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比較日本研究

比較日本研究会の活動報告。日本の政治・思想の研究。日本の政治・社会状況に対し平和の視座から発言。社会の逆回転に歯止めを。

またも愚民政策が始まった

2005-01-08 18:15:42 | 最近のニュースから


 この4月1日(04年)から消費税の表示が総額表示に変更、義務づけられた。これまでは日本では珍しく欧米並みに“外税方式”が採用されてきた。従来のたばこ税、物品税、酒税や揮発油税など物やサービスにかかる税金はどれも内税で、一般消費者はいくらの税金を納めさせられているのかがわからなかった。わからないから愚かな民は税の負担をあまり意識しなくて済み、税の重みも感じなくて済み、税への抵抗も生まれてこない仕組みであった。こうした民を“寄らしむべし、知らしむべからず”を地でいく支配がまかり通っていたところに、消費税だけは外税方式が採用され、初めてものを買ったときその他にいくら税金を取り立てられるかを品物一点ごとに思い知らされる仕組みを持ったのだった。
 これは面倒な方法にも見えるが先進国で例外なくこの方式が採用されるのは、税を否が応にも意識せざるを得ない仕組みだから、市民の税への意識が高まり、納税者の権利意識もそれに応じて定着することでタックスペイヤーたる国民の政治、行政への意識改革につながるといわれてきたからに他ならない。
 その“外税方式”がいともあっさり大した議論にもならず、ジャーナリズムの反対キャンペーンも起こらず、粛々と改悪されてこの4月1日から“総額表示”になったわけである。
 総額表示には4通りのやり方があって、
 1.商品価格と消費税を合計した総額だけを表示する。つまり、完全な内税で税がわからなくなる表示。
 2.総額を表示し、カッコをつけて(内消費税はxxx円)と税額を併記する表示。
 3.総額を表示し、カッコをつけて(内価格xxxx円)と商品価格本体のみを併記する表示。
 4.本体価格xxxx円+消費税xxx円、総額xxxxxx円と明細を表示する方式。
 このいずれでもよいとされた。
 さて、4月1日、この中のどの表示方式になったであろうか。見た限りスーパーなど大型店はどこでも1.の総額だけを表示する内容になっている。それはそうだろう、それが手間が一番少なくて済むからだ。為政者は当然どれでもいいと嘯きながら業者は手間の少ない“総額のみ方式”に収斂していくことを読み抜いていた。だから、どれでも構わないと鷹揚に構えて笑ってみているのである。
 こうして3ヶ月もたてば多くの市民は消費税いくらを今日の買い物から払わされたか意識しなくなるというものだ。
 これまでも、パソコンを購入すると無料でついてきた家計簿ソフトなどは、消費税の扱いがまったくないものがほとんどであった。つまり、一般消費者=納税者が消費税をいくら負担しているかを意識しないように仕向けられてきていたのだが、ここにそれが完成されたわけである。
 ちなみに、会計ソフトでも事業用のものはすべて消費税込みと抜きと使い分けできるように最初から作られていてその店や企業が一日単位、一ヶ月単位、そして年間に合計いくらの消費税を負担したか一目瞭然にわかるようにできている。主婦向けの家計簿ソフトは主婦を愚民化することに効果を発揮してきたわけでもある。

 さて、ではなぜわざわざ消費税の隠蔽方式を強行したのであろうか。当然、税負担を意識させないためであるが、それはなにのためか。まず、近い将来狙っている消費税の段階的(何度もこれから繰り返していくつもり)税率アップ(重税化)への抵抗感をあらかじめなくす地ならしに他ならない。つまりは、国民をさらに愚民化して支配者は好き勝手にやれるようにというためのシステム変更である。年金制度のでたらめさが年々国民の不満の中心課題になってきたのは周知の通りである。しかし、それに対してまじめに修正を根底からやるつもりなどない。そればかりか、その過程でどんどん明らかになってきた、公務員を対象にした共済年金への税の上乗せ、国会議員年金への税の過剰なお手盛りなどはそのままに、さらに社会保険庁職員の年金の使い込み的な横流しも次々に発覚する中で消費税で年金後始末費を、そしていずれは国防費の増額を捻出しようという愚民政策がまた新たになったということである。

もうここまで時代は逆転しているのか

2005-01-08 18:14:11 | 最近のニュースから

 3月4日、朝刊社会面の一番下に載っているベタ記事に気づいた。読んで愕然とした。短い記事だから全文をそのまま紹介しよう。
 
  「不当逮捕」 共産が抗議  社保庁職員逮捕
 「共産党機関誌を配布した東京都内の社会保険庁職員が、国家公務員法(政治的行為の制限)違反容疑で逮捕され、同党千代田地区委員会などが家宅捜索された事件について、同党の市田忠義書記局長は3日、緊急に記者会見し、「休日に居住地で機関紙号外を配布したことを理由に、逮捕、捜索したのは不当だ。厳しく抗議する」と述べた。」


