ひまわり日記 2

名古屋駅前のフリー雀荘スタッフと店の成長日記
http://ma-janghimawiri.sakura.ne.jp/

でーかな( ´ ▽ ` )ノ

2012-02-12 21:39:42 | Weblog
こんばんは☆
今日もご来店ありがとうございました\(^o^)/

11、12日に行われたバレンタインイベント
みなさん楽しんで頂けましたか?
宝くじの引き換えもやってるので
ぜひぜひ遊びにきて下さい( ^ ^ )/■

そして最近のでーかな、太りましたorz
呑むの好きなんですorz
ダイエットしなきゃ(;´Д`A

そんなこんなで、明日も
ご来店お待ちしてます♪

よーこです

2012-02-12 00:50:47 | Weblog
よーこです。
老いも若きもバレンタイディ。
イエス、バレンタイン。

店頭には多種多様なチョコが並び、その中から選ぶのにも一苦労。

こっちのほうがかわいいかな、あ、これ、ちょっとお酒入ってるんだ、うーん、どうしようかな。
味見なんかしたりして、やだ、ふとっちゃーう。
なんて困ったりどきどきしながら、当日に渡すんですね。


「はっぴぃばれんたいん☆ 自分☆」


・・・というわけで。

自分で自分に渡すなら、わざわざ特別な日をつくる必要なんかないんじゃないか、という結論に至りました。
バレンタインという記念行事は廃止してしまえばいい。

そんな法案が提出されないかなあと夢見る乙女なわたしです、みなさまこんにちは。


さて、そんなふわふわDAYを目前にして、空気もよまず、回想日記などを書いてみます。

去年の8月、タイをぶらついたときの思い出日記です。
チェンマイからバンコクにたどりついたときからのお話です。
ひたすらだらだら長いので、お暇つぶしにお読みください。


***************************************



タイの首都であるバンコクに到着したのは、まだ夜も明けきらない、午前5時のことだった。

辺りは暗く、街灯もろくにない。おそらく街外れに到着したのだろうが、高層ビルが立ち並ぶ都会を想像していたので、思ったより栄えていないんだなと少しばかり拍子抜けした。

この時間帯に到着する客たちを狙って待機していたタクシーの運転手たちが山ほど押し寄せてくる中、さてどうしよう、とわたしは周りを見回した。

乗客たちは、始発の市内バスを待つためだろう、少し離れた道路わきに移動しているグループと、相乗りでタクシーに乗って、目的地まで行こうとするグループに分かれている。
安さを買うならば、そのどちらかのグループに加わればよいのだが、ただ、何しろ疲れていた。

前日歩き通しで、バスにのり、熟睡できないままに10時間ほどのった後なのだ。
できれば楽な方法でいきたいと、試しに近くにいたタクシーの運転手に声をかけてみることにした。

「あの、***ってホテル、知ってます?」
「ああ。350バーツで連れてくよ」

にこにことそう答えてくる。
バーツは三倍すればだいたい日本円に換算できる。つまり、350バーツというのは、日本円にして1000円程度になる。
相場もわからないが、はじめの言い値で承諾するほど素直ではない。

「高い。200バーツ」
「250」
「200」
「……いいよ! じゃあ乗って!」

彼はあっさりと頷くと、口笛でも吹きそうなほど上機嫌で自分のタクシーに案内した。

これはきっとまだまだぼられているだろうな。
実際にタクシーに乗っていたのが20分程度だったのだが、あとから聞いた話によると、どんなに高くても、市内の移動で100バーツすることはないそうだ。

つまりこのときわたしは倍の値段を払っていたのである。
それはおっちゃん上機嫌だわ、と思いながらも、ともかくもわたしは無事、ホテルの前についたのだった。

チェンマイにいるときにネットで予約したこの宿は、今までの旅で泊まった宿からすれば、格段にハイクラスのものだった。

カオサン通りというバンコクでも有名なストリートの中心に位置し、何よりゲストハウス(格安宿)や、ドミトリー(大部屋雑魚寝)でもない、そこはまぎれもなく綺麗なホテルなのだ。
まだできたばかりで、ネットを通した割引価格を適用してもらい、一泊650バーツ(1800円くらい)というお値段。
さっそくチェックインをしようとフロントに向かったわたしに、しかし、カウンターにいたスタッフは、申し訳なさそうに言った。

