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比較日本研究

比較日本研究会の活動報告。日本の政治・思想の研究。日本の政治・社会状況に対し平和の視座から発言。社会の逆回転に歯止めを。

ぐぁんばれ、ホリエモン

2005-02-25 15:10:51 | 最近のニュースから
 ライブドアとフジテレビの株争奪戦が毎日、NHKニュースのトップを続けている。いよいよ、ライブドアの提訴で法廷勝負に持ち込まれた。
 このマネーゲーム戦争の行方の持つ意味は???

結論は、残念ながらライブドア、ホリエモンが無惨に門前払いを喰わされて負けるのではないか。
 法廷に持ち込んでしまえば、仮に東京地裁の一審でライブドアが勝つことがあっても、東京高裁、特別抗告で最高裁にたどり着けば、理由なんかどうにでもなる、最高裁はフジテレビに軍配をあげてしまうのは、もう戦う前からわかってしまったことだろう。
 なぜかって??フジ、産経グループはなにしろ、いまをときめく極右言論リーダーの牙城。あの極右・安倍晋三先生御用達の媒体なのだから、財界、自民党あげてライブドアたたきの環境を作り上げている。その上で、法廷に持ち込めばこっちのもの。怒れる若者などに右翼ジャーナリズムを牛耳られてたまるかとよってたかって、たたきつぶすことで決着するだろう。

 ライブドアは相手が何者であるか、わかっていない
 まるでノンポリの結晶のようなホリエモンは、フジテレビをただ面白い、低俗な局としてしかみてこなかった、そのおめでたさが命取りになりそうでハラハラするが、なんとかがんばってもらいたいものである。
 面白いのは、兜町の投資家やトレーダー達で株の世界は金が唯一の合理主義が徹底しているから、圧倒的にフジテレビ側が禁じ手を使った、違法だで見方はまとまっていてライブドアの華麗なTOB(実質上)作戦を賞賛している。

 所詮は、日本に、市場にゆだねる自由主義などまるでないのだ。
 ついこの間までは、アメリカ帝国に踊らされて日本でも市場主義に経済は変わらなければならない、など大合唱して、実力主義の声をあげては社員の給与切り下げに奔走してきた企業各社。日本商工会議所会頭がまず、“金だけで動かす”ライブドア批判をぶち上げ、財界首脳は次々に堀江批判を続けてきた。一方、フジテレビのトップは、報道の公共性など産経新聞、フジテレビの日頃の偏向を忘れたかのような理屈で正義の被害者面をしているが、上場会社なら株の買い占めで企業支配を狙われる可能性があるのは当然だということを忘れているのではないか。これまで、上場会社でありながら、にっぽん放送の子会社に安住して、安上がりの経営をだらだら続け、なんら株対策をしてこなかった経営者義務放棄を忘れたかのような言辞を弄し続けている。買い占めがいやなら、安定株主で十分な持ち株比率を確保すればいい。それがいやなら上場を取り消して非公開会社にすれば事足りる。
 そうした対策を今日までなにもおこなわないで、ライブドアに問題があるかのような財界、自民党右派、そしてNHK(朝日問題で産経にだいぶ恩義があるからか)の、堀江封じキャンペーンは、この国は結局資本主義にはなじめない社会であると、改めて世界に公表しているようなものである。
 記憶が定かでないが、何年か前にもソフトバンクの孫とマードック連合が衛星TV局を買収した。テレビ朝日の筆頭株主にもなったのではなかったか?そのとき、今回のように財界、政界(自民党右派)が、報道機関株の買い占め規制などと奇声を上げたようには思えない。やはり産経グループだから、大騒ぎをしているに他ならない。

 がんばれ、ホリエモン
 いつもTシャツでカメラの前にたつホリエモン、プロ野球でも門前払いをくらったが、そのとき朝日新聞(日曜版)のインタビューで「お金で買えないものなどあるのですか?」と嘯いて、世の大人の顰蹙を買ったが、あれから数ヶ月、金を持ってしても最高裁は買えない、保守・反動に刃向かってはこの国では経済活動すら許されないことを、思い知らされるのではないだろうか。
 古い映画だが、イージーライダーが保守的な土地柄でただその服装だけを理由に射殺されてしまう・・・結末を思い出す、ここのところの狂騒曲である。(憂々の里)

こんなことで逮捕するのか・・・俳優・萩原健一恐喝未遂

2005-02-11 16:41:48 | 最近のニュースから
 数日前、俳優・萩原健一が映画制作上、いざこざからプロデューサーを恐喝しようとしたとして、警察が萩原を同容疑で逮捕した。
 報道によると、出演料をめぐるトラブルで萩原は途中降板を命じられ、未払いギャラを巡って、萩原がプロデューサーの携帯電話に電話して、留守録音で暴力団の名もだして脅したというもの。
 1.詳細はわからないが、報道(警察発表)にあるように、一度携帯留守録に脅し文句を言っただけで恐喝未遂で逮捕できるのか。しかも事件?はかなり前の話。であれば百歩譲っても書類送検して済む内容である。逮捕理由として証拠隠滅の恐れというが、警察の職権乱用はなはだしいではないか。
 2.そもそも内容をみると事件?は、民事上のもめごとにすぎないではないか。“警察は民事不介入”の大原則はいったいどこへ行ってしまったのか。
 3.この事件では、もうひとつ重大な問題が浮き彫りになった。TVのワイドショーは長時間このニュースを特集報道(報道の名で呼んでいいかどうか)したが、上記の根本問題に言及した番組は知る限りなかったようだ。ただ、警察発表をそのまま尾ひれはひれをつけて、こと大げさに検事気取りのコメントをながす芸能ジャーナリストたち。
 新聞報道でも、記事扱いは別として一列に並んで警察発表記事を載せるだけで、逮捕そのものへの疑問を書いた新聞は見当たらなかった。報道も警察とぐるになっているではないか。こうして「状況有罪」世論をどんどん作り上げている。
 