 この記事を読んでこんなことがあり得るのかと愕然とする。
 戦後60年近く、公務員の政治行動制限規定があってもこういう休日の行動を違法だとして逮捕に踏み切ることはなかったと思う。これでは公務員はなにもしてはいけないということだ。もとより、逮捕に踏み切った警察も現場や出先の判断でこんなことをしたとは考えられない。官邸からの指示で動いたと見るべきだろう。これでは戦前の治安維持法以上の、目障りな奴らにはなんでもやっていい、手段など選ぶ必要もないと法治を権力側が堂々と嘯いているとしか言いようがない弾圧である。
 もし、休日に政党のビラを配るのが違法・逮捕に相当するなら、悪名高い総務省(旧郵政省)の特定郵便局を末端組織にした郵政一族の選挙活動はなぜ放置されるのか。総務省だけではない、あらゆる官庁が出身OB官僚候補を支援するために、あらゆる方法を駆使して業界団体、地方の出先機関を利用して繰り広げる選挙活動をどう説明するのか。そういう生真面目な議論をするのが馬鹿馬鹿しいほどに居直った支配者の行動である。
 共産党であろうが、なんであろうが、こういうことを政権党と政府がその権力を笠に着て弾圧に踏み切る社会は暗黒社会を約束するだけである。しかも、絶望するのは、ジャーナリズムがこれをベタ記事にしか取り上げなくなっている、麻痺感覚というか既に支配者に加担してそれを問題にしない体質ができあがってしまったことにある。野党もこれに危機感を感じた様子が見られない。他党の石?とすら思った形跡がない。
 この記事は、このベタ記事だけで忘れられてしまった。
 当然、TVニュースははなからこれを取り上げることなどないし、インターネットのヘッドラインからも脱落する。権力者はそうした世間の無反応を読み切って堂々と実力行使に踏み切ったに違いない。そこに真の暗黒を見てしまうのだ。

  自衛隊官舎にイラク派遣反対ビラ  配布の3人逮捕

 上記の記事に暗澹たる思いにとらわれていると、なんと同じ3月4日夕刊には上記のニュースが今度は3段抜きの見出しで登場した。
 立川市の自衛隊駐屯地に隣接する官舎の郵便受けに「イラク派遣反対」のビラを配布した市民団体のメンバー3人が住居侵入容疑で先月末立川署に逮捕されていたことがわかったという。
 郵便受けは官舎の敷地内にありその郵便受けにビラを入れたのは住居侵入だという理由である。これもとってつけたような別件逮捕に他ならない。これはビラを配布して一ヶ月もたってから市民団体の事務所を捜索して逮捕したという。
 そうか、ファーストフードやリフォームの毎日しつこく投げ込まれるビラも警察に一報すれば次々にこういうお店や業者を家宅捜索して逮捕してくれるのか。
 120歩譲って違法を摘発するとした場合も、逮捕は逃亡や証拠隠滅のおそれがあるからこそ認められる。このビラは堂々と(当たり前だが)事務所の所在地や電話番号など出所を明らかにしたものだという。だとすれば裁判所は上記も含めてこういう類の逮捕状請求をどういう見識で認めたのであろうか。

 おそらく、どちらもジャーナリズムからは忘れられ、数ヶ月、あるいは数年もたってようやく公判は判決を迎えて無罪になるのかもしれない。しかし、有罪が権力者、支配者の狙いではない、こういうオカミにたてつく輩にはなんでもやってやる、みせしめだぞ・・・・・、その劇的な、そしてその粗暴性はいやが上にもそれを人々に強く植え付けていくだろう。
 この2つの逮捕劇は何を我々にもたらすだろうか。その衝撃はイラク派遣決定よりもはるかに大きな、時代の逆回転のターニングポイントの事件として残っていくことになる。私はそう確信した。あのときからもう何も社会に歯止めはきかなくなってしまっていった・・・・・と。
 なぜ、いま支配者たちはこういうファシストそのものの実力行使に踏み切ったろうか。
1.まず、イラク派兵への反対を極度に恐れていたからである。だから毎日、来る日も来る日もNHKには「今日のイラク人道復興支援事業の自衛隊は・・・・」を国民が完全に麻痺するまで繰り返させてきた。反対運動への恫喝。
2.しかし、本当の狙いは逮捕よりも「家宅捜索」にあったのは明らかである。いまの世の中では、戦前のような拷問など使って口を割らせる手間は要らない。いきなり家宅捜索をして、共産党も市民団体もまっさきにパソコンとそれの記録CDROMを押収してしまえばすべてがわかってしまう。活動の名簿も連絡網も、会議の内容も、活動に使われた予算とその出所、これから何をしようと準備し、計画しているか、次に政府のやることにどういう反対活動を展開しようとするのか、なにか知られたら困る(警察ぐるみの詐欺公金横領のように)データを入手してはいないか・・・・・・あげていけばきりがない。市民団体などそういうことへのセキュリティ・ガードは甘いものだから不当だろうが何であろうが、一度逮捕してそれを口実にすべてのデータを入手しようという実力行使、これはもう既定路線なのだろう。かつての電話盗聴など、やっかいで、危ない橋を渡ってそれでいて成果の少ない諜報活動よりも堂々とダンプで殴り込めば簡単だ、そんな論理になってしまった。
3.なぜ、そういう粗暴行動まで踏み切るのか。当然、共産党に対しては、参議院選挙に対する徹底した先制攻撃と活動制限を狙ったのだろう。しかし、本当のさらに先の狙いは、いよいよこれから本格化させる憲法改定作業に先立って、邪魔な活動と組織については徹底的に動きを封じて、叩きつぶしてしまおうということではなかろうか。もうそこまできてしまっている、そんな絶望感にとらわれる昨今である。
 その後の続報はないから、二つの不当逮捕をされた人たちがいまも拘留されたままなのかどうかも私にはわからない。
 そしてなぜ絶望か、これらの事件に真摯に向かおうとするジャーナリズムが皆無になってしまったからである。


















