今日も寒い一日でした。その上花粉症で鼻と喉が痛いし、散々でした。
さて、今日読み終えた本をご紹介
●「ぼくらはみんな生きている ~18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」坪倉優介著 幻冬社刊
作者の坪倉優介さんは1970年に大阪で生まれました。1989年に大阪芸術大学に入学、ここまでは順風満帆な人生でしたが、同年6月5日、帰宅途中に乗っていたスクーターで交通事故に遭います。事故直後から昏睡状態に陥り、十日後にようやく病院のベッドで目を覚ますと、自分の名前以外すべての記憶を失ってしまっていました。家族や友人、恋人のこともすべて記憶にないだけでなく、どうやって食べるのか、寝るのか、トイレに行くことすらも忘れてしまっていました。そんな彼が家族の献身的な介護に支えられながら徐々に新しい自分と向き合いながら一人の青年として自立し、大学院まで進み、卒業後は京都の染工房に就職し、草木染職人として一人立ちするまでの12年間を自らの言葉で綴った手記です。初めは生まれたての赤ん坊も同然だった彼が自力で字を覚え、本を読み、知識を広げていく様子はとても感動的で、ダニエル・キイスの名作「アルジャーノンに花束を」を連想させます。こんな話が本当に起こったことだなんて、まさに事実は小説より奇なりという感じです。それにしても、著者の苦労と人並みならぬ努力には本当に頭が下がります。改めて生きることの意義を考えさせられた一冊でした。
さて、今日読み終えた本をご紹介
●「ぼくらはみんな生きている ~18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」坪倉優介著 幻冬社刊
作者の坪倉優介さんは1970年に大阪で生まれました。1989年に大阪芸術大学に入学、ここまでは順風満帆な人生でしたが、同年6月5日、帰宅途中に乗っていたスクーターで交通事故に遭います。事故直後から昏睡状態に陥り、十日後にようやく病院のベッドで目を覚ますと、自分の名前以外すべての記憶を失ってしまっていました。家族や友人、恋人のこともすべて記憶にないだけでなく、どうやって食べるのか、寝るのか、トイレに行くことすらも忘れてしまっていました。そんな彼が家族の献身的な介護に支えられながら徐々に新しい自分と向き合いながら一人の青年として自立し、大学院まで進み、卒業後は京都の染工房に就職し、草木染職人として一人立ちするまでの12年間を自らの言葉で綴った手記です。初めは生まれたての赤ん坊も同然だった彼が自力で字を覚え、本を読み、知識を広げていく様子はとても感動的で、ダニエル・キイスの名作「アルジャーノンに花束を」を連想させます。こんな話が本当に起こったことだなんて、まさに事実は小説より奇なりという感じです。それにしても、著者の苦労と人並みならぬ努力には本当に頭が下がります。改めて生きることの意義を考えさせられた一冊でした。