 この逮捕事件(逮捕の方が恐喝未遂とやらよりもよほど重大な事件だ)で思い出すのは、TBSのニュースショー番組のテロップが間違っていたという問題で、極右・石原東京都知事がTBSを相手に名誉毀損で刑事告発をした事件?。TBSは番組後すぐ訂正し、同知事に謝罪もしたがそれを受け入れず告発したもの。
 これが刑事事件だろうか。とんでもない。民事上のミスと訂正の問題に過ぎない。
 ところが東京地検は、TBSの担当者を刑事事件の被疑者として書類送検してしまった。相手が極右知事だとこういう、小さな民事上のことにまで、いまでは警察・検察がすぐ動いて脅しをかける。
 イラク派兵反対ビラを投函すると、住居侵入で逮捕、長期拘留はやる。やりたい放題である。その一方で、全国都道府県警察本部ぐるみの公金横領疑惑には、証人警察官がでてきて証拠をつきつけられても、誰一人詐欺罪、公文書偽造・行使罪で逮捕はおろか、処分すらされない。居直り続けている。
 いろんな場面で市民は、ほんとうにいやな世相だと言い合うのが挨拶言葉になるこのごろである。(憂々の里)

喜んでばかりもいられない

2005-01-08 18:38:25 | 最近のニュースから
今朝の朝日は、1面トップ、社会面トップ、社説で 投稿者:憂憂の里から  投稿日:12月17日(金)08時34分31秒

 立川の反戦ビラ逮捕の無罪判決について、12月17日朝日新聞は一面トップ、社会面もトップさらに社説でも。
 扱いにこの国の転落を防止したいとの思いが伝わってくる。また内容も穏当なものであった。
 しかし、一方、朝のTVニュース、ニュースショーは、あちこち見て回ったが、どの局もまったく無視したままだった。公共放送もまるで知らん顔である。
 他紙の扱いは、まだみないのでわからないが、ジャーナリズムの変容度合いもこれで底がみえてくる思いである。
 あのころは、まだ司法も気概があり、それを大きく取り上げる新聞もあった・・・・・と回顧しないですむ社会であり続けるだろうか。



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喜んでばかりもいられない 投稿者:憂憂の里から  投稿日:12月16日(木)21時00分53秒

下のように、まずは全面無罪で、検察の横暴を手厳しく批判した判決です。
が、もともと公安当局も検察も、有罪になればもうけもの・・・程度に考えていたはずだ。
それよりも、やれば75日も有無をいわさずに逮捕・拘禁をやるぞ!!!と、見せしめにした
効果は深く浸透していくはずである。
そして、あとは放っておいても自主規制して、反対表明も権力に刃向かうことも下火になっていく。
それをねらってのことだったろうから、十分成果はあげてしまったのではないか。
あの「拉致」問題と制裁で、異論は国中どこにもないかのような、挙国一致ぶりの報道をみれば十分でしょう。

無罪

2005-01-08 18:36:44 | 最近のニュースから
無罪 投稿者:憂憂の里から  投稿日:12月16日(木)20時51分7秒

アサヒコム(朝日新聞ネットニュース)の速報をとりあえず、転載しておきます。
夕刊にも載らず、TVニュースは当然無視。
ようやく、ネットニュースに載りました。

・・・
反戦ビラ訴訟、3被告に無罪 地裁八王子支部
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 東京都立川市の防衛庁官舎に立ち入り、自衛隊のイラク派遣反対を訴えるビラを入れたとして、住居侵入の罪に問われた市民団体の3被告について、東京地裁八王子支部は16日、全員に無罪判決(求刑はいずれも懲役6カ月)を言い渡した。長谷川憲一裁判長は「住民のプライバシー侵害の程度は低く、ビラ入れが憲法で保障された政治的表現活動の一つとして民主主義社会の根幹をなすことを考えれば、刑事罰に値するほどの違法性はない」と述べた。

 ビラ入れのために他人の敷地に入る行為は、刑事罰を科すほどの違法性があるのか▽それが表現の自由を保障した憲法とのかねあいでどう評価されるか――が裁判の争点になった。

 判決はまず、3人が無断で官舎に立ち入ったことについて、「住民らの意思に反しており、住居侵入罪を構成する要件にあたる」と判断。そのうえで、「たとえ要件を満たしても、動機や行為の態様、被害の程度などを考えたときに、違法性が低く犯罪が成立しない場合もある」と言及した。

 これを踏まえて、判決は3人の行為を検討。(1)自衛隊のイラク派遣に関する見解を伝えるという動機は政治的意見の表明として正当(2)訪問販売や勧誘行為などと比べ、居住者が被る迷惑は少ない(3)住民の被害感情を考えても被害の程度は低い――と指摘した。