強制連行と拉致は違うのか

2005-01-08 18:11:57 | 最近のニュースから
強制連行と拉致は違うのか

 今朝(04.3.27)の新聞で、朝日はトップで、
   「強制連行 国に賠償命令
        新潟地裁   安全管理、不十分」
の見出しで、第二次大戦中中国から強制連行し、新潟港で強制労働させた中国人男性10人、死亡男性1人の遺族が国と港湾輸送会社「リンコーコーポレーション」に計2億7500万円の損害賠償を求めていた裁判で、新潟地裁は労働者(下線筆者)1人あたり800万円、総額8800万円の支払いを命じた、と報じている。
 戦後60年近く立って、はじめて強制連行後の過酷な労働(下線筆者)についても国の賠償責任を認めた画期的な判決だとある。判決は、消滅時効も、国が敗戦直後に強制連行・労働について詳細な調査をし報告書も作成し全貌を把握していたが戦争責任を逃れるためすべて焼却し、しかもその後一貫して強制連行・労働の事実はなかったと言い張っていたことなどを厳しく批判し時効を認めなかった。
 私はまず、こうした多くの国民が常識として承知していたことが公に認められ被害者への責任を認定するのに戦後も60年近く要したことに、国家理性、会社理性の犯罪性を強く指摘したい。
 第2に、今朝の新聞の“表現”内容について問題を指摘したい。まず、見出しには「強制連行」とある。そして記事中には「労働者」、「過酷な労働」ともある。この「強制連行」とはどういうものであったのか。中国に侵攻した日本軍が無差別に戦闘員でない民間人を捕らえて理由も告げず日本に連れてきて新潟港で強制労働させた。判決では衣服も、食糧も碌に与えず、生きながらえたのが奇跡のような条件で過酷な労働を強いたとある。この「強制連行」とは、北朝鮮の「拉致」とどこが違うのか。まったく同じ極悪な犯罪ではないか。「労働者」は「拉致被害者」ではないのか。労働者とは自ら希望し正当な対価を得て選んだ業務に従事する場合にしか使ってならないはずだ。なぜ拉致被害者と言わずにわざわざ「労働者」と書くのか。そして「過酷な労働」とは強制収容所の“奴隷労働”に他ならないのであって、過酷な労働には違いなくても意味合いは本質的に別種のものである。
 敗戦を終戦と言い換えて、なにがしかの意味の曖昧化を狙った事例を持ち出すまでもなく、この国と報道では日常的にこの“言い換え”がまかり通っている。今朝の新聞はなぜ「拉致」と書かないのであろうか。北朝鮮の信じられないような国家テロ・・・日本人拉致の非道さはあまねく書かれているから繰り返すまでもなかろう。そうした国家による犯罪は決して許してはならないし、黙ってしまったはいけない。北朝鮮の犯罪を世界に訴えなければ容易に解決しないように、同時に日本政府と軍が行ったアジアでの「拉致・・・国家テロ」は口をぬぐって知らん顔では、北朝鮮への怒りがどこまで本物であるか疑われても仕方ないことになりかねない。
 強制連行は、紛れもなく拉致であり、国家テロであることから少しでも印象を薄め、あたかも別次元のことであるかのような報道の欺瞞があまりにも横行し過ぎてはいないか。
 日本人がある日突然、新潟や福井の海浜から連れ去られて行方不明になった・・・・幸い1年前に無事に帰国できた人たちの他にいま8人の安否が気遣われている。そして、他に100名を超えるかもしれない行方不明者リストもあるという。それへの怒りと同時に、日本政府と軍それに荷担した企業がまったく同種の犯罪を犯し、いまもって口裏を合わせて居直っていることにも、北朝鮮に向けるのと同じ怒りと追求を報道は向けなければならない。しかも、当の北朝鮮、韓国からは万単位の民間人をサハリンを含めた日本に拉致してきて、その多数を事実上殺してしまった。そしてその事実を今もって放置しているのであるから。
 われわれ市民は権力に懐疑を持ち続けなければ平和な生活は約束されない。北朝鮮であろうが、日本であろうが、およそ権力、政府というものの反道徳性を許してはならないのである。それに荷担して、なし崩しに世相を逆回転させるジャーナリズムに監視の目を緩めてはならないのである。(2004年3月27日、