風化著しくも・・・
信夫山を越えて?岩谷観音へ(2016.1.11)
「その1 寄り道三昧」の続きです。
信夫山第二展望台を後に 14:50
まだ歩いたことがないルートを選択。
巨石公園を通り抜けて・・・
天狗の森(テングラ森)方面へ。
もしかすると平日は作業が行われていて通れないのかもしれないけれど、今日は成人の日。
立ち入り禁止の柵が道の脇に寄せてあるから通っても大丈夫かな?
広場を通り抜けると目の前に低いこんもりが。
そういえば地形図に等高線が閉じている場所があったっけ。
岩だらけの・・・
天狗の森ピーク? 15:00
その近くの石祠に納められていたものは、白い紙に描かれた・・・これは!
ゾクッときたというかなんというか・・・
そそくさと逃げるようにヤマツツジ咲く天狗の森から冒険の森、そして信夫山一周道路へ。
ウソでしょ (・・;)
通る予定だった道は工事のために通行止め。
しょうがないので信夫山子供の森公園から麓に下り・・・
祓川沿いの市道の歩道は祓川緑道。
親水公園のように整備されている遊歩道をてくてく。
だいぶ遠回りをしましたがようやく目的地。
場所的には国道4号線・国道115号線の岩谷下交差点から西側に一寸入ったところ。
岩谷観音上り口 15:25
今のところ今年一の急勾配。
手摺りを使わずには怖くて上れない!
巻き道を行くのもありですが、私はそのまま。
石段上部から見下ろせば「ここは絶対下らないぞ!」
あ、駐車スペースがあって3台ぐらいは止められるかな?
福島市指定史跡及び名勝「岩谷観音」
観音堂
平安時代の末に、飯坂の大鳥城に居城を構えて信夫郡一帯を支配した佐藤庄司基晴は有名ですが
その叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていました。
この子孫である春顕が応永23年(1416年)10月に先祖伝来の観音像を本尊として建立したものが
観音堂の始まりであると伝えられています。
磨崖仏
西国山三十三観音本尊をはじめ、60体にも及ぶ供養仏がありますが
宝永2年(1705年)の聖観音像・同7年の巳待供養弁財像が年紀のわかるものしては古いものです。
三十三観音像もおおかたこのころから彫られたと思われますが
西国の札所名と本尊のお姿が正確で仏像の儀軌に通じた修行僧が敬虔な鑿をふるったものと思われます。
岩谷観音保勝会・福島市教育委員会
私たちの先人が祈りを込めて彫りなした「岩谷観音」を長く保存し、美しい景観を保つために次のことを守ってください。
記
一、仏像やその周辺の岩肌に手をふれないこと
一、樹木の枝や葉を傷つけないこと
岩谷観音を後に 15:47
左に福島市音楽堂、右に福島県文化センター。
正面に山に掛かる雲の向こうに沈まんとする太陽を見つつ、冷たい西風をもろに受け・・・寒い!
信夫山の麓に続く祓川緑道を西の端まで進み、後は駐車場への坂道を上がるだけ。
石姫御籠石
昔、石姫皇后東国に下向され、そのときココ信夫山の麓に御籠を止めて休まれたといわれる石。
今は一部分だけが残っている。
落石の危険を考え、近年、若干山際に移動した。
太子堂公園の石段を上れば・・・
太子堂駐車場 16:10
そういえば何方の銅像でしたっけ?
何とか日が暮れる前に散策を終える事が出来ました。
これでおしまいです・・・が、おまけ。
秋の岩谷観音の様子はこんな具合です。
「紅葉真っ盛りの信夫山(2013.11.23)その4 岩谷観音」
コメント、さらに読者登録もしていただきありがとうござます。
同じ山に登っていても、ほぼ自然に触れるだけの私とはまた違った楽しみ方に興味深く
よろしくお願いします。
素敵な山の写真ですね!
私も東北の山が大好きなので、楽しみに読ませて頂きます。