 さらに判決は、「ビラ入れは政治的表現の一つで、商業的宣伝ビラの配布に比べて優越的な地位にある。それなのに、正式な抗議や警告といった事前連絡もせずいきなり検挙し、刑事責任を問うのは憲法の趣旨から疑問だ」と批判。「刑事罰を科す程度の違法性はない」と結論づけた。

(12/16 20:22)

今日、この国が民主社会に踏みとどまれるかどうか、分水嶺になる

2005-01-08 18:35:34 | 最近のニュースから
今日、この国が民主社会に踏みとどまれるかどうか、分水嶺になる 投稿者:憂憂の里から  投稿日:12月16日(木)09時38分28秒

今日、2004年12月16日、まもなく1件の微罪(にすらならない容疑)で逮捕、長期拘留された裁判の一審判決がおりる。
今年1月、2月の二回にわたって、立川市の市民団体3名が、同市の自衛隊官舎郵便受けに「自衛隊イラク派遣反対」ビラを投函したことで、「住居侵入」の罪で逮捕、拘留された。
この事件からまもなく私は日本を長期間離れたため気になりながらもその後を知らなかった。
12月14日朝日新聞で「表現の自由 どう判断」の見出しで、今日16日にその事件の判決が東京地裁立川支部でだされるとの報じられて今日のことを知ったわけである。
 同記事によると、逮捕後、75日もの長期拘留をしたという。
 また、被害届をだした官舎住民は警察が被害届をあらかじめ用意して署名だけ求めにきたことを正直に証言した。その警察捜査官の多くは、刑事部でなく公安部だった。
 さらに、検察は被告が新左翼と活動家と「共闘」していることを主張して公安警察官を承認申請したが、裁判官から「思想を裁くのではない」と却下されたともいう。
 これは明らかに「住居侵入」という微罪の有無、是非を問う裁判ではない。もし、これが有罪になるようなら、この日を境にここまで進んできた“戦前化”状況が、雪崩を打って歯止めも一切なくす“一億一心”体制の仕上げにまで向かってしまうだろう。
 公安警察は、この手口をみても戦前の特高警察そのものではないか。前述の証人申請には検察の正直な逮捕意図があらわである。彼らはそれを隠そうともしない。非国民的な思想は当然犯罪だと確信して堂々とだしているわけだ。そこまで進んでしまっているのである。
 それを第一審とはいえ、司法が追認して、怖いものなしの環境に一気にしてしまうのか、せめてもの歯止めをかけて民主社会に踏みとどまろうとするのか、今日は重大な分岐点であると思う。

 それにしても、昨今、権力者によるあからさまな“見せしめ”弾圧が露骨すぎはしないか。一方で権力側の無責任、やりたい放題とのアンバランスは極限に近づきすぎていないか。
 思えば、国会で「疑惑の総合商社」など派手に大向こうをわかせた社民党の辻本清美が秘書給与搾取の詐欺罪で逮捕、議員辞職に追い込まれたのは、ヤクザ映画に出てくる場面「いい気になりすぎている、若いもんに少し焼きを入れさせよう」の光景そのものだったではないか。
 詐欺というけれど、貧しい事務所、一人分の秘書給与をみんなで分け合ってけなげに活動していただけだったとわかったのは、もうニュースにもならなくなった、逮捕から数ヶ月もたってからだった。実質的にそれは詐欺でも何でもない、形式犯に過ぎなかった。
 一方、週刊誌が探し当てた、小泉純一郎の姉の秘書給与搾取疑惑。首相の実姉が離婚後独身を続ける総理のみそ汁を毎日作っているとの記事・・・その人に国費から1000数百万の公設秘書給与が支払われていた(いまも続いている)問題だった。このケースはうやむやで不問に付された。なぜか、国費給与はすべて姉に支払われ、他に振り向けられた形跡はないからだ。
 金持ちだから他に用立てる必要など最初からないのは当たり前である。問題は秘書給与が秘書の職務をしたかどうかなどどうでもいい、とされてしまった。これほど形式と本質が逆転した事件もなかった。
 北海道警をはじめ全国の警察本部は、組織ぐるみで億単位の詐欺を継続して働いてきたことが、次々に露見している。しかし、ひとりの警察幹部も逮捕はおろか処分すらされていない。辻本詐欺事件、ビラを郵便受けに入れただけで逮捕75日の留置場・・・と、どう整合性を見いだせようか。
 いまは、自民党の派閥トップにヤミ献金(賄賂そのものではないか)1億円が振り込まれた事件が耳新しい。が、これも事実は確認できたのに、不問に付そうと政治も検察もやっきである。
 
今日、まもなく下される判決ははたして、どうであろうか。
 


小泉総理の靖国参拝、違憲判決のこと

2005-01-08 18:25:02 | 最近のニュースから

 4月7日、小泉首相の靖国参拝が政教分離を定めた憲法に反するかどうかについて争われていた福岡地裁の訴訟で、同地裁は「参拝は公的なもので、憲法で禁止された宗教的活動にあたる」とした。
 小泉氏は「私が首相である限り毎年参拝する気持ちに変わりはない」と靖国参拝の既成事実化を図ってきたが福岡地裁はその既成事実化に厳しく警告をした。判決で小泉氏の参拝を「あえて自己の信念あるいは政治的意図に基づいて行った宗教活動」と明言し、各地の下級審が憲法判断を避けて門前払いしてきたなかで「裁判所が判断を回避すれば、今後も同様の行為がなされる可能性が高く、違憲性を判断することは自らの責務」とまで述べて、正面から取り組む姿勢を示した。

