天国からの手紙

愛よ届け

( ^o^)ノ勇気だしな

2021年10月13日 15時40分41秒 | 天国からの手紙

故人からのメッセージです。

ですが今回は、ご家族や友人に宛てられたものでは無く

私にいただいた言葉です。それをシェアします。

 

7月に亡くなられた関東在住だった男性で、ご本人は匿名がいいと

言われていますのでお名前は伏せさせていただきます。

 

                    

僕は自分の死因は分からないのだけれど、もうねぇ、今更ねぇ

追求したからどうだって話でしょ。

巷ではPCR陽性とか何とか言われてますけどね、真相はいかなるものかという話ですわ。

僕は君とは面識も何もないけれど、共通の認識があったようで、

知人で共闘していたある人のnoteを通じて、意識が繋がり縁が生まれた。

不可思議なものです、生涯を通じて出会う人とは出逢うとよく言われておりますが

身体が亡くなった後も生涯は続いているようで、出逢うべき人だったんでしょう。

 

僕は君が勿体ないことしているように思えて、

そりゃお節介が過ぎるとは思わなくはないけども、せっかくのご縁です。

 

人は死んだらもう会えなくなる、生きてる人にとってはね。

それをこうしてコネクション出来て、必要な人に伝えられる。

けっこうな特技やと思いますよ。

人は自分の特技を活かして、仕事や生活に役立てるよね。

野球が上手な子は、プロ野球選手になったり草野球や地元野球少年の監督になるし

話が上手な子は、漫談家や講談家になれる。

それと一緒だと思いますよ。得意は活かさなきゃ勿体ない。

山のように居るわけでもない、ならなおさら

引っ込んでる場合やないと思いますけどね。

誰にでも特技がある、何にも持ってないと思う人にも実は有る。

本人がその重要性に気付いてないことが多いよ。

僕は笑いが好きだった。けして恵まれた才能があったわけではないけど

好きで、人よりほんの少し話せた。

頑張れ( ^o^)ノ 君に必要なのは、ほんのちょっとの勇気だ。

 

                   2021年10月13日  記

                  

 

私への心温まる優しいメッセージが嬉しかったのは勿論なのですが、

このメッセージが心に響かれる方が他にも居られるかもしれない

と思い、シェア致しました。

 

 

☆お読み下さった方へ

    

このマーク内の紫文字は故人からのメッセージです

    

茶文字は私自身の言葉です


過ちの告白

2021年04月08日 13時24分17秒 | 天国からの手紙

故人からのメッセージです。

 

                      

私は高層ビルの屋上から飛び降り自殺をしたかったけれど、

会社の屋上は立ち入りが難しかったので、線路を選び投身自殺を図りました。

仕事に疲れ、人に疲れ、人生を儚んでの事でした。

当時の私は、一流と呼ばれる企業に就職したのはいいけれど

バブル期終焉の煽りで、業績を伸ばせなければ無能者の烙印を押すという

重圧と叱責が激しく、女性で有ろうと容赦はなかった。

残業に次ぐ残業と、上司の重圧にクタクタに疲れ切っていた。

華やかなはずの20代、大学時代の知人達はチヤホヤされて要領よく職務をこなし

週末休日を楽しんでいる、なのに私は今日も休日出勤。

いっそのこと会社を辞める?そんなこと出来ない、だって四年大学を卒業できたのは

親が頑張って働き学費を出してくれたお陰、そのお陰で一流企業への就職が叶った。

親類にも優秀な娘だと言ってくれる両親の期待は裏切りたくない。

私はこのまま頑張るしかない、それが親孝行で有り私が生きられる唯一の道だと思い込んでいた。

 

あの日は私の中の何かが壊れていた。

心の痛みが麻痺していた。無意識的に実行してしまった。

 

空虚な想いで死後も現世に留まり続けた。

楽しそうな人達や幸せそうな人達を見かけるたびに私は何をしているのかと、自己嫌悪に陥った。

笑えるよね、死後でも落ち込むんだよ。

 

十数年が過ぎ、そんな私を救い出す光と出逢った。

戻るべき場所に逝き、心や魂が解放されて、身の上話を語っている。

 