「申し訳ありませんが、まだ部屋はございません。チェックインできる時間は15時で、今は全室埋まっております」

がーん。

忘れていた、このチェックイン制度。
今まで泊まっていたような安宿では、チェックアウトはともかく、チェックインの時間などあってないようなもので、どれだけ朝早く着こうが、そのまますんなり入ることができた。そんな宿に慣れていたので、すっかり油断していたのだ。

ともかくも荷物は預かってもらえるとのことで、着いたそうそう、わたしはバンコクの街を散策することになったのだった。

とはいえ、まだ夜も明けきらない。
ひとまずわたしは、以前から興味のあった宿、ナットツーGH(ゲストハウス)というところに向かうことにした。

日本人バックパッカーたちの御用達として有名な宿で、次回バンコクにきたときのために下見をしておこうと思ったのだ。

この宿は、ぱっと見年季のはいった様子だったが、実際中に入ってみるとかなりしっかりと年季が入っている。
値段は確かに安いのだが、中身の方はといえば、なるほど相応の部屋である。

狭い部屋に、簡素なベッドがぽつんとひとつおいてあるだけで、何もないわりに、綺麗ともいいがたい。 その汚れたベッドはいつから置いてあるのか、一体風通しという言葉をどこに忘れてきたのか、疑問はつきない。

何かに似ていると思ったが、なんとなく、牢獄に似ているな、と思った。
寝るだけなら許容範囲というところだろうか。

もっともいい点を挙げれば、立地はよく、スタッフには日本語を話せる人もいるということだろう。
そして実際わたしは、この宿に泊まっていた彼らに情報を聞き、見学に行くのならば、ワット・ポー、ワット・アルンという寺がいいということを教えてもらった。

そうして宿を出た後、さっそくワット・ポーに向かうことにした。

その道の途中、王宮前広場にある、プラ・メー・トラニーという女神像の前を通りがかったとき、一人の中年のタイ人が声をかけてきた。
彼は流暢に英語を操り、女神像の由来をぺらぺらとしゃべりだした。

思わずうろんげに眺めたものだ。
だいたい英語を操り、親切そうに話しかけてくる人は裏がある。
どうせ彼もひとしきり説明したら、ガイド料と称し、いくばくかをせしめようとするのだろう。

変に旅ズレしていたわたしは、そんな風にかわいくないことを思っていたのだが、彼は説明を終えると、これからどこに行くのか、と聞いてきた。

「今は午前だから、今から船にのって観光すれば、本当にいい景色が見ることができるんだけど、どうだい?」
「船、ですか」
「そう。一時間くらい船にのるんだが、自然がいっぱいで、お坊さんたちも見ることができる。マーケットなんかもやっていてね。
ほら、この場所にも船着き場があるんだけど、ここは外国人専用で、ぼったくりなんだ。4000バーツくらいとられる。でも、もっと下流のここ・・・この船着き場からのれば、1700バーツで乗れるんだよ! 
このあたりにきたら、『Long Thai Boat』はどこですか?ってきけばいい。いや、タイ語でいったほうが、ぼられないかな。いいかい、こう言うんだ・・・」

へー、わざわざ、ぼられないようにと注意してくれるんだ。
もしかして、この人はただの親切な人なのかもしれない、と思いつつも、首をふる。

時間があれば彼の言うとおりにしてもよかったが、ただ、今回は急ぎの旅だ。
申し訳ないけれどまたの機会に、と彼にお礼と別れをつげ、そうして再び歩き出し、私は何気なくガイドブックを開いた。
そういえば、彼の言うとおり船での観光のことが乗っていたな、と思いだしたのだ。

ぺらぺらとページをめくると、料金のところには一人1000バーツ程度と書いてある。

先ほどのおっちゃんが言っていた値段よりはるかに安い。
……もしや、だまされかけたいたのかしら。

首をひねったところで、再び声をかけられた。
振り向けば、交差点の角で警備をしているおっちゃんが、わたしを見て手招きをしていた。

「やあ、日本人かい? どこいくんだい?」
「今からワットポー辺りに行こうと思ってて」

そういうと、彼は残念そうに首をふった。

「ワットポーか。今はやってないんだよね」
「え?」
「王宮はね、一週間前に王族が亡くなられてね。今は入れないんだよ。ワットポー、ワットアルンはね、今日はブディストDAYだから、午前中はやってないんだ」
「え、そうなんですか。うわあ、どうしよう……」
「だからね、君はここにいくといい。午前中なら、こっち側のお寺が開いてるんだ。午後は逆に、こっち側がしまって、ワットポーとかがあくから、まずはこっちにいくといいよ。
そう、このお寺と、このお寺と、このお寺・・・それから、ここ。このシルクファクトリー。今日は年に一度、シルクが安い日なんだ。ついてるね、君! とても安く買い物ができるよ。まわるのには、トゥクトゥクを使えばいい。一時間10バーツでチャーターできる。これだけまわるには、4時間くらいかかるけど、40バーツでいけるよ」
「40バーツ? 4時間貸し切って?」
「そうだよ。何ならおれが交渉してやるよ!」