小泉氏は16回も「分からない」
 翌日のスポーツ紙によると、この判決の感想を求められた小泉氏は16回も「わからない」を繰り返したという。なにがわからないのかがわからないが、16回とは虚をつかれて動転したことを如実に物語っているのかもしれない。しかしこの判決は憲法の空洞化にひとつの歯止めかけたとも言い切れない。というのは、訴訟の本旨で損害賠償は否認されており、法律的にはこの違憲説明は単に裁判官の意見に過ぎず法的拘束力は皆無だからである。

靖国参拝はなぜ問題なのか
 小泉総理は判決へのコメントを求められ、伊勢神宮にも参拝しているのになぜ違憲だと言わないんだと八つ当たりしたそうだが、小泉氏の歴史認識、憲法認識のお粗末さがこの中に盛り込まれている。まずなぜ伊勢神宮参拝への違憲判断がなされないのかだが、そういう訴訟を起こしたわけでないので、判決で訴訟以外のことに言及するはずが元々ないからである。そういう訴訟の基本についての理解も小泉氏は持ち合わせないのである。
 そして、ではなぜ各地で靖国参拝訴訟を起こしている原告らが正月の伊勢神宮参拝に対して違憲訴訟を起こしていないかであるが、想像するに純法律的にはやはりこれも憲法違反であることには違いないように思われる。しかし、誰も訴訟にまで訴えたことはない(と思われる)。
 これにも二つの理由がありそうである。
 その第一は、伊勢神宮に参拝することが政治的、社会的に放置できないような重大な弊害を招来していないとの判断があるからではないか。実害がないことに目くじらたてるのもどんなもんかという大人の判断と言って良いかもしれない。
 そして第二、いまひとつは事の善し悪しはさておいて、戦後社会でも年を追って天皇問題は社会的、政治的に重苦しいタブーになってきた。それはもはや戦前の「恐れ多くも天皇陛下にあらせられましては・・・・」と言い始めた途端、全員が直立不動に姿勢をただして競って監視のチェックを逃れてしまう・・・に近づいている。伊勢神宮はいわば天皇家の氏神様で全国の神社の総元締めの神社だからこれを正面から取り上げるのは、恐れ多くも相当の覚悟がなければ果たし得ない、そういう事情もあるやもしれない。
 さて、本論に戻って小泉氏は3月末頃のTVニュースショー(「サンデーモーニング」)に出演し、司会の田原総一郎の質問に答えて、靖国参拝に外国からとやかく言われるのは心外で内政干渉もはなはだしい。日本の伝統に従って素朴な気持ちから戦没者の冥福を祈るそのどこが問題なのかわからないと居直ったという。
 TVニュースでそれを見たのだが、毎度ながらこの国のTVニュースの問題は、この小泉氏の発言部分だけを繰り返し流して、それに対する疑問やさらなる追求は一切行わないことである。
 こういう一方的なPR的コメントの垂れ流しを聞いているとなるほどそういうものかとつい頷きたくなるような仕立て方なのである。しかし、知ってか知らないでか、小泉氏の靖国論はなにからなにまでごまかしに塗り込められていることを要約しておかねばならない。
 1.まず、我が国の伝統的な祖先崇拝・・・の神社と靖国神社はまったくその出自が異なっていることだ。民族的伝統などではあり得ない。靖国神社は、その元は明治2年に政府によって作られた招魂社を明治12年に別格官幣社靖国神社と改めて、陸海軍省が直轄で管理・運営した国策神社である。つまりここに国家神道が歩き始めた。大村益次郎が戊申戦争の戦死兵士(官軍)をまつることで東京招魂社を建立したのに発する。全国の招魂社、護国神社は靖国神社の末社である。つまり戦死兵士だけをまつる軍事神社なのである。
 2.この靖国神社が「死んだら靖国で会おう」という台詞(どこまでこれが兵士の本音・真実であったかは別として)からも見て取れるように、日露戦争以後アジア・太平洋戦争に至る軍国主義の象徴として君臨した厳然たる歴史的事実がある。
 嘘だと思うなら靖国神社に行って併設されている記念館を訪ねてみるがいい。そこでは1945年の敗戦と反省などどこにあるかという如く戦前そのままに軍国日本を鼓舞している。その延長にA級戦犯の合祀も強硬されたわけである。
 つまり、日本は解釈の少々の違いはあっても朝鮮半島や中国大陸に軍事侵略を行い、中国だけでも1000万人を超える戦争の犠牲者を生んできた消すことのできない事実がある。その敗戦までの日本の侵略の象徴が靖国神社なのである。そういう日本に対して、戦後、中国はいち早く捕虜になった兵士を本国に帰してくれ、戦争賠償も要求せず国家・政府と日本国民とを分けて見てくれた。それに対して二度と戦争をアジアに仕掛けてはならない、不戦を誓わなければならない。その証として軍備を放棄し民族として約束をしてきたのである。
 そういう重い歴史の事実を一方的に反故にして、素朴な戦没者への鎮魂の気持ちなどと嘯いても通用するわけがない。
 小泉氏は靖国神社への参拝を戦没者への感謝というが、祭られているのは“戦没者”ではない。“戦没兵士”だけである。東京大空襲でアメリカの無差別爆撃で殺された十数万人の非戦闘員、老人、女性、子供なども含む民間人、全国の戦没者、当然原爆の被爆犠牲者などは一人もそこには含まれない。まして、日本軍が殺したあるいは日本で死亡した捕虜や大陸から拉致してきた強制労働者も含まない。あくまで兵士だけの神社である。
 素朴な戦没者の鎮魂を・・・といいながら懸案になったままの、宗教とは一線を画した戦没者墓苑は塩漬けにしたままであることも見逃せないだろう。
 平和憲法の約束は、憲法九条だけではない。憲法の骨格として流れてきたのはアジアの人々に向かっての日本国民の不戦の約束である。
 その約束の証のひとつが、日本国民を軍国主義に駆り立てていった国家神道とその象徴である国家組織・靖国神社への回帰を永遠に封じる歯止めである。歯止めとは国家・政府が宗教に介入することを厳密に封じ、自制する約束なのである。(2004.4.12) 