どうして今更語る気になったのかというと、両親への贖罪というより

形は違えども、仕事というカテゴリーからの生活費に絶望を覚え、

死にたがっている人々が大勢居ると感じているから。

私の体験が、けして他人に褒められるべきものでは無い私の経験から

何かを感じ取り、もう一度考えを巡らせる機会になるのではないかと思え、

恥ずかしげもなく当時の事を語りました。

働き口さえ失う思いに比べれば、私の過酷だと感じていた労働など贅沢な悩みに聞こえる事でしょう。

甘えた人間に思われても致し方有りません。

私の最大の過ちは、生きる道を他に求めなかったこと

一つのことに縛り、視野をもっと広く持てなかったこと。

私の過ちが、どなたか一人でも命を思い留ませる事に繋がればと願っています。

 

                      1991年 4月 没

                      2021年 4月 記

                        

 

 

☆お読み下さった方へ

    

このマーク内の紫文字は故人からのメッセージです

    

 

 


後悔では済まない

2021年03月07日 11時25分49秒 | 天国からの手紙

故人からのメッセージです。

 

                  

俺は自分を可哀想だとずっと思ってきました。

生きていたときからずっと

親子の仲は最悪、友達は信じてはおけない油断すると足下をすくわれる存在

勉強も苦手、だから学校は拷問に近かった

せめて学業かスポーツが得意だったら、同級生からも一目置かれ

学校という縛られた場所でも有意義に過ごせたかもしれない。

家に帰っても部屋に閉じこもり携帯の画面を見続けるだけ

たまに親が家に居るときは、成績を責められるか、携帯を取り上げようとするか

のどちらかで話すことも無ければ、感謝されたことも無い。

何のために俺は息をしているのだろう

ゲーム依存症だ引きこもりの予備軍だ何だと俺を責め立て

病人だという親にはほとほと嫌気がする。

俺がそんなに嫌いで駄目人間だというのなら、何故産んだ、俺を苦しめるな。

生きていても何も良いこと無い

計画的に生きることが出来ない俺には、夢も無ければ将来のなりたい職業も無い。

無慈悲にも今日もまた休みが終わる、それならばいっそ永久に休みたい。

そう思い突発的に自殺してしまった。

くだらない人生に終止符を打つ、霧のように消えて無くなりたかった。

それなのに俺は意識も感情も有る、無いのは実体。

どういうことなのか理解に苦しんだ、苦しんだ先にまだ苦しみが続く!

この世の仕組みはなんて残酷なんだと呪いそうになっていた。

そう思いかけていた時、どこからか俺を呼ぶ声がして

「こっちだ、こっちにおいで」とずっと語りかけてくる。

仕方なくついて来た。そうしたらここで語る羽目になっている。

俺はどこで間違えたのだろうか

親の責任にして、人生を投げ捨て、実体を失って初めて気付く

食う・寝る・話す、当たり前だったことが出来ない歯がゆさ

当たり前だったことは親が与えてくれた体ありきだった事に今頃気付く。

今はまだ親に感謝を伝えるまでには至ってはいない、けれど過ちに気付いた。

甘ったれていた、学校に行かされていたではなく、行かせて貰っていた。。

閉じこもる部屋を与えてくれたのも親だ。無気力を埋めるために夢中になった

携帯ゲームも親に与えて貰ったものだ。

俺は何一つ自分では産み出してはいない。

それを出来るようになるための時間だったのに、無為に過ごして自分を駄目にしたのは俺だった。

誰の責任でもない、能力不足を理由に諦め怠けていたのは誰でも無い自分だ。

愚かで甘ったれた俺をどうか許して下さい。

ごめんなさい、どうか許して下さい。

 

                   2021年3月 

                    

 

 

お読み下さった方へ

    

このマーク内の紫文字は故人からのメッセージです

    

 

 


父から娘達へ

2021年02月18日 10時00分55秒 | 天国からの手紙

故人からのメッセージです。

 

                           

 

僕は命の終わりを迎え、どうしても娘達に伝えておきたいことが有り

こうして手紙を書き残します。

 

娘の一人は現在22歳、もう一人は19歳です。

僕の年齢は享年52歳、死因は末期の脳まで達した癌

生きることは難しくも、親として子供達に最低限のことは伝えてから逝きたかった。

僕が入院してからは家族の面会も出来なく最後の言葉を交わすことも出来なかった。

入院中ラインビデオ通話で顔を見たり、近況を効くことは出来ても

本当に伝えるべき事はなかなか話せない、そこで死後になってしまったが親として

娘達へ人生の教訓になる様にと願い想いを伝えます。

 