40バーツといえば、120円ほど。
それでチャーターできるのならば、考えるまでもなく、安い。

「えっと……じゃあ、お願いしていいですか?」
「まかせておけ!」

そうして言った通り、おっちゃんはちょうど通りがかったトゥクトゥクを呼び止め、運転手と話し、数か所の目的地と、40バーツの値段を保証してくれたのである。
わたしは運がいいぞ、と思った。

あのままワットポーに行っていたら、無駄足を踏むところだった。
いい人に会えてよかったな、と、うきうきとトゥクトゥクに乗り込む。

それからはじめにまわった二つのお寺は、なかなか見ごたえがあった。
黄金の巨大仏像があるワット・イントラウィハーン、次にまわったタイボクシングのリングがあるお寺では、トゥクトゥクの運転手のおっちゃんに勧められ、ちょっとだけサンドバックに蹴りをいれさせてもらった。

サンドバックは想像以上に固く、調子にのって二度三度蹴っていると、柱の陰から本場のタイボクシングの選手らしきひとか何人か遠巻きで眺めているのに気付き、どうもどうもと手を会わせながら、その寺をあとにする。

昼近くになり、気温は上昇し、トゥクトゥクがでこぼこ道を走るときはもろにその衝撃を受けていたが、見るものすべてが面白く、ぽつりぽつりと通りがかりに名所の名前を言ってくれるおっちゃんに、わたしは笑顔で答えていた。


雲行きが怪しくなりだしたのは、警備員のおっちゃんが強く勧めていた、シルクファクトリーに到着してからのことだった。

はじめの説明では、品数も多く、さまざまなシルク製品が安く買えるというので、てっきり、市場のようなところを想像していたのだが、実際わたしを迎えたのは、冷房のよくきいた高級そうなお店だった。
扉を開けた瞬間、スーツを着たアラブ系の男たちが数人わたしを取り囲み、流暢な英語とともに、カタログを積み上げた。

「何がほしいですか? スーツ? ドレス? これは全部シルクからできています。一着、一万バーツと、とてもお安くて……」

およそ日本円で3万円。
確かにシルクでスーツをつくるとなると、その値段なら安いといえるだろうが、別にほしいわけではないし、そもそもそんなお金もない。
なんとか断って店を出ると、トゥクトゥクのおっちゃんが一枚の紙を差し出してきた。
そこには日本語で、こう書かれていた。

「タイカルチャーセンター(うろ覚え)にいってあげてください。ここに客をつれていくと、運転手はガソリンチケットをもらえます。この場所は値段も安く、ものは確かです。ほしくなければあなたはそこで何も買う必要はありません。ただ、10分くらい中にいてください」

まあどうせ暇だから、とわたしは承知した。
どうせ午後まではワットポーはあいてないのだ。

はたしてついた先は、これが本当に立派で大きな建物で、カルチャーセンターという名にふさわしい場所だった。

はいってすぐ、民族衣装を着て観光大使といった感じのニューハーフがでてきて、冷えた水をサービスしてくれた。
何人ですかときかれ、日本人だと答えると、すぐに日本語の話せるスタッフがやってきて、わたしにぴたりとはりついた。

「あなたはどんな石がすき? ガーネット? アクアマリン? それとも・・・」

どうやらここは宝石市場のようだ。
外国人観光客でけっこうにぎわっていて、わたしは何の疑いもなく、なるほど、観光名所の一つかと思った。

このスタッフはわたしがどこにいくにもつき従い、熱心に話しかけてくる。
飲み物ももらったし、こんなに親切にしてくれるし、無碍に断るのも悪いな、と思いながら、適当にみていると、ひとつ、気にいった石があった。

うす茶色の石で、地味だけれど、なんとなくかわいい。
これは何ですかとたずねると、スターサファイアだという。
光の加減で石の中に星が見えるのだといい、確かに、みてみれば、星のマークが浮かび上がる。