憲法問題の議論はフェアーな土俵で・・・

2005-01-08 18:23:43 | 最近のニュースから


04年4月1日、日刊工業新聞に、
 「憲法問題 正面から /日商 山口会頭『議論深めていく』/まず来月、勉強会設置」
と題して以下のような内容が載った。

 「山口信夫日本商工会議所・東京商工会議所会頭は31日、04年度から初めて憲法、防衛、教育の3大テーマに取り組む意向を明らかにした。まず、5月にも憲法に関する内部勉強会を設置し、議論を始める。自民党が憲法改正に対する各界の意見をヒアリングすることにしており、これらの状況をみつつ、政策委員会の正式テーマとして取り上げることも検討する。財界もいよいよ憲法改正に向けて動き始めた。」とあった。

 憲法改正に関する議論がタブーでなくなるとともに議論が具体的な政治日程にのってきた。いよいよ、その時が来たと複雑な気持ちでこの記事を読んだ。

 さらに、「自民党の憲法調査会は5月にも改正に向けて論点を整理、学者などからのヒアリングを実施する予定で、その後、財界などからもヒアリングを実施する予定で、その後、財界などからもヒアリング、来年11月の結党50周年大会で自民党案をまとめる方向」と、驚くほど段取りが良く、憲法改正に向けてのスケジュールも具体的である。

 「すでに財界の中では、経済同友会が憲法問題調査会を組織し検討、昨年4月に『国
民的な議論を通じて、早急に憲法改正を実現すべきだ』とする意見書をまとめ、改正
に向け動き出している。」という。
憲法改正に向けての動きがここまで具体化しているとは、ただただ驚くばかりであ
る。
 憲法問題に関する勉強会を設置することも、国民的な議論の俎上に乗せていくことも、民主主義の国である以上決して妨げることは出来ないと思う。いつまでも、憲法問題に関する議論に封印しタブーとし続けることも出来ないと思う。
ただ、『国民的な議論を通じて・・・』というのであれば、国民の誰もが議論に参加
できるよう国民に対して十分な情報が提供されているのだろうか。
憲法問題に関する議論とはいったい何かという基本的なコンセンサスが出来た上での
『国民的な議論』が展開されるのだろうか。
はなはだ疑問である。
憲法改正とは、「戦争放棄と交戦権の否認を定めた憲法第9条を改正する。」と同義語であるという本質が、隠蔽された上で議論が進んでいくような気がする。そして、自分の仲間や、子供の世代、孫の世代が戦争によって「人を殺した入り殺されたり」「傷つけたり傷つけられたり」するようになるという国民的なイマジネーションが欠如した状態で議論が進んでいるのではと危惧する。マスコミもこのような本質を理解しないままに報道を流し続けるとすれば、その責任は重大である。このような本質を理解した上で故意に 憲法第9条が議論の俎上となっていることをオブラートに包んでいるとしたらそれは犯罪であると考える。(04.4.2 

アジアからみた平和憲法の意味

2005-01-08 18:22:04 | 最近のニュースから


04年3月30日、朝日朝刊の「声」欄に、
 アジアに約束  わが平和憲法
と題して以下のような内容が載った。投稿したのは76才の東京都・町田市の端山好和さん(無職)。
これを読んで、日本国内の議論は内輪の論理が多いと意識してきたつもりだったが、まさしく私の憲法観もその域を一歩もでていなかったと知らされた。
 
 イラク戦争開始1周年にあたる20日、早稲田大学・国際会議場で開かれた青年法律家協会の人権研究交流集会「いま平和の創造力を!」でのこと。パネリストの一人、韓国の若手弁護士李正姫さんが「日本国憲法は日本人だけのものではない。日本が今後、アジアに戦争を仕掛け、侵略しないと約束した文書である」と語った。
 端山さんはその言葉を聞きながら、彼女はこれに続く言葉「勝手に改悪されてたまるか」を飲み込んでしまったのだろうと思った・・・・とある。そして、憲法制定から半世紀以上たったが、憲法が私たちの「不戦の誓い」であると強固に意識してきたが、「アジアへの約束」という言葉を描いたことはなかったと述べている。
 
