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その28:アグアタンク破裂!さらばモンテリコ。

2008年02月19日 | グァテマラ:モンテリコ


8月7日(日)
Hotel el kaimanの食堂(というか少しこじゃれた海の家)にて朝食(トルティージャと普通のプレーンなスパゲティと魚のフライ)を食べていたら、カルロスという若い男が声を掛けてきた。
首都グァテマラシティでコンピューター関係の仕事をしていると言う。
色々、日本語を教えてくれと言うので、適当に言葉を言うと一発でマスターする。頭が良さそうだ
座禅も教えてみたが、それも即座にやってのけた

こちらも負けじとスペイン語でショーク(?)を言ってやった。
「hacer el amor....」と。カルロスは苦笑い。。。
意味は調べてください
その後、メルアドと電話番号を交換したが、2年以上経っても何も音沙汰は無い。
こっちも何も連絡してないけど







8月9日(火)
この宿の水は海水を汲み上げて、それを屋根裏のアグアタンク(水タンク)に貯蔵したものを使用する。
暑いのでシャワーを浴びようとしたら断水中ということもザラにある。

ちなみに天井は蚊帳でできてる為、このタンクや屋根の骨格がよく見える。

この日は少し風邪気味だったので、ベッドに横になっていたら、いきなりタンクが破裂!
部屋中びしょ濡れ 洪水状態。







気管支炎になった

宿のオッサン(この時はブチ切れ気味に腹が立っていたのでオッサン)に、文句を言うと「トランキーロ(落ち着け)」と言う。
落ち着けるかい!
オッサンが車を呼び、それに乗って近所の病院へ行く。
医者は注射を打つと言ったが、オイラは感染症が怖いので頑なに「ノーインジェクション(注射は嫌だ)」と訴える。
結局、飲み薬とトローチを渡される。気休めだね。

もうアンティグァに戻ろう。
行きの運転手のお姉ちゃんに電話をする。気管支炎で体調が悪いと伝えると、11(木)の15時頃来てくれるという。

9(火)~11(木)まではオレンジシュースしか喉を通らない状態になった。
バテバテのフラフラだ。

で、11(木)ですよ。15時頃来ると言ってた、運転手のお姉ちゃんが11頃に宿まで来てくれた やった!早くにアンティグァに戻れる!と安心したのも束の間。
お姉ちゃん曰く「これから妹と海水浴に行ってくるから、車の中で休んで待っていて」だと。
「てめえ、気管支炎だって言っただろうと言う気力もない。

そこから4時間以上猛暑の車内で死にそうになりながら、待つ。途中2回ほど水分補給に雑貨屋にオレンジジュースを買いに行く。
「車内の荷物が盗まれるかも」なんて考える余裕も無かった。盗まれなかったけど。

15時過ぎ、お姉ちゃんが戻ってきてアンティグアに向けて出発。帰りは景色を見る余裕が無かった。
アンティグアのホテルパンチョイに到着した頃には、ほぼダウンしていた。
運転手は「日本に帰るときはまた連絡してね」と言ってきたが、「誰が頼むかボケ!」である。

パンチョイのエステラおばさんは相変わらずの笑顔で迎えてくれた。それは救いだった


その27:海だ!亀は?

2008年02月18日 | グァテマラ:モンテリコ
7月30日(土)
午前9時ごろ、早速海にいく。キレイな海だけど波がとても荒く、泳ぐことはまず不可能だと悟った。
それでも波打ち際で海水浴。
油断してると高波が来て、後方へでんぐり返り一回転半を強制的にさせられる

その時思ったこと。「これで泥酔してたら、間違いなく死ぬな。。。。。」
さすがに海を舐めてはいなかったので、酒は飲んでなかった。

夜、違う海の表情を見たくて海岸へ出かける。
すっごく星空がキレイだ。ものすごい!
東の空がオレンジ色に輝いた アレは一体何なのだろう?


8月2日(火)

昼、昨日に続いて暑い。体がバテる。肩と背中が日焼けで痛い

8月3日(水)
宿から歩いて15分くらいの、オバちゃんがやってる雑貨屋に買い物。
命の水とネスカフェ(グァテマラではこればっかり飲んでた)。そして砂糖。
しかしどうしても、砂糖:azucar の発音が通じない。
身振り手振りで、ようやくオバちゃんに理解してもらう。そしてその場で即席の発音講座をしてくれる


8月4日(木)
明け方、今回の旅の目的の一つであった海亀の産卵を見に浜辺に行く。
他にも欧米人の観光客が数人、同じ目的で来ていたが見られたのは小っさなカニのみ

宿のオジサンに聞くと1ヶ月くらい早いそうだ。こちらの人はアバウトだから1ヵ月後に来ても見られるかはわからないけど。

7時半頃に朝食を摂りにComedor Anabelitaという食堂へ。
「Cebiche de Tiburon」というメニューがあったので注文。
Tiburonは「鮫」のことだとわかったけど「Cebiche」が何だかわからない。鮫肉の焼いたものでも出てくるのかな?と思ってたら、鮫のマリネだった
健康的な朝食でございました。

といってもそれでは足りないので、日本で言う「スパゲティナポリタン」のようなモノも頼む。
この食堂はスパゲティを注文すると「スパゲティナポリタン」風のモノを出してくれるので(アンティグァでは見たことない)、滞在中は重宝した
具はほとんど入ってないけど、懐かしい味がする。これをトルティージャと一緒に食べると最高!

ほとんど毎日通ったような気がする。
その後のちょっとした惨事が起きるまでは。。。。。



その26:やっぱり海が見たいから~モンテリコへ~

2008年01月31日 | グァテマラ:モンテリコ
少しだけ、前回の日本食レストランの話と前後しますが、7月の終わり頃、ホテルパンチョイの息子より「8月の頭はエルサルバドルより団体客が来るので、その間、出て行ってくれ」と言われる。

ちょうど次の旅行を考えていた時期なので、とりあえず街の旅行代理店へ。シャトルバスの申し込み
グァテバスを使うと面倒くさそうな地理っぽかったので、楽してシャトルでいくことにした。10ケツァーレス也(片道)。

何でモンテリコを選んだのかな~?と今、考えていたら「そうだ海亀の産卵が見られるからだ」ということを思い出した。
それと、しっかりとした海を見てみたかった。泳ぎたかった
プエルトサンホセでは全く雨季丸出しの暗い海しか(冬の日本海風)見ることができなかったから、「今度こそ」と。

今回は全く宿を決めず、現地に行ってから決めることにした。

モンテリコに向かう車窓は、田舎感あふれ中々面白かった。途中なんか池だか湖だかを渡った覚えがあるがなんかうろ覚え

モンテリコ着。シャトルの運転手の姉ちゃんに一緒に宿を探してもらう。
「Hotel y Restaurant El Kaiman」という宿に決める。
部屋を決める際、2階の角部屋にした。別に角にこだわったわけではなく、空いている部屋で便器に便座がちゃんとある部屋がここしかなかったという消去法

しかし暑い まさに真夏まっさかりの気候!と思ったのは昼だけで、夜は異常に冷える。

昼は海パン一丁でもジリジリと暑いくらいなのに、夜には薄手の長袖シャツを着なきゃ風邪を引く。→後に実際に風邪を引くわけですが。。。

約10日間のモンテリコライフが始まった。

◎写真はカイマンホテルの部屋。