君たちの将来には困難も楽しみや喜びも有ります。

そのどちらも有るからこそ人生だとも云える。かといって困難に向き合うときは苦しいものだ。

君たちは既に父親との早い別れを経験した。大切な家族を失う哀しみを味わった。

この哀しみは、同じ境遇や痛みを抱える人に共感できる、そうしてこその経験。

僕は人に自慢できるほどの優しさは持ち合わせていなかった。

他人に馬鹿にされないよう、教養と学力はつけさせてきたつもりだが、

人生にはそれだけでは味けなく、終わりを迎えるときに後悔してしまう。

これは僕の経験から得た教訓だ。

思い出せる友人や恩師がいる事が人生には必要で、豊かな心持ちになれる。

周囲を敵と見なすより、自分に何かを伝えている、もしくは人生を彩る協力者

と捕らえるかで世の中の見え方は180度変わってくる。

どちらを選ぶともお前達の人生だが、父の経験を糧とするならば、後者を選んでほしい。

あとは、人生のパートナーを選ぶときが来るときの参考にしてほしいのだが、

見た目よりも、心根。そして誠実で在るかが重要だ。当たり前のようで

この誠実という気質は誰しもが持つものでは無い。

よくよく見極め決めてほしい。君たちの幸せ、ひいては孫の幸せのために。

人生は長い、そして一瞬一瞬が選択の連続だ。

どのように生きる、は選べるのだ。

病気になって初めて父はその事に思い至った。

人生の長さは何歳まで長生きしたかではなく、どう選んでどのように生きるかで決まる。

充実した人生であってほしいと願い、父の最後の言葉を伝えます。

 

別れの挨拶を、

これまで家族として過ごせたこと感謝している。

お母さんのことを宜しく頼みます。あまり仲の良い夫婦仲とは言えなかった

かもしれないが、それでも今後のことは案じられる。

僕が優しく出来なかった分を娘達に託します。

身勝手ですまない。

これまでありがとう、さようなら。

 

                    2020年10月 没

                    2021年2月18日 記

                      

 

 

 

☆お読み下さった方へ

    

このマーク内の紫文字は故人からのメッセージです

    


心の底から

2020年12月28日 22時00分52秒 | 天国からの手紙

個人からのメッセージです。

 

                  

僕は東京都杉並区に住んでいました、K・Tといいます。

僕は享年52歳、家族構成は妻と24歳になる長男、そして次男がいます。

死因は糖尿病から合併症を引き起こし肺血症で力尽きました。

上の息子はバイトをしながら自分が生涯をかけられる物を探しています、

次男は大学3年生、小遣いは自分で稼ぎ大学生を謳歌していました。

大黒柱とはいえ、妻も正社員で働いておりますので、家計は安定している方です。

それなのにわざわざメッセージを残すほどなのかと思われるでしょうが、

どうしても詫びておかなければならない事がありまして、伝えております。

 

既に承知で憤慨していることを承知している。

どこから謝れば良いのか悩む、僕という男は我が儘で欲張りでありました。

大切な人が一人居れば良いものを、我が儘にももう一人大切な人を創ってしまった。

そこを諦めなければと、何度も何度も自責の念から、手放すべきで在ると

自身に言い聞かせていたが、とうとう出来ずに終わってしまった。

そちらの家族を造ることは人道にも反する行為で、

何よりも君を傷つけ悲しませてしまい申し訳なく思う。

手を引こうとするのが二歩遅く、血を分けた子を放り出すことも出来ず

二重の生活を繰り返してしまった。

何を言おうと言訳にしかならず、悔いていることが伝わるとも思えないが

詫びずには居られない。自己満足だとそしられようと、そのそしりも受け入れる覚悟だ。

僕という人間の浅ましさが、死後露呈することが何より恐ろしかった。

罪は全て僕に在る

君には何の落ち度もない

喧嘩も罵りも死後では受けられずに狡く思うだろうが、罵られていた方がむしろ心は落ち着けていたであろう、そのくらい自責に苛まれている。

懺悔だけすれば赦されるなどと思うわけではなく、ただ心より謝りたい。

不快な思いを味わせてごめん

普通に家族を送り出すだけでも大変であるのに、ショックを与えてごめんなさい

負担をかけてごめんなさい

恨まれても憎まれても致し方ないと思う。子供達の呆れ顔が罪状の重さを知らしめる。

無責任にも早死にして申し訳なかった。

責任が取れないことを君に押しつけて悪かった申し訳ない。

自慢の夫で有り善い父親ではなかった事を皆に謝ります。

 

                        2020年2月 没

                           12月 謝罪文記

                    

 

 

☆お読み下さった方へ

    

このマーク内の紫文字は個人からのメッセージです