 平和憲法への支持、「護憲」を一国平和主義だと改悪派は愚弄するが、この発言を知って、改憲こそ一国勝手主義に他ならないと強く知ったのだった。(2004年3月30日)

イラク邦人誘拐事件が教えるもの

2005-01-08 18:19:00 | 最近のニュースから

 今朝(4月11日)一番のニュースは、去る8日イラクで日本人フリージャーナリストとNPO活動家二人の計3人が武装集団に誘拐され、3日以内に自衛隊を撤退させないと3人を殺害するとの声明が寄せられた事件で、その期限を迎える今日午前3時過ぎ(日本時間)犯人グループが声明を出し、3人がイラク人のために入国し活動していることがわかったなどを理由に24時間以内に解放するとのこと。
 まだ解放が確認された訳でないので安心はできないが、ひとまず良い方向に向かっているとのことでホッとした。
 この事件発生から丸2日間に起こった日本国内の反応から、もうひとつの状況認識として教えられるものがいくつかあったのでそれを記しておく。

1.NHKの“大本営発表”の虚偽性が余すところなく暴露されてしまった。
 日本政府による自衛隊のイラク派兵の日から、ジャーナリズムは政府発表の自衛隊の動向を逐一ニュースに載せ、それの繰り返しによって国民の自衛隊イラク派兵への違和感をなし崩しに慣らしてきた。新聞社の電話調査では日を追うにつれて「イラク派遣」に賛成が増えていき反対とほぼ同数までその受け止め方は変わってきていた。
 わけても毎日、執拗に繰り返されてきたNHKTVニュースの「今日の自衛隊イラク人道復興支援活動は・・・」は、かつての大本営発表ニュースとはこういうやり方と執拗さで国民の感性を麻痺させていったのかと、しみじみ教えられる思いに暗澹とするのであった。
 まず、あの長たらしい“イラク人道復興支援活動”という表現を、略すことも省くことも絶対に認めず、執拗に繰り返す。それによって、あたかも自衛隊が民間のNPOのように純粋の人道派遣をされているかのような印象をPRし続けてきたことだ。
 その内容は2つに集中されている。まず第一はいかに現地サマワが平和でまた地元民との友好関係が構築されているか、そのイメージ映像をこれまた執拗に繰り返す。今日は学校を自衛隊司令官が訪問して子供たちに学用品を贈って、「ぼくたちが毎日学校に通えるのは兵隊さんのおかげです」(私が幼い頃に覚えていつも歌っていた)を見せてくれる。次の日はサマワの病院を訪問し医師と軍医(医務官と今は呼ぶ)との交流を伝える。さらに次の日はサマワの部族長など有力者との会食を車座になってなごやかに共にしている図。これほどサマワは平穏でまた現地の官民あげての歓迎と友好を築いていることの報道である。そういうときは従軍記者がぴったり寄り添って逐一映像にしているのである。
 第2は、自衛隊隊員のいかに使命に燃え、紳士的で立派な人格の集まりであるか、とても戦争=人殺しなどと無縁の集まりである印象の強烈なこと、奇妙なことにその光景と雰囲気は、朝日新聞が繰り返し報道している“南極越冬隊の今日”と瓜二つである。
 こうした決まり切ったニュース?があれから毎日、日になんども(NHKではかならずトップニュースか準トップ扱い)で繰り返される中で、派遣決定時にはわずか20%もいなかった「派遣賛成者」が50%近くまで着実に伸び続け、いまや堂々と国民に認知されるところまで迫ってきていた。小泉氏の強行して日がたてば何とでもなるものだという笑みがブラウン管の奥から覗くようでさえある。
 8日の3名誘拐事件の発生と「自衛隊の撤退要求」は、これまでNHKと内閣官房が二人三脚で仕立て上げてきた、安全で友好的、人道事業に専念する自衛隊イメージとは根本的に違う現実をイラクからガツンと突きつけられたのである。大本営発表が続けば続くほど、現地戦局と日本国内の戦勝イメージが乖離していったように、小泉内閣が報道操作でいかに世論を操作しようと現実まで塗り替えることはできなかった。
 
2.自衛隊派遣がイラクにもたらしたのは何かを知る
 誘拐グループの正体はわからない。しかし、犯行声明が日本軍(自衛隊)の撤退を強硬に要求している・・・それの意味するところは、政府とNHKが自衛隊をどのように人道復興支援と言いくるめようとしても、その本質は米軍の傀儡軍に過ぎず、米軍の下請けとしての派遣軍の本質そのものまで変わるわけでないことを武装勢力は冷静に見通している、それを余すところなく知らされた。あたかも、事件発生の前日だったか、2,3日前であったか、サマワ派遣軍の自衛隊司令官が、航空自衛隊は米軍部隊の輸送を行っていると記者団に発表したばかりであった。
 イラクの一般市民の目に見えるところではサマワの復旧活動に従事する、しかし目につかないところでは米軍輸送や給油などどうみても米軍と一体化した戦闘行動以外の何ものでもない軍事行動を堂々と行いながら、自衛隊は人道復興支援活動だけと嘯いたところでそういう子供だましの理屈は通用しないと知らされたのである。そればかりか、アラブの友人と思われてきた日本が完全にアメリカの傀儡軍派遣国だと位置づけられたことも証明された。イラク派兵はとんでもない大きな負の遺産を抱え込んだのではなかろうか。

