天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

現在、最強力影響圏を進行中の「吸血蛇女」リリス領するサタンコード152

2017-03-31 21:49:35 | 日記


コード152「丘の地面から伸びている枯れた蔓草が巻き付いた大きな白い十字架(墓、墓石、墓標、石)が、その土地の荒涼とした印象を決定づけている」

♢コードの現象化形態:絞殺。集団墓地。集団埋葬地。テロリストや犯罪組織や犯罪者などによる秘密の埋葬地。テロリストや犯罪組織や犯罪者などによる秘密の死体処理。家屋や地下室や壁や隠し部屋や屋根裏や床下や土中や丘や山中や河原などの野外からの殺害された遺体(または監禁されていた人)の発見(の増加)。闘病や病苦。入院。病状の著しい悪化。病死。不慮の死。著名人の死。自殺。事故死や殺人などの悲劇。苦悩。蚊やノミダニの類、その他の吸血生物や寄生生物(による負傷や伝染病やウイルス疾患などの被害)。蛇(による被害)。以上のワード、およびシグニフィケーターに係る各種の不運凶事や(単に)ニュース化。


・・・が、今後ますますその猛威を振るいつつあります。


〔註〕先日、26日に、千葉県我孫子市の橋の下の川縁で、殺害された少女の全裸遺体が発見されましたが、それにはこのコード152の影響も強く絡んでいます。


このコードは、720あるコードの中でも、ルナーコード100「白い布を体に巻いた女性が静かに横たわっている」と並んで1、2を争う不吉な「病魔・死魔のコード」、顕著な「死のコード」です。

このあまりに危険なコードの〈現象化形態〉に十分注意し、また、コード文に含まれる〈ワード〉に関するものは可能な限り避けるように注意しましょう。

なお、このコードに自分の(出生惑星または進行惑星の)コードがコンジャンクションする(=ぴったり重なってしまう)人は、この危険なコードの影響を、いま時期は限りなく最凶力に受けてしまいます。そうした人につきましては、一般の人の何千倍も注意が必要になります。

過ぎたるは及ばざるが如し。

2017-03-31 15:25:51 | 日記

どこの宗教とは言わないけれど、「ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」と何度も道場で繰り返し連呼させたり、どこのカウンセラーとは言わないけれど、『ありがとう千回』、毎日唱えなさいとクライアントに勧めたり…

そういう「ムダなこと」に何か〈価値〉があると思って人に教える宗教家やカウンセラー、また、そうした空疎な偽善を吹き込まれて喜んで信じ込む人たちって、要は、無自覚であるにせよ、普段の自分に本当の「まごころ」が存在しない人たちなんですよ。だから、「こんなに感謝してる自分♡イイ人」という中身なき定型に酔って満足する。

その言葉(ありがとう)が、何に向けられているものなのか?

その言葉が何かに向けられているとした場合、その何かは本当に感謝する(ありがとうを言う)に値するものなのか? *〔註1〕

そうした前提的内省がない限り、その言葉の内実は空っぽです。空き缶のような空っぽの言葉など、言われるほうにとってもありがたいというよりは、ただ失礼(所謂「ありがた迷惑」)なだけだ。

本来、本当の心からの「ありがとう」というのは、そうやって空経文のように無意味(紋切型)にただ連呼すればいいってものじゃありません。

心の中の口にできないありがとう、口にしたたった1回のありがとうに、すべてが多すぎず足りなくもなく、自然と宇宙の万感が込もる(命が宿る)のです。 **〔註2〕

空疎な台詞だけの「ありがとう」なら、却って逆に何も言わないほうがマシです。

そんなの、「これを作ってくださったお百姓さんに感謝して… いただきます」みたいな、

除草剤を撒いて野の草々を一気に殺し、野焼きで青い空を灰色真っ黒にし、農薬と化学肥料まみれのゴミ以下の農産物を作るしか能がない、そんな母なる地球と地球が生み出した全ての生命の敵であるグノーミンにうっかり感謝の言葉を捧げてしまうのと同じく、莫迦げていて無意味な行為なのです。

もし本当にどうしても(わざわざ)「ありがとう」と言いたいのなら、少なくともその人は以下のように行うべきです。


一、 天の父なる神と日月星辰に感謝いたします。ありがとうございます。(合掌)

一、 あめつちの愛の結晶である人間以外の他の生命、そしてそれを守護する天使たち、真実を行う神の使徒に感謝いたします。ありがとうございます。(合掌)

一、 大地の母なる女神と恵み深き自然、すべての大地・植物・空気・水・川・海に感謝いたします。私はそれらを汚しません。ありがとうございます。(合掌)


もしここまでやるのなら、その無意味な「ありがとう」は、ようやく価値のあるものになるでしょう。 ***〔註3〕


ただし、以上を額面通りに唱えたとしても、その言葉の意味(真義)を何も省みず、また、その言葉に相応しい行動を実際に取らないのなら、以上の言葉であっても結局は「無-意味」に帰してしまうのです。


『真心−言葉−行動』


この三つが真に「一体」となること。そして、それを「現実」にする。要はそれが常に一番大事なことなのです。






【註釈】

*〔註1〕

あえての付言ですが、あきらかに万物自然生命に対して普遍に貴く価値あるもの、すなわち −食物連鎖の愛餐アガペーの中にある全生命たち− と -神・女神・天使・聖使徒の奇し御業− それらの無私の愛・支援・犠牲・戦い・恵みの奇跡に限って言えば、人間がわざわざ自己中心的錯誤によって曇り切ったその程度の低い頭を働かせるまでもなく、ただ素直に純粋に無限の感謝を捧ぐべき対象です。

**〔註2〕

たとえば、私は、私のことを好意的にまとめサイトで取り上げてくださった方々に口でお礼を伝える機会はなくとも、聖なるエノクの天使護符がもたらすのと同等の幸運がその人たちに必ずもたらされますようにと、いつも強くそう天に祈念しています。

***〔註3〕

あと、第四のありがとうとして、上の《感謝の祈り》には含まれない「個別のありがとう」があります。それは自分が個人的にありがとうを言いたい人に対するありがとうです。ただし、その人がもし(上記したような)地球・生命・自然・神・女神にとっての「敵」(破壊者・汚染者・一方的搾取者)である場合は、形だけの台詞としての(言葉の上だけの)ありがとうは言ってもいいですが、そこに決して心を込めてはいけません。心を込めれば、その人も「共犯の仲間」ということになるからです。