かわいいな、と思い、値段を聞いてみると、1200バーツ。
日本円で3500円程度で、買えない値段ではない。

「うーん、1000バーツなら買いたいけどな」

買えなければそれはそれでいい、と思いながら言っていると、おばさんはすぐに他のひとと相談してくるといってどこかへ行き、戻ってきたときには、満面の笑顔で言ったのである。

「いいでしょう! あなただけですよ!」

それを聞いたとたん。
ちょっと、ん?と思ったのだ。

あなただけですよ、などという、特別感を出したこの言い方。
これって詐欺の常套句じゃないかしら。

石をつつんでもらい、出口に向かいながら、わたしはおそまきながら、疑問に思ったのだ。

外に出て、トゥクトゥクまでもどると、運転手のおっちゃんはどこかに出かけていた。
じりじりと照りつく日差しの中、とりあえず椅子に座り、ガイドブックをぱらぱらとみる。

そうして。

わたしは一人、溜息をはいた。
ガイドブックには、こう書いてあった。

◇王宮やワットポー周辺には、外国人に「今日は特別な行事があるから王宮には入れない」などといって、高級な宝石店や洋服店につれていく詐欺師やトゥクトゥクの運転手が多い。
連れていかれる店もたいがい詐欺まがいの商売。
◇カルチャーセンターと称して連れて行かれた建物は、立派な場所で、外国人観光客もたくさんいたから油断していたら、真っ赤な偽物を掴まされた。建物自体が詐欺。

本を閉じ、わたしは一つ深呼吸をした。
先ほどつつんでもらったつつみをあける。
デザインも、色も、さきほどみたときと何も変わらない。
そっと手で持ち上げ、光にかざす。
そこに星はなかった。

そうするうちに、おっちゃんが戻ってきた。
彼はたどたどしい英語でこういった。

「シルクの、お店いく、いいか? 安い。あなたつれてく。わたしガソリン代もらえる。あなたいやなら買わなくてもいい・・・」
「・・・はあ」

行った先は予想通り、高級そうで、怪しげで、アラブ系なおっさんたちがわんさか寄ってくる店で、入ってすぐ即座に出てきたたわたしに、おっちゃんは再び言ったのである。

「宝石店、いく。いい? あなたつれてく。わたしガソリン代・・・」
「行かない」
「え?」
「もういい。行きたくない。わたしだって時間ないんです」
「・・・え?」

彼はタイ人だ。
英語が通じない。それも当然だ。

ただ、さっきまではいろいろ案内してくれて、写真をとるのを手伝ってくれたりと、お互いのカタコトの英語のコミュニケーションも好ましく思っていたのに、わたしは急にすべてがいやになった。

英語が通じないのも、たどたどしい話も、腹立たしい。
笑いかけるその顔まで、ご機嫌伺いのための卑屈なものに見え、わたしは心がささくれだつのを止めることができなかった。

だまされた、だまされていた、という思いがどうしても心を乱した。
それなのにわたしは、いいひとたちだ、なんて浮かれて。
バカみたいじゃないか。


「いらない。ワットポーにつれていって」
「ここだけ。お願い・・・もうガソリンないんだ・・・」

さっきまでにつれていった店でもう十分もらってるだろう。
思いながらも、悲しげな顔をする彼にしかたなく頷いた。 その顔すら、ごり押しするために作られた顔に見えた。

ただし、このあとはもうどこにも寄らず、絶対ワットポーにつれていって、と言って。

到着した先でスタッフのひとたちは優しく迎えてくれたのだが、わたしはやはり即座に店を出た。

トゥクトゥクにのりこむと、彼はわたしの言葉通り、ワットポーへとつれていったのだが、そこで彼は盛大に置き土産をくれたのである。
約束していた40バーツを払おうと財布を手にしたわたしに、彼は言った。

「200バーツだよ」
「200バーツって、何? ワットポーへの入場料?」
「違う。トゥクトゥク代、200バーツだ」
「……は?」

ふざけんな、と、どなりそうになった。
悔しさと苛立ちがごっちゃになって、それでもそれを押し殺して、低く「なんで?」と尋ねる。
「あなた、はじめに40バーツっていったでしょ。全部ふくめて40バーツって。あなた、頷いたよね」
「だって。俺はここまでにあなたをとてもケアしたじゃないか。」

ケアしてるのは、どう考えてもこっちだ。
あんたのガソリン代かせぐために行きたくもないところに何件まわった?

