天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

「いただきます」についての話

2015-01-04 22:32:31 | 日記

私はごはんを食べるとき、「いただきます」は言わないように心がけている。

「いただきます」とは、語源に従えば、自分よりもその食べ物を崇め尊んで自らの上にあげる(=頂く)ということだ。もちろん、そのこと自体は何ら悪いことではなく、この上もなく素晴らしい心根である。しかしである。もし、その食品が農薬や添加物まみれのものだったとしたら? あるいは、私たちのために自らのかけがえのない生命を犠牲に捧げてくれた尊い食材たちへの感謝と敬意の念も無い、いい加減な調理者によって適当に作られた美味しくないものだったとしたら?

「いただきます」と言ってしまった人は、イコールそれらの毒以下の存在であり、同時に、それらの毒を本来は尊きはずの食材に混ぜ込みその聖性を穢した悪しき人間以下の存在ということになる。

だから私は「いただきます」の代わりに、実際に食べてみて美味しかったら「美味しい!」と、何かの原因で不味かったら「不味い」と言うようにしている。そして、自分の食べたものが前者であった場合に限り、食べ終わった時に「ごちそうさま」と言う。もし不味いものを食べた後に「ごちそうさま」と言おうものなら…その人はただの嘘付きということになるだけだ。

「食」というのは、言うまでもなく、人間を含むあらゆる生命体にとって最も重要な営みの1つだろう。そのあまりに重要すぎる場で、「いただきます」に代表される「実質を供えぬ決まり文句」を無思考のまま受け入れ、それを常套句として日々おうむ返しに繰り返し続けたことが、今日までの日本人を特徴づけるステレオタイプ、つまり実質よりも浅慮さの方が遥かに勝った「上っ面のだけ善良さや行儀の良さ」を培う大きな一因になってきたのではなかろうか。

食に限らず、日々の生活のすべてにおいて、また人生において、真に価値ある実質を自らと世界に求めようと思うなら、いい加減な常套句や定型に自らの脳と心を毒させてはダメだ。

だから私は、これからも、犠牲になった生命たちに心の底の底からの深い敬意と愛を捧げつつも、「いただきます」だけは言わないのである。