3.小泉氏の人品骨格
 小泉氏の性向というのはずいぶん、素朴でまた正直な一面を持っていることがこの事件で知られた。誘拐された3名の家族は日本政府に自衛隊撤退も含めた人命救助の要請を行い、小泉総理への面会を求めた。しかし小泉氏は、事件発生直後の記者会見で「自衛隊撤退はありえない」とまず明言してから、家族との面会を拒絶した。おやおや。
 イラク事件でようやくニュースの表舞台から退場してしまった例の六本木ヒルズ回転ドア事故の際、6才の男児が回転ドアに挟まれて死亡したと騒ぎが大きくなると、人気取りがなによりの政策課題と信じている?小泉氏はそそくさと花束をもって六本木ヒルズに出向いて献花した。人気の若手歌舞伎俳優が市川海老蔵を襲名披露をすると聞くと国会会期中であっても歌舞伎座に駆けつけて大観衆を前にまたまた「感動した!!」を連発し、返す刀で大リーグ日本開幕戦には始球式に駆けつけていた。
 この人の興味の方向と内容はこの一事に余すところなく示されていると言えないだろうか。

4.誘拐されたのは自業自得か
 誘拐事件が起きてから、これまた世の識者という人たちのコメントが並んでいる。そうした中で危険を承知でいかなくてもいいイラクにでかけたのだから自業自得の所業である(ここまでストレートな表現はしないものの本質はそう)というコメントが散見する。公式にはいわないものの日本政府、外務省の対応のよそよそしさにもそれに通じるものがあるような印象であった。しかし、それはおかしな論理である。
 この冬、関西の大学ワンゲル部の8人パーティが石川、福井県境の標高2000mほどの白山山系の山に登山中、低気圧に伴う大雪で身動きできなくなり遭難信号を発して3,4日大騒動の末全員無事救出された事件があった。あるいは、ヨットで世界一周中の冒険家が救難信号をだすこともある。そうしたときに、もともと不要不急のことで危険なところに敢えて自由意志で出かけていったのだから、場合によっては遭難も覚悟の上だろう。それは自業自得であるから多額の公費を使わせて多くの人に迷惑をかけて救助要請するのはおかしい・・・・というだろうか。残念ながら日本ではかならずそういう議論がでてきて、なぜかわからぬが遭難者や危難に遭った被害者は、ジャーナリズムの前で「世間を騒がせて申し訳ない」と深々と謝罪させられる。誰に向かっての謝罪かわからぬがそういう恭順の姿勢を取らなければ袋だたきにあってしまうのが通例である。
 誘拐されたフリージャーナリストも文字通りの人道活動に従事している人にも、誰も批判をする資格はない。してはならない。危険を知ってなおイラクを世界に知らせ、イラクから離れられず日々生命の危険にさらされながら生きているイラク人に手をさしのべようという人の情熱を抑え込んではならない。
 一方、莫大な資金、武力で支えられている我が「イラク人道復興支援活動」部隊は、この1週間ほどの騒擾状況を見て、ウツボのように塹壕に囲まれた駐屯地の奥深くに隠れてしまい動く気配は皆無である。
(04.4.11)

もうアメリカには行かない

2005-01-08 18:17:17 | 最近のニュースから



 4月3日(土)夕刊トップ(朝日)の、

 米短期滞在 
 指紋と写真撮影 義務化
    9月めど 日本人観光客も

 これには驚かされた。そしてさらに驚いたのは、このニュースがその日の夜のNHKなどTVニュースでは無視されたことだ。週明けのニュースショーも、スポーツしも取り上げなかった(ように思う)。
 これは大きなそして本当にひどいニュースだと思う。
 記事の概略をまず記す。「米国土安全保障省と国務省は2日、テロ対策として米国に入国する外国人に指紋押捺と顔写真の撮影を義務づける『US-VISITプログラム』の対象を拡大し、ビザが免除されている日英独仏など27カ国からの短期滞在者も新たに対象に加える」と発表した。年間400万人を超える日本からの観光客もすべて対象になる。9月までに開始するという。
 これに先立ち、今年1月5日からは、ビザ所有者の入国に同じ内容を義務づけたがそれを全外国人の入国に拡大適用するというものだ。その内容は、入国審査の際、両手の人さし指1本ずつを機械に押しつけて指紋を採り、顔写真も正面と横向きの2枚を取るというもの。
 米国に入国する外国人は、すべて犯罪容疑者扱いするということである。今回拡大したのは1月の実施以降犯罪者や不法入国者ら200人以上を摘発できたので効果的な措置だという理由である。それはそうだろう、よそ者すべてを犯罪容疑者として指紋と顔写真まで取ってしまえば管理者、支配者にこれぐらい好都合なことはない方法であるから。