「40バーツ。それしか払わない」

財布からとりだした40バーツを渡すと、彼は無言で受け取った。
視線を合わせることもなかった。
わたしは彼から顔をそむけるように歩きだした。

はじめは楽しかったのに。
最後はお礼をいって、笑顔で別れようと思ってたのに。
タイはいい国だなって、思ったのに。

怒りと、悲しみと、悔しさに目の前が暗くなった。

目の前には、ワットポーがあった。
本当だったら、心をはずませながら、この中に入るはずだったのに。

扉の前で50バーツの入場料を払い、わたしはそこに立っていたスタッフに尋ねた。

「今日って午前中やってました?」
「ほら、そこに書いてあるだろう。朝からやってるよ」

壁にはワットポーの営業時間が書いてあり、ですよね、などと意味のないことをつぶやきながら、わたしは一人力なく笑った。
なんだ、はじめから嘘をつかれていたんだ。

ワットポーは、タイ式マッサージの総本山として、また巨大な寝仏があることでも有名な場所だ。
敷地内は広く、見ごたえは充分あるはずなのに、どうしても素直に見ることができなくなっていた。

仏像の前で、どうかこのもやもやがなくなりますように、と祈ってみたりもした。
だまされたと思うから、落ち込むのだ。
受け止めればいいんだ。広い心で。すてきな人間になればいいじゃないか。

・・・ほんと、そんな人間になりたい。

でもわたしはどうあがこうとも小さな人間で、いらいらはずっと続いた。

もし、朝一でここにはいり、そうして見学していたら、とても楽しかっただろう。
その思いがまた、わたしを悲しくさせた。
そうして心は晴れないまま、一応のみどころは見学し、外に出ようとしたときだった。

数人のタイ人の女の子たちが、わたしに声をかけてきた。
全員制服をきて、わたしをみて、きゃっきゃしている。

「あの、日本人ですか?」

たどたどしい日本語。
そうです、と答えると、グループのうちの髪の長い女の子が、一枚の紙を持って、ゆっくりと日本語を話しだした

「わたしたち、***大学で、日本語を勉強している学生です。よければ、ちょっと質問させて頂きたいのですが、お時間あるでしょうか?」
「いいですよ」

わたしは何も考えず、答えていた。
彼女たちの緊張した、だけど嬉しそうなその姿が、かわいいと思った。
中国に留学していた少し前、同じようなことがあったな、と思いだしたのだ。

頷いたわたしに彼女たちは歓声を上げると、ひとりひとり、紙に書いてある質問を読み上げた。

「日本のどこからきましたか?」
「名古屋です」
「Na-Go-Ya・・・なごや・・・で一番有名なものはなんですか?」
「う~ん・・・名古屋城かな。名古屋のお城」
「名古屋のいいところは、なんですか?」
「食べ物がおいしいところ!」


そんな他愛もない質問が終わると、写真を一緒にとってもいいですか?と彼女たちは聞いた。
いいよ、というと、まわりの子たちがまたきゃっきゃと笑い声をあげた。
そうして彼女たちは、「タイで、いい時間をお過ごしください!」といって、明るい空気を残して去って行った。

わたしは心が少し軽くなるのを感じた。
いい子たちだな、と。
タイ、いいところだな、と、単純にも思ったのだった。

ワットポーを出たわたしは、船にのり、川の対岸へと渡った。
次の目的地であるワットアルン。
ここの一番の見どころは、大仏塔で、それを見たとき、わたしは今日はじめて、心から感嘆の声をあげた。

仏塔をささえるように並ぶ石の象たち。
刻まれた仏像。
空と雲を近く感じる、この景色。

壁とさえいえるような急勾配の階段を上り、その下を見下ろしたときの感動は、しみじみと胸を満たした。
わたしはいつか、もう一度ここにくるだろう、と、なぜかそのとき思ったのだった。

そうしてワットアルンを出て、もう一度対岸に渡ったわたしは、ホテルに戻ってようやくチェックインをすることができたのだった。

部屋は予想通り綺麗で、日本でいえばビジネスホテルレベルなのだが、安宿を渡り歩いてきた自分にとっては、王侯貴族なみの部屋に思えた。
白く綺麗なシーツをさわさわと触り、シミひとつない壁や、ゴミひとつ落ちていない床を見ては一人浮かれて踊り、さっそくシャワーを浴びると、ホットシャワーがざかざかと溢れだし、数日ぶりの暖かなシャワーに思わずにんまりと笑っていた。

