.222/4331/timp.2perc/hp/str
9番(Op.128,1986)  2+pic.222/4331/timp.2perc/hp/str

...みたいに、決して小さくないけど(打楽器は種類多いっぽい※)、チョ~デカいわけでもないのね。3番は特にシンプル。
むしろブラームス的な頑固一徹さを想起させるやね。
編成が大きく聞こえるってオーケストレーションが上手いってことなのかなぁ?
もっと贅沢なオーケストラで書かれてても全然響かない曲なんていくらでもあるよね。
アーノルドがブラバンの世界では神様扱いされとるのもわかるわー!?
是非日本でナマで聴きたいっす。絶対ウケるとおもいまっせ!!

※例えば5番 Cymbals, Suspended cymbal, Side Drum, Bass Drum, Tam-tam, Bongos, Deep Tom-tom, Glockenspiel and Tubular Bells


アーノルド・バックスの交響曲雑感

2013-07-28 19:24:49 | 何様クラシック

怒怒怒怒怒怒怒怒怒

ブログ開通最初の日に言いたいことをすべて書ききってガス抜き完了、早くもネタ切れですわ~!

ということで、関係ないけどイギリスの作曲家バックス(Arnold Bax, 1883-1953)の交響曲について書くんやね。

7曲も、しかも演奏時間も決して短くない立派な交響曲があるっていうから、折角だしやっぱ丁寧に1番から順番に聴いていきたいやん。

 

そしたらその純粋な気持ちに対してヒドすぎる仕打ち!1番の冒頭って今まで聴いたシンフォニーの中でもワースト3に入りかねない、聞く気が失せる、それはそれは醜い始まりかた!東洋の陳腐な王様が呼んでもないのに現れちゃった、ってなバッバ、バッバッバーンってどんな嫌がらせなんですの?

 

しょっぱな一分で1番を聴くのやめて以来、もうバックスなんか二度と聞かへんわーと思って作曲家の名前すらも忘れてしまいました。

ところが幸か不幸か最初の聴く気マンマンの準備の最中にiPodに交響曲全集入れちゃってたから、その後も何気なく、他に特に聴きたい曲がないときに、ABC順で早いこともあって好きでもないBAXの曲が流れることが時々あったんやね。

でも耳にするたびやっぱし、英国の作曲家って馴染めんわーって気持ちを上塗りするだけだったんです。

 

それが、ある夜、なんか聴きながら眠ろうと思って、またiPodで偶然バックスが再生されたとき、何十回目だったと思うけど突然、稲妻のようにバックスの交響曲の良さ、快感がわかって、結局7曲ぶっ通しで聴いてしまって翌朝寝不足になってしまったんです、ホンマ。

いままでモノクロームでどこを聴いても同じで薄っぺらくて退屈、って思っていたのは大きな間違いで、実は次から次へと雰囲気、音色を変え、同じシーンは決して長く続かないことに気付いたんです。風景が刻一刻と移り変わる散歩の楽しみ、もしくは人生そのもの?ガブリエル・フォーレが音楽はどの部分を切り取ってもヒラメキがないとダメ、みたいなことを言ったのを思い出しました。バッババッバッバーンだった1番の第一楽章の最後のほうも、今では田園的・天国的な美しさに気が遠くなってしまいます。

 

考えてみるに、バックス(交響曲以外のジャンルの作品きいたことないけど)って、特に日本人には良さを気付かれるまで聴く回数がめっちゃかかる作曲家なんでは?大半の人が良さに気がつかないまま聴くのをやめてしまいそう。

交響曲でいうと、( )回目でやっと馴染んできて、【 】回目で聴く歓び最大限、〈 〉回目でちょっと飽きてきたかなー感が出て来た、とすると

たとえば、

おもちゃの交響曲:(1)、【1】、〈2〉

モーツァルト40番、ベートーベン運命:(1)、【3】、〈20〉

ブラームス1番:(5)、【15】、〈50〉

マーラー2番:(2)、【10】、〈30〉

ブルックナー7番:(10)、【20】、〈70〉。。。とか勝手なこと書いてすんませんねー、根拠なしです。どうせ誰も見てないからいいか。昔の作曲家からしたらまさか飽きられるまで繰り返し聴かれるなんてこたー、想定外なんでしょうけどね。

 

それをバックスの交響曲にあてはめると、(100)、【100】、〈200〉って感じ?馴染むまで時間がかかった分、すぐには飽きそうもない。。。かも?

 

バックスの交響曲のなかでは今のところ、シベリウスに献呈され1934年にビーチャムにより初演された第5番が一番シリアスっぽく、ツンデレ度が高くて好きです。

初対面で愛想良く笑顔で擦り寄ってくる奴にロクなもんおらへんもん。