 まさにブッシュ・ドクトリン・・・・・アメリカに従うか従わないか、世界中を二者択一に区分けして首肯しない者や国には武器で脅しをかけていく、その一直線上の非常にわかりやすい措置をまたひとつ採用したということである。しかし、1月にこれを発表し即実行したとき、世界中でただ一国、ブラジルだけがその不当性を糾弾し、ちょうど有名なリオのカーニバルシーズンであったにもかかわらず、アメリカからのビザ入国者(最大の観光客)だけに、同様に指紋押捺と顔写真を義務づけた。米国人観光客から猛反発を受けたことを覚えている。その後ブラジル政府がその措置を守っているのか、米国の圧力に屈したかは知らない。
 外交の基本ルールは相互主義、互恵主義である。ビザ免除には同様の免除で優遇する。逆に自国民が指紋押捺と顔写真を要求されれば、相手国のパスポート所持者が入国する際、同様の措置をするのもまた当然である。
 であるにもかかわらず、米国と米国人はブラジルの例を持ち出すまでもなく、それが理不尽だと反発する。アメリカはテロ対策のために行うのであるからそれに従うのが当然だ、アメリカは特別だと信じ込んでいる。  日本で狂牛病が発生したとき牛肉生産国アメリカは即座に日本からの牛肉輸入を禁止した。日本がアメリカに牛肉輸出?といぶかる向きもあろうが、ごく少量ではあるが松阪牛や神戸牛など特殊な高級商品をこれまた贅沢な特殊な市場(日本レストランが中心である)向けに輸出してきたのである。これが日本政府の全頭検査実施後も継続されてきている。ところがいよいよアメリカでも狂牛病が発生し、日本の農水省は当然の措置で米国産牛肉の輸入禁止措置に踏み切った。牛丼はどうなる!などのニュースはまだ記憶に新しい。日本政府にしてはなかなか矜持を守った措置であった。それに対して米農務省はかなり強硬に恫喝し、日本が全頭検査を実施して安全を保証した牛肉でない限り輸入再開はできないと応じているが、いまだに米政府は検査実施を拒み、露骨な農水省への非難を繰り返している。米の大手畜産企業が全頭検査の費用負担を拒否し、それを米農務省は代弁して検査不要を説くからである。その一方で数が少ないとはいえ米国政府は日本からの牛肉輸入禁止に触れようとしない。
 アメリカは特別だ、この一国ご都合主義に対して貿易程度なら相互主義の主張もするのだが、こと基本的人権に関わることになると逆に異を唱えることもできず自国民を保護しようとはしないだろう。小泉政府は当然これに何一つ反対も対抗措置もせず、「十分理解できる」としか言わないだろう。

これは米帝国行き詰まりのサインだ
 2週間ほど前、私は所用で数日渡米した。ちょうどスペインのテロ事件直後であったので、航空機での出国、入国は時間がかかるだろうと覚悟しての渡米であったが、成田はいつも通り、特別な手荷物検査はなかった。米国入国もスムーズであった。しかし、米国からの出国(つまり搭乗時)は、この2年間続けられている執拗なものだった。あまり大きな荷物もない私は通常なら機内持ち込みバッグだけでさっさと通過していたのだが、小さくてもセキュリティ・チェックの不快さを避けるために航空会社のカウンターでほとんど預けるようにしている。それでも、ポケットのものを全部トレーに置いても、その上で上着を脱ぎ、ベルトをはずし、靴を脱がされて裸足でセキュリティ・ゲートをくぐる。それでもチェックをするわけでないので、つまり時間がやたらにかかるだけである。これは安全のために協力するが、入国の際にチラとみえるガラス張りのブース内で指紋と写真を撮られる光景は願い下げである。
 これがどれくらいひどいことであるかを想像するには、日本でも住民票登録とともに指紋と顔写真を国民全員に義務づける・・・と考えてみればいい。アメリカでも、自国民全員にそれをまず義務づける法案を議会に提出してどうなるかを見ればわかる。
 先頃犯罪人引き渡し条約に基づいて、アメリカ政府が産業スパイ罪容疑で日本の研究者を引き渡せと求めてきた訴訟で、東京高裁は引き渡しに相当する違法性がないと判決をくだした。事の正否は知らない。しかし、イラクでの所業その他をみても今日の米国政府というものは、国際法も他国の法規もまた人権も、特に有色人種や他宗教国民の人権を尊重するなど到底信じられないから、そういう帝国のかさにかかってくる犯罪容疑者扱いに対しては、君子危うきに近寄らず、今後はこの規定が撤回されない限り米国への入国は願い下げにすることに決めた。
 幸い、私の場合米国の連絡先はこちらが得意先であるからもう米国での会議や打合せは丁寧に事情を説明して(決して理由を曖昧にしない)謝絶する。必要なときは、日本は犯罪容疑者扱いしないだろうからそちらから日本に出向いてくれと求めるつもりである。それがいやなら、インターネット経由だけで進める、それで無理なら業務そのものを他国に振りかえ米国企業との関係をなくしていく。これが日本国民にできるささやかな抵抗だからである。
 業務の必然性というものもあるだろうが、そういう必然性のない観光旅行は、一人でも多くの日本国民がアメリカ旅行を拒絶しブーイングの輪を広げていくことが大切だと考える。ブッシュの一元論に対しては観光客の激減で米観光経済へのボディブローで応えていくことである。
 それにしても、なぜ米国政府はこういう人倫にもとることを、当然であるかのように決め、そして求めるのであろうか。それに対してはテロから米国を守るための有効性と言うだろう。刹那的にはそうであるかもしれないが、その反面、アメリカはさらに孤立し、アメリカ社会の内臓は深く蝕まれていく。いや、もうかなり蝕まれているから苦し紛れに禁じ手にもすぐ手を伸ばしてしまった。米帝国の黄昏を象徴するようなできごとと記憶されると思う。(04.4.7)