汗でよごれた服をかえ、化粧をなおし、そうしてわたしは再び外に出た。
向かった先は、トラベルエージェンシー。

ここでわたしは、翌日日本からくる友人たちと同じツアーに申し込んだ。
日本人経営のこの店は、小さいながらも対応がよく、日本語でのフリーマップや、いろいろな情報を教えてもらうことができた。

服などが安く買えるマーケットはありますか、と聞くと、プラナトゥーム市場というところがいいという。

交通手段はバスだというので早速乗り込むと、運転手とは別に、切符うりのおばちゃんがやってきて、目的地は?と言ってきた。
ここで目的地をいい、そこまでの切符の値段を払う。

路線は豊富にあり、値引き交渉をする必要もなく、だまされたり、おかしなところに行ったりもしないバスは、とても便利で安全だった。

さて、プラティナムマーケットは、道から道沿いの建物の中から、すべてがマーケットとなっていて、売っているものは服飾雑貨など多岐に渡り、そして値引き交渉をする必要がないくらい、はじめの初期設定が安かった。
値引きする気まんまんで、このくらいの値段で買おう、と思っていた値段のさらに下の値段をはじめにだされ、驚いたものだ。

そうしてカオサン通りに戻ったのは19時過ぎだった。
ここでようやくわたしは、24時間ぶりにごはんにありついた。

考えてみれば、昨夜、チェンマイからバンコク行きのバスが出発する前に食べた夕食から今まで、ずっと何も食べていなかった。
ココナッツジュースなどで喉はうるおしていたものの、さすがに空腹感があった。

適当に入った店でごはんを食べていると、そこでわたしはSという、日本人の女の子と知り合った。
彼女は酒好きのクラブ好きだというので、誘われるままに一緒にいくことにした。

クラブで二人でお酒を飲んでると、黒のドレスを着た、タイ人の女性がわたしに話しかけてきた。 外国の人と話すのが好きなのよ、という彼女は、ビールをおごってくれると、踊りましょう、とわたしをホールに誘った。
クラブの踊り、というよりは、両手をつないでくるくるまわったりするような踊り方だったが、とにかく彼女はハイテンションで、わたしはくるくるとまわされた。

そんなとき、Sちゃんがちょこちょことわたしに近づいてきて、言ったのだ。

「よーこさん、よーこさん」
「んー?」
「あの、そのひと、たぶん、同性愛者の人ですよ」
「・・・・・お?」
「わたし、今までフィリピンに住んでたんで。タイもけっこうにたような感じなので、そういうの、わかるんです」

この会話は日本語なので、タイ人の彼女はわからない。
しかし確かにそう言われれば、クラブという場所で、女が女に話しかけることはあまりみない。お酒をおごってくれたり、一緒に踊ろうとか誘うのはまあいいとしても……踊るときに恋人つなぎはしない、かもしれない。

「Sちゃん、ちょっと別の店いこうか」

彼女が頷くのを確認して、わたしはタイ人の女性にいった。
もう帰らなければいけない、と。

そうして外に出て、「次にどこに行こうか~」などとSちゃんと話していると、突然うしろから肩をつかまれた。ふりかえると、さっきのタイ人の女性がいた。

「ねえ、どこにとまってるの?」
「え、ええと、Sちゃんと同じところ(嘘だけど)」
「一緒の部屋にとまってるの?」
「そうそう(嘘だけど)」
「・・・・あなたは彼女のボーイフレンドなの?」


わーお!

彼女の背後にいるSちゃんにだけ見えるように、必死にサインする。うんって言って!うんって言って!

Sちゃんが頷くと、彼女はわかったわ、とつぶやくように言った。

「あえて本当にうれしかった!」

ぎゅっとだきしめられて、キスされて、去っていく彼女の後姿に、おお、なんかはじめての体験だ、とわたしは思ったものだ。

同性愛者どうのいうまえに、アグレッシブさが何よりすごい。
同じアジア圏なのに、日本とは違うな、と、そんなことを思った。

そんなしみじみとカルチャーショックを味わいながら、夜は更け。

午前2時くらいにホテルに戻ったわたしは、エアコンをつけ、服をぬぎ、ベッドに倒れこみ、そうして一日のことを思い出す暇もなく、眠りに落ちたのだった。